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2007.9 中国西域絹の道 トルファン(3) [2007秋シルクロード西域の旅]

9/20(木) トルファン2日目

トルファンから40キロの高昌故城の見学。物売りが煩い入り口からロバ車に乗って 行きます。(約10分)
この日はさすがに中国一暑いトルファンなので、気温は35、6度。それでも空気はドライなので、日陰にいれば過ごしやすいのですが、若いツーリストたちは徒歩で回っていました。ロバ車はいったん引き返し、30分後に迎えに来るシステムです。考古学に興味のある人にとっては当然30分では物足りません。この広大な遺跡の見学は徒歩またはロバ車貸切で回ることが必須でしょう。


漢代から1、000年栄えていた高昌国の都市 遺跡。ほとんどが土の固まりと化しています。三蔵法師がインドに仏典を求めて旅する途中、2か月ほど滞在したことでも知られています。私たちはその説法を行った寺院だけ見学しました。天井は落ちて(多分ドーム形だったのでしょう)見上げると青い空が広がっていました。寺院の前には有料?モデルさんたち。
     

最初に1泊したウルムチは漢族が多い、新興のビジネス都市ですが、ここ天山北路のトルファンにくると圧倒的にウイグル族が多くなります。ウイグル族と一口に言っても、そのルーツは複雑。モンゴル系、インド系、トルコ系、ロシア系と再興と衰退を繰り返した西域のさまざまな王国の歴史とともに現在に至っています。中国は少数民族優遇策をとり、資源豊富なこの地域の開発に手を打っている状態。ウイグル族の現地ガイドの話では自分達の文化や宗教、暮らしを守ることの意味は私たち日本人には想像できないほど大きなようです。単的にいえば欧米的生活の向上以上に守りたいものがあるのです。(わかるけれど、不潔なトイレだけはなんとかならないのかしら・・・ 苦笑)
アフガニスタンやイラクの問題を考えても、私たちの信じる民主主義だけが彼らの幸せではないのです。そこのところの理解なしに武力介入に頼ろうとするやり方には絶対!!無理があります。この地からシルクロードが続く西の彼方の国々の現状に心が痛みます。平和なシルクロードを一般のツーリストが旅できる日が来るのでしょうか・・・鉄道が好きなので、西安からローマまで繋がった鉄路を夢見ていたのですが・・・。
昼食をはさみ、火焔山のポイントで撮影タイムのあとはベゼクリク千仏洞とアスターナ古墳の見学。火焔山は夕方に来るともっと良い写真が撮れるようですが、ハード・スケジュールのため無理でした。ここへくるまでは火焔山は一箇所の山と思っていた無知な私でした。(笑)
東西100km南北10km平均海抜500mの山地。「西遊記」にも登場することで有名。
     
火焔山の近くにあるベゼクリク千仏洞はお正月ころ?にNHKの特別番組があり、剥がされてドイツへ運ばれた仏像や壁画の再現映像が素晴らしかったのと、仏教だけでなくマニ教の聖地であったこともあり、興味しんしんでした。内部は撮影不可。後室と呼ばれるロマネスク教会で言えば巡礼のまわる祭室が遮断されているのが残念でした。無残ともいえる傷ついた壁画にうっすらと残る金箔やラピスラズリの青の輝きが古の祈りの場を偲ばせます。高昌国(460~640)の最盛期に初建され、唐の時代に発展。9世紀にマニ教を信じていたウイグル族がトルファンに移住したことで、マニ教の文献、壁画などの遺物が発見されました。しかし、14世紀末にはイスラム教の破壊により遺棄されてしまいます。20世紀初め、ドイツのベルリンに持ち去られた壁画は一部は第二次大戦の戦火で焼失。残ったものはベルリン郊外のダーレム(民族博物館)に収蔵。来年ベルリンへ行く機会がありそうなので、寄ってみたいと思っています。
     

遅めの昼食は市内のレストランで。初めてシシカバブ(羊の串焼き)がでました。
トルファン郊外のぶどう農家を訪問。おやつに葡萄やハミ瓜などいただき、住居も見せてもらいました。干しぶどうも自家製なので3種類購入。 写真の四角い建物は葡萄を干す部屋で格子状の穴が開いています。
     
     

夕食はホテルのレストランで。食後の散歩にバザールと噴水を見に行きました。今日は盛りだくさんのスケジュールでした。
     
          

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