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2007.9 中国西域絹の道 クチャ (5) [2007秋シルクロード西域の旅]

9/22(土)  コルラからクチャへ

コルラはタクラマカン砂漠の北に位置しています。砂漠の石油開発のための企業が多く、近代的な都市。宿泊したビジネス客の多いホテルもかなり高級な宿。久しぶりに美味しいパンとコーヒーにありつけました。しかし、この街は観るべきところはあまりないようです。鉄門関という4世紀の砦が郊外に残っているのですが、私たちのツアーは寄らないで、クチャに直行しました。
写真:コルラのホテルからの眺め&デパート
    
 コルラから西域北道を西へ走りクチャへ。280kmのルートを途中スピード違反で捕まったりで、数時間かかりました。
途中の風景はいくつかのオアイスの村を通過しながら、水辺に葦や紅く色づいた珊瑚草、梨などの果樹園、綿畑など飽きることなく眺めました。バスからの撮影は道路がガタガタ舗装のため、ほとんどぶれてしまいました。
   
ようやくクチャに到着。スバシ故城へ。
見学していたのは私たちグループとCCTV?(中国のテレビ局)のカメラマンたちだけ。ここはクチャ河(水は流れてません)をはさんで東寺区と西寺区に分かれています。(現在東寺は調査のため見学不可)。玄奘の「大唐西域記」に登場した寺とされ、キジ国最大の寺院遺跡です。キジ国は紀元前の前漢時代に登場したオアシス都市国家で10世紀ころまで繁栄。仏教が東へ伝わる道筋のなかでも重要な位置を占めています。そのためクチャ近辺は仏教遺跡の宝庫となっています。

バスに乗っている時にぱらぱらと雨が降ってきましたが、見学中は曇り空。涼しいのですが、気候にどこか違和感が・・・。現地ガイドさんの説明では私たちは砂に守られているというのです。確かに普通の曇り空ではなく砂のヴェールがかかっているのでした。それでおぼろな太陽。
ほとんどが建物の原型をとどめない岩石の残骸とはいえ、干上がった河(乾河道)の向こうとこちらの仏塔の眺め。遷り行く時の流れをしみじみ感じました。入り口の記念碑にはここは日本の大谷探検隊も入ったと記されています。出土した文物の行方は?
   
   

どこもひどいけれど、ここのトイレは最悪。以後、先に入った人が駄目と×判定すると、皆でならんで青空トイレ。2月のチュニジアは飲み仲間、中国はトイレ仲間。(爆)

ホテル内のレストランで夕食の後はクチャ美人の民族舞踊を楽しみました。ウイグル族のなかでもここは美人の多いことで知られています。最後は皆でダンス。
 

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