2007.9 中国西域絹の道 ウルムチ(1) [2007秋シルクロード西域の旅]
W社の「天山山脈とタクラマカン砂漠縦断の旅」は大阪支店の主催のため関西在住の方が多く、参加者22名。北海道からは旭川の70代後半の男性と私たち夫婦の3名。添乗員は若い20代の女性(原田知世似で可愛いと夫が喜ぶ)。
真夜中にウルムチ到着。空港での待ち時間が長いので結構疲れました。これならヨーロッパ行くのとあまり変わりないみたいね~というと夫は不機嫌に・・・。当初の計画ではウルムチから観光が始まるはずでしたが、南彊鉄道のタイムテーブルが変わり、直前に反対周りに変更。それで、空港の近くのホテル↓に泊り、翌朝はトルファンに向かいました。
2007.9 中国西域絹の道 トルファン(2) [2007秋シルクロード西域の旅]
9/19(水)ウルムチ〜トルファン トルファン大飯店2泊
朝食はお粥や饅頭などをいただいてふと外を見ると、ホテルの前の小さな公園に数人の老人たちが太極拳をやっています。中国に来たという実感がわいてきました。今回は中国の西端、新疆ウイグル自治区を巡る旅ですから、普通の中国のイメージとは異なったところであることが、この後徐々に認識することになります。
バスでトルファンまで国道312号線(上海からイーニンまでほぼ中国大陸を横断する国道)を走ります。新疆ウイグル自治区の北に位置する天山山脈からトルファン盆地へ。途中の風景で珍しかったのはアジア一大きな風力発電所。渇いた大地に何本もの風車が立っています。
天山北路のオアシス、トルファンは火州と呼ばれるほどの気温の高い低い盆地にあります。今年は50度の日もあったとか.....。まず、交河古城の見学。 さすがに暑く、初秋の北海道からやってきた身には坂道を登るのがきつく、ふたつの河の中州に岩を掘り出して造ったという遺跡を少し巡ったら、夫がまずギブアップ。下の入り口にあった休憩所に戻ることにしました。スイカ屋さんで休憩。4分の1(12元/200円くらい)をオーダーするとテーブルに持ってきて、目の前でバッサバッサと豪快にカット。美味!!
トルファンの町に入り、遅めのランチ。暑いから「とりあえずビール」。お皿はいつも10皿以上は並びます。野菜の炒め物が美味。油を多く使った料理が主体なので、温かいお茶を合間にどんどん補給したほうが良いらしいのです。冷えたビールとこちらの料理は本当は相性が悪いようです。後半になっておなかを壊した方が何人かいらっしゃいました。私も少し変だったのですが、正露丸を早めに飲んで事なきを得ました。
果物はちょうど収穫の時期でもあり、デザートにはスイカ、ハミ瓜、ザクロ、イチジク、ぶどう、梨、桃と毎回1〜3種類がテーブルに運ばれ、フルーツ大好き人間の私は大満足でした。
この後はバザールの見学。羊が丸ごとぶら下がっている肉屋、ひょうたん屋、八百屋など。
2007.9 中国西域絹の道 トルファン(3) [2007秋シルクロード西域の旅]
トルファンから40キロの高昌故城の見学。物売りが煩い入り口からロバ車に乗って 行きます。(約10分)
この日はさすがに中国一暑いトルファンなので、気温は35、6度。それでも空気はドライなので、日陰にいれば過ごしやすいのですが、若いツーリストたちは徒歩で回っていました。ロバ車はいったん引き返し、30分後に迎えに来るシステムです。考古学に興味のある人にとっては当然30分では物足りません。この広大な遺跡の見学は徒歩またはロバ車貸切で回ることが必須でしょう。
漢代から1、000年栄えていた高昌国の都市 遺跡。ほとんどが土の固まりと化しています。三蔵法師がインドに仏典を求めて旅する途中、2か月ほど滞在したことでも知られています。私たちはその説法を行った寺院だけ見学しました。天井は落ちて(多分ドーム形だったのでしょう)見上げると青い空が広がっていました。寺院の前には有料?モデルさんたち。
最初に1泊したウルムチは漢族が多い、新興のビジネス都市ですが、ここ天山北路のトルファンにくると圧倒的にウイグル族が多くなります。ウイグル族と一口に言っても、そのルーツは複雑。モンゴル系、インド系、トルコ系、ロシア系と再興と衰退を繰り返した西域のさまざまな王国の歴史とともに現在に至っています。中国は少数民族優遇策をとり、資源豊富なこの地域の開発に手を打っている状態。ウイグル族の現地ガイドの話では自分達の文化や宗教、暮らしを守ることの意味は私たち日本人には想像できないほど大きなようです。単的にいえば欧米的生活の向上以上に守りたいものがあるのです。(わかるけれど、不潔なトイレだけはなんとかならないのかしら・・・ 苦笑)
遅めの昼食は市内のレストランで。初めてシシカバブ(羊の串焼き)がでました。
夕食はホテルのレストランで。食後の散歩にバザールと噴水を見に行きました。今日は盛りだくさんのスケジュールでした。
2007.9 中国西域絹の道 南彊鉄道(4) [2007秋シルクロード西域の旅]
午前中は希望者だけカレーズと呼ばれる地下水路の見学。私たちは昨日の疲れと午後からの長い汽車の旅を考えて、ホテルでのんびり過ごしました。朝食はほとんどがお粥などの中華風なので、美味しいコーヒーを飲めません。(田舎のホテルはコーヒーそのものが用意されていません)それで私たちは紙ドリップ式のモンカフェを日本から持って行きました。これは正解でした。湯沸しはほとんどのホテルに備え付けてあり、毎朝出発前のひとときをコーヒータイムでリラックスできました。
2007.9 中国西域絹の道 クチャ (5) [2007秋シルクロード西域の旅]
コルラはタクラマカン砂漠の北に位置しています。砂漠の石油開発のための企業が多く、近代的な都市。宿泊したビジネス客の多いホテルもかなり高級な宿。久しぶりに美味しいパンとコーヒーにありつけました。しかし、この街は観るべきところはあまりないようです。鉄門関という4世紀の砦が郊外に残っているのですが、私たちのツアーは寄らないで、クチャに直行しました。
見学していたのは私たちグループとCCTV?(中国のテレビ局)のカメラマンたちだけ。ここはクチャ河(水は流れてません)をはさんで東寺区と西寺区に分かれています。(現在東寺は調査のため見学不可)。玄奘の「大唐西域記」に登場した寺とされ、キジ国最大の寺院遺跡です。キジ国は紀元前の前漢時代に登場したオアシス都市国家で10世紀ころまで繁栄。仏教が東へ伝わる道筋のなかでも重要な位置を占めています。そのためクチャ近辺は仏教遺跡の宝庫となっています。
バスに乗っている時にぱらぱらと雨が降ってきましたが、見学中は曇り空。涼しいのですが、気候にどこか違和感が・・・。現地ガイドさんの説明では私たちは砂に守られているというのです。確かに普通の曇り空ではなく砂のヴェールがかかっているのでした。それでおぼろな太陽。
どこもひどいけれど、ここのトイレは最悪。以後、先に入った人が駄目と×判定すると、皆でならんで青空トイレ。2月のチュニジアは飲み仲間、中国はトイレ仲間。(爆)
ホテル内のレストランで夕食の後はクチャ美人の民族舞踊を楽しみました。ウイグル族のなかでもここは美人の多いことで知られています。最後は皆でダンス。
2007.9 中国西域絹の道 クチャ(6) [2007秋シルクロード西域の旅]
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2007.9 中国西域絹の道 タクラマカン砂漠横断(7) [2007秋シルクロード西域の旅]
9/24(月)
いよいよ今回の旅のハイライトの日です。昨日はバスに長時間揺られたため背中も腰もバンバンに張ってしまいました。それでも湿布を何枚も貼って休んだお陰でなんとか行けそうです。夫も「僕は大丈夫!」と嬉しそうです。
クチャから砂漠公路のゲート(写真)まで天山山脈を左に眺めながら、らくだ草だけが生えている荒涼とした風景のゴビ灘(タン)を東へ2時間ほど走りました。そして南に進路を変えしばらく行くと緑が少なくなってきて、砂漠入り口のゲートが見えてきました。
この砂漠を南北に横断するハイウエイは完成は1995年というのに、突貫工事だったのか?すでに鋪装の痛みが激しい。日本のハイウエイのスムーズな走り心地とはまったく別物です。ほとんど前の座席の取っ手に摑まりながらのドライブでした。周辺には石油のコンビナートがあるため、住民のためというより石油輸送のための道路だと現地ガイドさんが説明。
不思議だったのは出発前に「地球の歩き方 シルクロード」を購入したのですが、この砂漠のことはまるで載っていないのです。それでGoogle Earthで覗いてみました。しかし、砂漠公路を発見するまで相当な低空まで接近しなければなりませんでした。その広大な砂漠のなかの極細い一本の線のハイウエイを今、走っていると思うとわくわくでした。バスのバック・ミュージックはもちろんあの曲です。(笑)
本当はここの横断に10時間かかるというので、いつもは途切れ途切れにしか聴けない長大オペラをいくつかipodに入れて用意していたのですが、出発寸前まで充電していたため、うっかり忘れてきてしまったのです。
さて、ゲートをくぐりしばらくするとタリム河。橋は歩いて渡りました。流砂の美しさで知られるタクラマカンは2度ほどトイレ休憩をかねて(もち青空トイレ)それぞれ2、30分散歩しました。砂丘を斜めに歩くとあまり埋まらないで済みます。けれど、一度はよろけてカメラをずぼっと砂に....。三脚まで抱えて参加されていた写真愛好家のかたに、砂を吸い込むカメラ掃除機を貸していただいてなんとか故障せずに済みました。エジプトで砂嵐にあって、カメラが故障した経験がありますのでヒヤヒヤでした。
道路の両側はタマリスク(紅柳)や胡揚の緑が続くグリーンベルトになっています。。そのための水は全部で100か所くらいある井戸(管理棟)から細い管を伝わって 補給される仕組み。そのなかの一軒の管理棟を見学しました。中年のご夫婦が住んでいます。休みは年に2回、一週間に一度食料の配給。電球はあるが(家の裏に太陽発電の板)、テレビもなく淋しいと言われてました。それで、おやつに持っていたお菓子をプレゼントしましたら、喜んでいただけたようです。
ランチは中間地点にある塔中というオアシスで。もういろいろな炒め物に飽きた頃だったので、みんなでトマトと卵の炒め物をラグ麺にかけるだけで良いので、他はいりませんと断わりました。胃を休めることができました。中国はご馳走を残すのが礼儀とのことですが、勿体無いとつい食べ過ぎてしまいます。ここは手打ちらしく、讃岐うどんのようなこしのある麺が美味。冷たいビールやハミ瓜に砂漠の真ん中なのにと感心。
ニヤ遺跡の入り口で休憩(道路ぞいに民家が3軒)。姉と弟が紙風船をもらって嬉しそう。
ニヤ遺跡は普通のツアーでは訪れるのは難しいとのこと。ここから100キロ、道らしい道もない難所だそうです。入場許可も高額なのでその道の専門家くらいしか訪れないのでしょう。20世紀初めにイギリスのスタインによって発見され、大量の文物が持ち去られました。(大英博物館)1988年からは日中共同の調査隊により、数多くの貴重なミイラ(精絶王室の古墳から)、3~4世紀の仏教遺物などが発掘されています。
ここからしばらく走ったところでスピード違反とバスを止められました。ところが運転手の助手さんが降りて、まもなく発車。あら〜置いていってしまうの?するとガイドさんは少しも慌てず、「もうすぐ夕食だから、タクシーでお巡りさんを乗せてニヤに帰り、飲み食い驕れば違反金ちゃらです」と...。ここはたかり、わいろの横行する共産主義の国です。そういえば、2、3日前のトルファンの近くでもスピード違反で捕まったのです。初めは違反金1、000元と言われ、値切って200元になった経緯も...。ネズミ取りはほとんど小遣い稼ぎなのね〜。
ほぼ10時間かかってニヤに到着。ここがこの旅では一番小さな宿泊地。ホテルは期待しないでといわれて、ぼろい小さなホテルに到着。まずここのレストランで夕食しましたが、トイレに行った人たちが、収容所のトイレみたいにひどい(って入ったことあるのか?)と騒ぐので・・・覚悟を決めました。でも3★の宿だから部屋にトイレくらいついているのではと不安になりながらも、意外に美味しい料理に満足。そこへ添乗員が現れて、泊るのは別のホテルでここからバスで5分というのです。やれやれ作戦だったの...着いたホテルはまあまあ。しかし、お湯はこれから涌かしますといって1時間くらいしてから入りましたが、お湯は一人分で夫の後の私はぬるま湯。翌朝のシャンプーも当然水。夜中は停電。
2007.9 中国西域絹の道 ホータン (8) [2007秋シルクロード西域の旅]
9/25(火)
西域南道をニヤからホータンまで。(350km)途中小さな町ケリヤのバザールに寄りました。この旅ではいくつかのバザール体験をしましたが、ここが一番印象に残っています。というのはラマダンの時期だったので、大きな町の夜のバザールは昼間の断食に耐えた人々が屋台に群がって、いささか殺気だっていたのです。でも、ここは昼間だったこともあり、のんびりムード。ナンを焼くパン屋さんの家族の写真を撮っていると、ガイドさんが一枚ナンを買ってごちそうしてくれました。焼き立てはやはり美味。
干上がった川の橋に座っていたおじいさんたちの写真を撮影。「クーイーパイチャオマ?写真を撮ってもいいですか?」ガイドさんにもらった中国語のアンチョコを見ながら...。ウイグル語でないので、全然通じなかったみたいですが、にこにこと許してくれました。(と推察)
バスの側に帽子の物売りがきました。見るとこの辺の部族が被る世界で一番小さな帽子(紙コップくらいの大きさ)です。帽子で何族か分かるというのが面白いです。ツアーのなかで帽子の好きな方が買おうかと迷っているうちにバスは発車。このあとの町ではずいぶん探したのですが、あのチビ帽子はあの町でしか売っていないようで、とても残念がっていました。
ホータンでのランチは街中の食堂で。またまたウイグル族のガイドさんが「ホテルのレストランは美味しくないです。私はお金もらってもたべたくないです」といって連れて行ってくれました。確かにラグ麺、シシカバブー、フルーツと美味でした。
このあとはマリカワチ故城へ。ポプラ並木の村から待機していたロバ車でゴトゴト揺られながらのんびりのはずが。。。物売りの小さな子供たちがずーっとついてくるのです。そのしつこさに呆れ果てました。そのなかで写真の少女だけはなぜか物売りをせずにただついて歩くだけでした。学校は日本人が来ると休みになるというのですが・・・。(お祭りでないのだから...)ゆっくり遺跡の見学もできませんでしたが、ここも岩の固まりが残っているだけ。法顕も3ヶ月ほど滞在していたという寺跡もすっかり崩れ果てていました。
この後はタクラマカン砂漠の砂丘を駱駝で散歩。夕陽が沈む頃でちょっとロマンチック。私の乗った駱駝もまだ子供で前を歩く母らくだにべったり...可愛かったのですが、ダニに刺されてしまいました。 (泣)
夜は街の中心のバザールへ。昼間の断食が解禁になり、食べ物の屋台に殺到する人々。美味しそう〜な麺、鶏ピラフ。羊のソーセージなど。エジプトや中近東のラマダンと違うところは女性や子供も多いこと。賑やかですが、一歩裏通りはアラーの神に祈る姿が・・・異国で見る満月が光っていました。
2007.9 中国西域絹の道 カシュガルへ (9) [2007秋シルクロード西域の旅]
旅も後半になり、疲労のためか時折頭痛がしたり、腰にもやや鈍痛が・・・。それにもめげず、朝のユルンカシュ河で玉(ぎょく)探しに勤しんだ欲張りな私です。春の崑崙山脈からの雪解け水が少なくなった今が宝探しに好適とのこと。何人かの暇な人たちまたはプロがうろうろしています。持ち時間30分ほどで全員収穫なしで引き上げとなりました。一攫千金の夢破れ、バスに戻る私たちを見つけ、めざとく集まってきた物売りの少年たち。そのなかからとても安いので偽物だろうけれど、白い玉のついたキーホルダーを購入。
ヤルカンドで王宮や清真寺を外観のみ見学。ヤルカンドも漢代にはオアシス都市国家のあった歴史のあるところ。
宿泊するチニワク賓館は高層の新館に古びた旧館が小さな広場に面して建っています。どちらに泊るのかしら....。そこを素通りして、その旧館の裏へ。昔はイギリスの領事館だったという木造の建物がレストランになっています。奥のボウウィンドウのテーブルに着席。写真は食事風景。
2007.9 中国西域絹の道 カラクリ湖(10) [2007秋シルクロード西域の旅]
パミール高原に入る最後のオアシスの村ウパールで朝市の果物をショッピング。ナンや梨が美味と朝食後1時間もしていないのにぱくぱく。そういえば旅の間は食事制限のない夫も、私も途中で1キロ体重が増加していました。皿数が多いのでついつい箸がのびてしまいます。
左に水の干上がったガイズ河を眺めながらさらにパキスタンの国境への曲がりくねった峡谷の道を走ります。川岸にはヤク、羊、駱駝の放牧風景。右手の岩山には火焔山より鮮やかに赤いオイタク山に驚き、木が一本も生えていない、種々の鉱物の眠る山脈の雄大さにも唖然。検問所(まだ中国国内なのにパスポート.コントロールがある)を抜けるとそろそろ、高度3、000メートル、少し息苦しくなってきました。早速150元払って用意してもらった酸素枕を使用。息が楽になり、鈍い頭痛もとれました。
ブルン湖↓で写真ストップ。素晴らしい風景に夢中になり、気がつけばバスが出そう。あわてて走り出そうとする私に添乗員さんがバスから降りて叫びます。「走らないで〜!!」ああ、そうでした。以前泥棒を追いかけた人が、走ってばったり倒れたという話を聞いたばかり...ハーハー深呼吸。
標高が高いので、セーターやコートも着て用心してきましたが、身の切られるように冷たい風が厳しく、寒くて震えがとまりません。湖畔の散策もそこそこにバスに乗り込みました。ここからさらに進むとクンジュラブ峠(4、943M)に到るのですが、私たちは元来た道をカシュガルへ戻りました。
2007.9 中国西域絹の道 カシュガルからウルムチへ(11) [2007秋シルクロード西域の旅]
さて、一路、この旅で最初に立ち寄ったウルムチへ(1時間半)。飛行機からの天山山脈の眺めはどこまでも続く岩や砂の織り成す奇景。西域の旅の終わりにふさわしい荒々しくも美しい大地。今までの旅ではどこにも観られなかった風景を目に焼きつけました。
ウルムチは新彊ウイグル自治区最大の街。ガイドさんの説明に寄るとここ10年くらいで玉蜀黍畑や羊の放牧地が一変、近代的な町並みに変わったそうです。ホテルに入る前に途中のレストランで夕食。
宿は5★の海徳酒店1泊
2007.9 中国西域絹の道 ウルムチ(12)北京経由で帰国(13) [2007秋シルクロード西域の旅]
久しぶりに豪華な5★の朝食をのんびりいただきました。写真はホテルのロビーとホテルの前の広場。
日本にも来た「桜蘭の美女」(紀元前18世紀)の他にも同時期の子供のミイラや紀元前8世紀のヨーロッパと蒙古の混血のすらっとした女性、同じくヨーロッパ系の男性、トルファンのアスターナ古墳(見学済み)から発掘された身分の高い役人のミイラとその生前を再現した人形など。桜蘭やミーラン古墳の大画面の写真や模型など、臨場感のある展示。
他には1995年にニヤ遺跡から出土された後漢時代(25〜220年)の上腕掛けの錦。青い地に黄色、白、赤、緑の配色。花、鶴、竜、虎などのオリエンタルな華麗な図案が素晴らしい。その他の織物も、雨の少ない自然条件が幸いして古墳墓の土の中で保存され、出土されたものが多く、最も古いのは紀元前2000年頃の毛織物でその織り方も多彩。そしてシルクロードの名にふさわしい前述した錦に代表される古代の絹織物。織り込まれた珍獣や花紋を眺めていると、自然に西域からペルシャを経て古代ローマまでの絹の道、そしてロマネスクにも通ずるオリエンタル文様の面影が見えてくるのです。
ランチは市内のレストランで。今夜は遅くに北京到着になります。ツアー最後のディナーが機内食という侘びしさになりますので、ここウルムチのランチが豪華版となりました。羊の丸焼きが堂々?と運ばれてきました。なるべく羊の顔を見ないようにして、コックさんがカットしてくれた肉をいただきました。味はまあまあ。本音は北京で本場の北京ダックが食べたかったです...。
チャイナエアーの酷い機内食にうへ〜食欲ゼロ。美味しくないとまったく口が開きません。今まで食べ過ぎたので、ここでダイエットと思うことにしました。(遅い!)
長安大飯店1泊
ツアーでは飛行機の座席の選択はできないのが不満なのですが、北京からは個人チエックなので夫も私も通路側を選べました。夫は心臓病の利尿剤のため、午前中はほぼ1時間〜2時間でトイレに行くことになるのです。チャイナエアーは特に座席間の余裕が無く、隣席の人に気兼ねをするのでほっとしました。
飛行時間2時間40分で関空到着。札幌便まで時間があるので、旭川から一人で参加されたDさんもお誘いして、旅の話をしながらゆっくりランチ。蕎麦と混ぜご飯のセットが懐かしい味。