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2012年冬の旅(2) パリ [2012冬パリとバルセロナ、スペイン北部のロマネ]

1/16(月) パリ6:40  Pavillon Saint-Louis Bastille 3泊

まだ夜中のように暗いCDGには定時に到着。早朝とはいえすでに市内までのハイウェイは交通混雑。ホテルに着いたのは8時頃でした。ちょうど顔馴染みになったフロントの方が出勤してきて、すぐ部屋を用意してくれて助かりました。
暖房もよくきいていてGOOD。シャワー、シャンプーを済ませてすっきりしてからルーブル美術館へ。

まずは今日が最終日のマケドニアのアレクサンダー大王展を見学(カメラ禁止)。

↓ ルーブル特集号の表紙を飾るマケドニアのライオン退治のモザイク「Mosaique de la Chasse au Lion」が入口に展示されていました。ペラのMaison du Dionysosから発掘  BC 4C

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マケドニア王国の紀元前4世紀ごろの遺跡遺物はまだ発掘が続いていて、最近発見されたものも多く陳列されていました。黄金の装飾品、マスク、墓碑やヴィラの扉など多数。大王の生涯については伝説も混じって伝えられていますが、その大遠征の凄まじいまでの野望。。。でも魅かれますね。いつかギリシア北部まで行ってみたいものです。

数年前のアラブ世界研究所でのフェニキア展もそうでしたが、この展覧会も凄く混んでいて二重三重の人垣ができて、上野の人気展並みです。フランス人の古代好みはかなりなものと推察。辛抱強く鑑賞する体力もなく、フランス語の解説の読解力もなく。。。退散。

↓ アレクサンダー大王の彫像/大理石33×22.5×23 300年ころ 下エジプトで制作(絵葉書)

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 この後は、エジプトのコプト教美術のセクションへ行ってみたのですが、昨年に続いてまだ工事中?でクローズ。がっかりしながらも、お決まりのロマネスク彫刻の部屋へ。前回までは監視の係員は巡回員程度だったと思いましたが、今回は常駐の人が座っていました。

 ↓ 「ドラゴン退治のサン・ミッシェル」昨年訪れたNeversのNotre-Dameのタンパンを飾っていました。

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↓「葡萄酒造りの場面」 現在は廃墟になっているブルゴーニュの Moutiers-Saint -Jeanの柱頭彫刻

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↓イル・ド・フランスのCarrieres-Saint-denisのタンパン彫刻。一昨年の特別展で初めて観ました。その前は常設でなかったような。。。写真はガラスが反射してひどいです。



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 ランチはちょっと奮発して☆つきレストランL'ATELIER de Joël Robuchon へ。アラカルトの量の少ないお皿を注文。前菜は卵(エビ、黒トリュフ)、メインはイカのお皿、デザート、ピンクシャンパン、白ワイン、コーヒー。〆て110€の美食を愉しみましたが、皿数が少ない割に高価なので、お勧めできません。12時ころ入店しましたが、予約なしでもOKでした。その後30分くらいで満席になりました。地元客と観光客が半々くらい。洗練された笑顔のサービスは流石です。

写真は栗のデザートだけ。コの字カウンターなので皆に見られてるようで。。。こういう時期なので、ジャポネーゼが来ているとひそひそ聞こえたり。。。

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 帰りはすぐ近くのバス停からバスチーユ広場へのバスがあったので、これに乗って、サンポールで降車。最近読んだ『サラの鍵』がらみで、マレに記念館があることを知り、見学しようと予定していたのです。それなのに外出時に地図を忘れてしまって、適当に探したのですが。。。ギブアップ。正確な名前を覚えていなかったので、尋ねようもありません。

↓サンポール教会の裏側から

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バスチーユ広場を横切って、宿に戻り仮眠。

夜はシャンゼリゼ劇場で「グリゴーロのコンサート」がありました。

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 ほぼ満席のシャンゼリゼ劇場。グリゴーロは映像ではなんどかみたことがあったのですが、実舞台は初めてでした。写真のとおりハンサムですし、、声もまっすぐ突き抜け良く響きます。調子も良いらしくて、映像ではなんかな~だったのですが、なかなかの出来栄えでした。実際のオペラの舞台ではより映える歌唱でしょう。ヴェルディ、ロッシーニは特に好みの端正な中に熱情が感じられるパフォーマンスにブラボー!喝采に気を良くしたのか、凄く嬉しそうな彼の飾らない素顔も好感度大でした。フランス語も流暢で何度か挨拶。初めはイタリアの客船事故の犠牲者への追悼の言葉(私はほとんど聞き取れませんでしたが)、ほかは旅芸人のように歌っていきたいとの言葉もあったそうです。なかなか泣かせる台詞じゃないですか。。。追っかけの歌手たちの家族優先のためのキャンセル続きにうんざりしていますから。。。決して責めてはいませんが、かなりの出費がふいになるのは正直辛いです。

グリゴーロはスマートで身体能力もかなりなもの、ダンスィングしながらフラメンコギターにあわせて歌う彼の背中の筋肉がよく動くこと!イタリア民謡もフレッシュ感あふれ、イタリアの青春そのもの!周りのマダム達も興奮気味で、これからフランス語のオペラも勉強して、パリで歌いたいというグリゴーロにバスチーユで待ってるわ~!との掛け声もかかり盛り上がりました。30分ほどアンコールが長引きましたが、満足して劇場を後にホテルに戻りました。

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共演はソプラノのCarmen Giannattasio  &  Orchestre Lamoureux/指揮 Keri-Lynn Wilson & ギターDaniele Bonaviri


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コメント 8

はるる

お帰りなさいませ~。(今ごろですけど)

拝見して、ルーブルもそういえば彫刻やら古代美術やらまだまだ見逃してるセクションが多いなあとか思いました。
「サラの鍵」がらみのショア記念館でしょうか。私もB様の記事から知り一昨年迷いながら訪ねました。ひっそりとありますが胸に迫る場所です。そして写真のサン・ポール教会の裏、リセ・シャルルマーニュあたりからは、パリで最初に魅せられた界隈なんですよ~。
グリゴーロも素敵だったようで♪
by はるる (2012-02-09 02:31) 

alice

はるるさま、まだ帰国してから4日しかたっていないので、頭も体も本調子ではないのですが、忘れないうちにと頑張って資料整理がてら、アップしています。

旅先の体調は今までの旅の中では最低でしたが、いつもの下痢や風邪熱ほかもろもろのトラブルもなく過ごせました。

ショア記念館、私もBさまからの情報で知りました。マレで泊まったり、ご飯食べたりすることが多いので、地図を忘れても行けると思ったのですが。。。

>リセ・シャルルマーニュ  第二次大戦で犠牲になった子供たちのプレートのある学校ですか?何年か前この向かいのホテルに泊まったことがあり、今回もここを通りましたが、ホテルはなくなっちゃったみたいでした。

あのエリアはアンティックの店や古い館が裏通りにひっそり建っていたり、パリの下町の雰囲気がいいですよね~☆
by alice (2012-02-09 12:07) 

alice

>リセ・シャルルマーニュ、 今調べたらサン・ポール教会のすぐ裏手の高校のことでした。私の記憶にあったのは小学校でした。 訂正させていただきます。
by alice (2012-02-09 12:40) 

はるる

しつこくすみません。alice様ご記憶の小学校はオピタリエール・サン・ジェルヴェ通りの学校でしょうか?1942年7月16日のユダヤ人の一斉検挙の際にこの学校の生徒、先生も逮捕され絶滅収容所へ送られることとなったのですよね。マレのロジエ通りのすぐ傍の?マレはほんといろいろな意味ではまってしまえる場所ですよね。

体調万全でなくてもこれだけ素敵な旅をなさるalice様、ほんとすごいなあ♪勇気いただいてま~す♪
by はるる (2012-02-09 21:37) 

alice

はるるさま、今、google earthのストリートビューで確認しましたが、はるるさまのおっしゃる学校とは別のところです。同じようにユダヤ人の児童たちがホロコーストの犠牲になった学校は当然いくつかあるようで、それぞれメモリアルのプレートが掲げられているようです。ここも送られて亡くなった人数も書かれていたような記憶があります。今回はここの前を通ったのにそのことは忘れて素通りしてしまって・・・。

ショア記念館、1本道を間違えただけで・・・あのあたり迷路のようですね。

by alice (2012-02-09 22:48) 

はるる

丁寧に確認してくださってありがとうございます。そうか一つではないですよね。このことにもどれだけ多くの子供たちが犠牲になったかというのを実感させられます。・・・ちょっとズレてしまってすみません。
by はるる (2012-02-10 20:40) 

elmo

早速楽しく拝見して、勉強させていただいています!

ルーブルのCarrieres-Saint-denisのタンパン彫刻、昨年見ました。
最近手に入れた85年発行のいささか古い「NHKルーブル美術館」という本にも載っていますので、修復していたのかもしれませんね。
by elmo (2012-02-12 10:00) 

alice

elmoさま、>ルーブルのCarrieres-Saint-denisのタンパン彫刻 ・・・  やはり、修理していたのですね。

私も帰国後、イル・ド・フランスのゾディアックに写真があるのを発見(遅過ぎ~)。以前の彫刻はかなり傷んで写ってますから、修復には何年もかかったのでしょうね。

この教会がどの辺にあったのかは地図ページには載っていません。多分もう廃墟になってるのかも…パリに近いところは革命時には破壊される度合いが大きかったでしょうし。。。


by alice (2012-02-12 17:38) 

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