追加記事 [2008春アメリカ東部NYからボストンへの旅]
ムティエ・サン・ジャンのロマネスク柱頭彫刻 NO.1
2008年春、ニューヨークからアムトラックに乗ってボストンへ行き、フォッグ美術館を訪れました。
旅日記のブログ

Moutiers-Saint-Jean 1125~30制作
フォッグ美術館にはムティエと断定できる説話柱頭が3つある。
台形柱頭と呼ばれ、長方形底部をもつ。
大きさは高さ、幅とも61~65cm。
(1)「ザカリアへのお告げ」 エルサレム神殿の祭司ザカリアは洗礼者ヨハネの父。大天使による子供の誕生の予言を受ける場面。図像は香炉を持ち祭壇の前にいる。
アーチはビリットと呼ばれる刳形の装飾帯。教会堂の場面設定と考えられる。
↑右側面に建物(修道院?)屋根の上で瓦を葺く人、自分の髪を掴む悪魔、下には鐘楼の綱を引く少年の姿。
↑ 左側面は老女エリザベートと少年ヨハネと思われる人物が彫られている。
正面と同様のビリット装飾のアーチ。
ムティエ・サン・ジャンのロマネスク柱頭彫刻 NO.2
(2)エマオへの巡礼 復活の日、エルサレム近くのエマオの村へ向かう2人の弟子は、道ずれになった人がキリストだとは気づかない。この出会いの後は夕食の場面「エマオの晩餐」へと続く。
↑正面は十字円光をつけたキリストとクレオパスとルカ?二人の弟子。キリストの背後に天使、右上に角笛を持つ若者。
↑ 右側面はエマオの村の3階建ての建物。中世美術には城として描かれることがある。ラテン語訳聖書に、「エマオの城」と訳されたためらしい。アーチや石積なども細かく彫られていて、日常的な説話の場面は現実味がある。
↑左側面は草地に舞い降りる天使の姿
下はオータンの「エマオへの巡礼」。ムティエと同じブルゴーニュ地方にあり、ムティエの参考になった彫刻ではあるが、オータンは人物の浮遊感、翻る衣装など、非現実的な表現になっている。
ここの柱頭の写真はすべて撮ったわけではないので、残っていた写真で構成。
参考資料『ムティエ・サン・ジャンのロマネスク柱頭とクリュニーの西扉口彫刻』ダーリング常田益代/美術史掲載論文
レバンツァのサンタ・マリア教会のロマネスク柱頭彫刻
「荘厳のキリスト」中央にキリストと四福音書記者のシンボル
↑正面はうっすらと色彩が残り、存在感抜群の柱頭彫刻。
↑右側面↓左側面に4使徒たちの姿
「墓を訪れる二人の聖女とエンジェル」 ↓正面
側面(写真無し)は右に3人目の聖女
パレンシア地方の何処にあの柱頭彫刻があったのでしょう。地図やGOOGLE EARTHでまずLEBANZAの位置を確認。パレンシア地方の北部にLEBANZAの村を発見。そして村から3キロほど西にLebanza修道院があります。修道院の教会だったと思われるサンタ・マリア教会は現存していません。

932年にアルフォンソ公とその妻により創建され、修道院の建物は12世紀に復旧。古い記録では1179年にライムンド司教が修道院を大きい建物に改築、6年後の1185年に完成。そのことが最初の柱頭の上部(冠板)に記されているようです。1180年代の類似様式と図像はカスティリア地方の典型的なものです。彫りは生き生きと深く、面取りされ、厚い葉の文様で飾られた冠板はLebanzaの近くのSanta Maria la Real教会(Aguilar de Campoo)の彫刻デザインに近い特徴を持っています。
Santa Maria la Real教会(Aguilar de Campoo)の柱頭彫刻は現在マドリード国立博物館に収蔵されています。「サムソン」(↓2009.3にマドリード国立博物館を訪れましたが、建物の修復中で、展示されていませんでした)NETから拝借。

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