2012年夏の旅(25-2)サン・ネクテール~オーゾン~ル・ピュイ・アン・ヴレ [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
~続きです。
イソワールの郊外から高速道路を走り、まもなく東方向に降り小さな町や村を通過しました。イソワールからオーゾンまでは直線で20K程度ですが、谷間を抜けてぐるぐる走り、走行距離は倍くらいになりました。
オーゾンは切り立った岩盤の上の城壁に囲まれた人口100人ほどの村です。道路わきにTAXIを待たせ、教会の案内板に従って、石畳の細い道を上っていきました。
↓ ダリアの花が咲く坂道の向こうに門が見えました。
↓ 10分ほど民家や周りの景観を楽しみながらのんびり行きますと、教会が見えてきました。
↓ 教会は村の一番高いところの広場に面して建っています。教会の南にはポーチがあり、奥に扉口があります。
☆ L'Eglise Saint-Laurent (AUZON) サン・ローラン教会(オーゾン)
5世紀の創建ですが、12世紀にはラ・シェーズ・デューの支配下に置かれました。現在の教会は12世紀前半の建築。
↓ 南側ポーチの柱頭彫刻がここの見どころです。
↓ 「キリストの降誕」 同主題の彫刻と違う点があり、なかなか興味深い・・・というのはヨセフが優しく出産を終えたマリアの手を握っているのです。この場面では大抵は疑い深い、思案顔のヨセフがお決まりですから。
↓ 右は「受胎告知」
↓ 内部は単身廊、多角形の後陣。左の壁にかかる磔刑像は12世紀のもの。
日曜日のミサが終わって、教会も閉める直前だったようです。ゆっくり見学する雰囲気ではなく、ちら観程度で退散しました。オーゾンから南へ15分ほど走り、前日訪問済みのブリウドへ。
↓ SNCFブリウド駅からバスでル・ピュイへ向かいました。ランチにサンドイッチでもと思ったのですが、駅の周りの店は日曜日で閉まっていました。空腹ですがお煎餅など齧りながら、駅のベンチでバスを待ちました。
ブリウドからル・ピュイ・アン・ヴレまでのバスは地方のバスにしては珍しくほぼ満員で出発しました。道中の景観もまた素晴らしく、降りて見学したい村や町が点在しています。オーヴェルニュで権勢をふるったラ・シェーズ・デュー修道院もこの街道から北東に20~30Kに在ります。ツアーで来た時に寄ったことがありますが、多分ル・ピュイから北上してラ・シェーズ・デューを観て、クレルモン・フェランへのコースだったと記憶しています。その時がロマネスクの最初の旅でした。いろいろな感慨にふけりながら、バスに揺られてル・ピュイの街に入りました。
街中はとても賑わっていました。後でわかったのですが、この日はお祭りの最終日のパレードがあったのです。終点の駅で降り、湾曲した坂道を2~300M降りていくと、今夜の宿です。
↓ 部屋は角部屋なので駅の方向と広場が眺められます。
お腹が空いて夕方まで持ちそうにありません。1階のレストランが開いていたので早目の夕食をとりました。
↓ ムール貝はベルギーと思っていたのですが、ここのは地中海産(モンペリエやセトのほう)で、小型ですが味が濃くて美味でした。ずいぶん食べてから写しました(恥)
食事が終わる頃にホテルの前の道でパレードが始まりました。初めはすぐ終わるだろうと何気なく見ていたのですが…次から次へとやってきます。京都でいえば時代祭のような中世のコスチュームの人々ですが、王様から乞食。お坊さんから旅芸人、年寄りから子供まで、その多彩なこと!さすがに巡礼の街、古都ル・ピュイだと感心しました。旅のための軽い読み物に「カドフェル修道士シリーズ」を2巻持参して、読み進めて来ました。カドフェルの舞台はイギリスですが、中世の僧院や村の話の背景がここで目の前に現れた感じなのです。人知れず興奮状態にある私でした(笑)
↓ お祭りのポスター
↓ 王様から始まって、それぞれそのまま映画に出てもいいほどさまになってました。
途中疲れて部屋に戻って上からも見物しました。帰国後HPを見つけましたのでご参考までに
街中も混雑していますので、教会の見学などは明日にして、のんびり部屋で過ごしました。
このあたりは95年にw社のツアーで言ったとkろで とても懐かしいのですが、かなり忘れています。
ル・ピュイのお祭り。数年前オランジュでもおなじような時代衣装の行列をみました。 これは鳥に関係があるのでしょうか。 それにしても 一番下のお写真、 イスラムのスーフィーの旋舞をする人みたいですね。 お祭りとあらばなんでもありなのでしょうか。
by yk (2012-12-03 23:01)
ykさま、多分私が回ったツアー(フランス中西部/98年)と同じものだと思います。最後がクレルモン・フェランでした。そこでツアーから離れてパリまで列車に乗って行き、オペラを見て帰りました。このときからオペラ&ロマネスクの2本立てが私の旅のスタイルになったみたい・・・。
このお祭りの背景はフランソワ1世の16世紀のころなのですが、鳥の王様という意味はよくわかりません。サン・ティアゴ巡礼の出発点として、かなりの巡礼者やそれを目当ての旅芸人、曲芸師が集まったことでしょう。イスラム系の見世物も多分含まれていたと想像しています。当時の時代考証はきちんとされているようですよ。
by alice (2012-12-03 23:26)