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2007冬の旅 チュニジア(2) [2007冬チュニジアとマルタ島の旅]

1/27 (土) チュニス市内観光
宿泊したアメリカ系大型ホテルの前の大通りは濃い緑のベンジャミンの並木道です。その先に凱旋門があり、それが世界遺産にもなっている 旧市街の入り口 になっています。フランスの植民地だった頃のコロニアル風の白い建物が並んでいます。

スークはアレッポやダマスカスとは違って天井が架かっていませんが、通路は 狭く混雑していて、皆にはぐれないように歩くのが 精一杯でした。途中の小さい広場で30分ほどの自由時間があり、ひとりで傍に建っているモスクの中庭 (有料200円くらい)に入ってみました。新旧二つの塔の見える広い回廊はローマ時代の柱頭が並んでいます。イスラムというより初期キリスト教、ビザンチンの面影を残しています。

地理的にも中東のモスクと違っていて当たり前なのでしょう。フェニキア人のカルタゴ時代から古代ローマの支配下に入り、そしてイスラム圏に変わるまでの歴史。そのあれこれに想いをめぐらせ、回廊で遊ぶ猫たちを眺めていますともう時間切れ・・・。

次はお待ちかねのバルドー美術館です。Stone Paintingといわれる評判どおりの素晴らしいモザイクを見学。ギリシア神話や伝説の場面やウエルギリウスの女神を伴った肖像モザイクなど。古代ローマ帝国がチュニジアに残したローマン・モザイクの多彩なコレクションです。イタリアで見た宗教的なビザンチンのモザイクとはまた違った生き生きとした魅力を感じました。美術館の建物もオスマン・トルコの長官が暮らしていたという広大、豪奢な宮殿です。

ランチは波が建物の際まで打ち寄せる海岸のレストランで。昨日雪の北海道から出てきた私の目に青い青い地中海が目に眩しく映りました。さてランチに海老でもでてくるかな?との期待ははずれました。なんと鰯でしたのであれれ・・・。でも骨までいただける香ばしく焼かれたこちらの方が私も含めてご老体の多いグループですので、体に良いわね~と、地元の白ワイン(グラスで250円くらい)で、昼から元気です。(笑)

さて、午後からは真面目に観光。市内のカルタゴの遺跡は、住居や浴場、軍港が一箇所にまとまっていないので、あちこち移動しながらの見学です。そのせいか遺跡としてのスケールが小さく感じられました。フェニキア人が築いた都市の跡といえば思い出すのが、3年前に訪れたサルデーニア島のタッロスです。ここからはそう遠くない距離にあります。カルタゴとタッロス・・・地中海貿易のため築かれた植民都市。2都市の繁栄と滅亡が遠く幻のように浮かびます。

住居遺跡のピュルサ丘にあるカルタゴ博物館も見学。ここで出土された貴夫人の墓碑が天使のセラフィムのように翼に覆われているのが目にとまりました。ほかはギリシア風の彫刻が多いのですが、特に優れたものはありませんでした。


画家のパウル・クレーは1914年にチュニジアを旅しました。2週間ほどの滞在だったようですが、イスラム世界の建築が持つ独特の色彩に魅了され、画家として大きな飛躍を遂げたことは有名です。なかでもシティ・ブ・サイドの街並みはチュニジアでも最も美しいといわれています 。白い建物に青い扉の家が並んでいます。ゆっくりクレーの色彩あふれる絵画をイメージしながら散策したいところですが、なにしろ団体行動なので、メインの通りをきょろきょろ歩き、チュニジアで最も有名な店「カフェ・デ・ナット」で松の実の入ったミント・ティーを飲んだだけで終わりました。この近辺は人気があるので観光化が進んでます。結構な混雑でした。

観光客が一番多いのは以前チュニジアを植民地として統治していたフランス人 、続いてドイツ人、イタリア人とか。ミラノから2時間で来られるのですから札幌~関西の感覚なのですね。シティ・ブ・サイドに着いたら沢山写真を撮るつもりでしたが、なんと!バッテリー切れ。(涙)
 
日ごろの運動不足がたたって一日歩くともうヘトヘト。5時過ぎにホテルへ戻りました。夕食はホテル内のレストランでブッフェスタイルです。唐辛子の入ったソース(ハリサ)をつけて食べる各種の前菜をはじめ地元の料理とイタリアパスタなどが並びます。この時23名の参加者の自己紹介がありました。平均年齢70歳くらい。しかし、チュニジアワインをお目当てに参加された方も含めて酒豪揃いという構成・・・それで昼も夜もぐいぐい←ひとさまのせいにしてはいけませんわね。(汗)


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