2012年春の旅(12-2) ローザンヌ [2012春ブリュッセルからスイスとフランスの田舎]
5/4(金)
ローザンヌの駅前(ホテルの隣)にメトロの駅があります。RIPOONE駅で降り地上に出ますと、丘の上にノートルダム大聖堂が見えました。坂や階段を上るには空腹では困ります。近くでランチをとることにしました。
↓ 市庁舎の方向に坂を少し下がったところに良さげなレストラン
テラス席は人気で予約でいっぱいと、中に案内されました。日替わり定食のクスクス&サラダが安くって美味しかったです。
↓ 階段を上って、はあはあ~かなりな体力消耗
↓ あらら、また階段・・・
↓この後も木の階段が続き・・・ようやくカテドラルの正面へ
↓ 今はほとんどゴシック様式になっていますが、元はロマネスクなので、その痕跡を探します。
↓ 後陣は後期ロマネスク、大アーケードの浅い尖頭形アーチや2階のトリビューン、壁面に残されたニッチ、複合柱など。
↓ 南扉口に美しいゴシックの彫刻があります。「使徒の扉口」1230年ころ
↓ 「聖母の埋葬」の天使たちの稀に見る美しさ!
↓ステンドグラスもさすがに綺麗です
↓ 大聖堂の見晴らし台からはレマン湖まで眺められます。
木の階段を下りたところの道路で、TAXIを拾ってアール・ブリュットまで。
↓ Collection de L'Art Brut アール・ブリュット美術館 ここだけはスイスパスは使えなくて入場料は10CHF。
ジャン・デュビュッフェ Jean Dubuffetが提唱した芸術の形『アール・ブリュット Art Brut 』(英語では「アウトサイダー・アート」と意訳)。フランス語で“生の芸術”という意味の造語で、これまでの西洋芸術の流れを否定し、特別な芸術教育をうけず、技法や様式などの既成概念にとらわれない人々がつくりあげた純粋で無垢な芸術作品を評価したもの。
ジャン・デュビュッフェが集めた多数の作品が約200人の作品がローザンヌ市に寄贈されたことをうけて、18世紀の由緒ある邸宅をいかして美術館が1976年にオープン。デュビュッフェが、主に精神病患者や受刑者が病院や牢獄内などで描く作品を蒐集していたため、精神障害者のアートとも思われていますが、実際は社会から外れてしまった人たちが、自らわきあがる創作の欲求や心の癒しなどのため”秘かに、静かに、孤独に” つくっている作品全般を広くさしています。
初めてこの美術館の存在を知ったのはヘンリー・ダーガ―の展覧会がワタリウム美術館で開催されたころでした。http://www.watarium.co.jp/exhibition/0211_darger.html
このとき、ヘンリー・ダーガ―の作品がローザンヌにあるとBowlesさまに教えていただいてから、いつか訪れたいと思いながらほぼ10年・・・。ようやく来れました。ただし、企画展のため?ダーガ―の作品は展示されてなくて…残念。カメラ禁止。
照明を落とした黒い壁の展示室に、エネルギーに溢れた、既存の価値を否定した個性的な作品が並んでいます。作品の横にアーティストの写真、経歴などの小さなパネル。印象に残ったいくつかの作品を絵葉書で紹介します。
↓ Carlo(1918~1974) 「 Sans titre 」1961 50×70
↓ Aloise(1886~1964) 「Mickens」100×146
↓ Emille Ratier(1894~1984) sans titre,s.d H155cm
↓ Eugenio Santoro(1920~) 「L'Egyptienne 」1989 230×75×80
↓ Henry Darger(1892~1973) 「151At Jennie Richee. are lost in the wilderness in the dark」
ダーガ―は絵葉書だけになりましたが、画家や彫刻の制作過程の映像なども観ることができました。日本からの作品もありました。偏執的な作品もありましたが、全般に何物にもとらわれない自由な魂の叫びを感じつつ、近くのバス停から駅行きのバスでホテルに戻りました。
夕食はホテル2階のレストランで。ローザンヌ駅を眺めながらビール、サラダ、牛のオイルフォンデュ。
今夜でスイスのローカルな旅は終わり、明日はチューリッヒに戻ります。
2012年春の旅(13) ローザンヌ~チュリッヒ [2012春ブリュッセルからスイスとフランスの田舎]
5/5(土) Lausanne10:20→Zurich12:28
Ambassador Swiss Quality Hotel 1 泊
10時のチェックアウトまでのんびり過ごし、列車でチューリッヒに戻りました。5日ぶりのホテル、ずいぶん旅をしてきた感じで懐かしい・・・。スーツケースは前と同じ部屋にすでに運ばれていました。明日からはフランスに移動し、ハードな日程になりますので、夜のオペラまでランチの後は部屋で過ごしました。明日からの旅程に応じた洗濯や荷造りも観劇前に済ませました。
↓ コンソメスープと海老や貝のお皿
モーツアルト『羊飼いの王様』チューリヒ歌劇場 19:00~21:30
Il re pastore Mozart (Revival)
with German and English surtitles
Conductor/William Christie
Producer/production/Grischa Asagaroff
Set and costume
design/Luigi Perego
Choreography/Stefano Giannetti
Orchestra/Zurich Opera House Orchestra
With
Eva Mei
(Elisa, nobile ninfa di Fenice, amante d'Aminta), Martina Janková (Aminta,
pastore, amante d'Elisa), Sandra Trattnigg (Tamiri, filiuola del tiranno
Stratone, amante d'Agenore); Rolando Villazon (Alessandro, re di Macedonia),
Benjamin Bernheim (Agenore, nobile di Sidona, amico d'Alessandro)
席は最前列左のほう。とてもカラフルな舞台でロココ風の衣装も豪華でした。ヴァトーのシテール島を思わせ優雅。クリスティは何度か聴きましたが、モーツアルトは初めてかも知れません。とても良い演奏でした。モーツアルトの明るさが独り旅の寂しさを慰めてくれるようでした。
羊飼いの王様は6年前のインスブルック以来2回目です。エヴァ・メイの華やかなアリアと容姿の美しさに、やんやの拍手。ビッラゾンは以前のパワーはありませんし、時には高音も不安定になってハラハラ。それでも、頑張って歌いきるとファンクラブの方たちでしょうかブラボー!と彼を応援するので、ユーモアのある工夫された演技にも彼の人柄が表れて、好まれる所以だと思いました。ビッラゾンはパリデビューした2000年ころから聴いてますが、無理せずに歌っていって欲しいです。ヤンコーヴァやベルンハイムの若い歌手たちも溌剌とした歌と演技でした。ハッピーエンドも気分良く。。。休憩をはさんで2時間半の演奏なので、あっという間に終わった感じです。ご機嫌で劇場裏のホテルへ帰りました。夜食は昼間に作ったお赤飯のお握りなど手持ちのもので簡単に済ませ、就寝。
2012年春の旅(14) チューリッヒ~トゥール [2012春ブリュッセルからスイスとフランスの田舎]
5/6(日) Zurich10:40→ParisCDG-2G12:00→CDGTGV14:16→Tours(St-Pierre)16:40/16:55→Tours17:10
Hotel Val de Loire 1泊
これからの5泊はフランスの質素な宿になりますので、多分豪華な朝食はここが最後です。時間をかけてたっぷりいただきました。
チューリッヒ空港からパリまでの便はエール・フランスを使いましたが、空港は2G・・・荷物をいったん引き取って、バスでターミナル移動しなければなりません。TGV駅の上階に大きな荷物預かり所があります。ここは初めて使用しました。中型スーツケース5泊で42€でした。
↓ CDG空港駅(TGV)の荷物預かり所の内部
TGVでTourまでの列車は途中でかなり減速運転になり、40分も遅れてToursの郊外の駅St-Pierreに到着。この駅からToursの中央駅の接続が悪く、TAXIでサン・マルタン博物館に行かなければ間に合わないくらいのぎりぎりの予定でした。16:30閉館なので、これでは間に合いません。諦めて、十数分後の接続列車に乗りTours駅に到着。
2年前の酷い4☆に懲りて、今回は駅の近くの2☆。エレベーターもバスタブも無しですが、感じの良いプチホテルでした。
↓ 2階の部屋は裏に面して静か、窓外は樹木が茂っていて落ち着けます。
↓ レセプションもお洒落。夜は無人になりますので暗証番号を持たされました。
↓ この裏庭にホテルのオーナーの可愛らしい家が建っています。
↓ ホテルの朝食室 朝食はジュース、コーヒー、パンだけ。
↓ ホテルの前の通り
↓ トゥール駅の前を通って、サン・マーチン教会の遺構の見学に行きました。
サン・マルタンまで歩いて15分くらい。旧市街は今回初めてです。2年前に来たときはヴァル・ド・ロワールのロマネスク教会めぐりに疲れて、おひざ元はパスしたのです。気になっていたのと、明日からの上ポワチエへの途中になるので寄りました。
↓ 市庁舎の広場を横切って
↓ Basilique St-Martinはトゥールの道の最も重要な大巡礼教会でしたが、フランス革命のときに破壊されました。この写真の道路の部分も以前は堂内そうです。
聖マルタン(316~397)の墓所が巡礼の対象になり5世紀に壮大なバジリカが建設されました。9世紀後半のヴァイキングの襲撃と火災により焼失、1014年から新教会の建設が始まり11世紀末に完成。その後の火災でゴシック様式に再建されたものの、結局は革命により2つの塔だけが残りました。右に写っている教会は19世紀後半に再建されたものです。
↓ ミュゼは赤い看板を左に曲がったところ。サン・マルタンの柱頭彫刻などが展示されているようですが・・・。
↓ 突き当りが「シャルマーニュの塔」(北翼廊の塔)
↓ 中央の柱頭彫刻
↓ 塔の裏側から旧市街の賑やかな広場へ
この日はフランス大統領の選挙の日でした。結果が出る前の静かな夕食風景
駅の近くまで戻って夕食を済ませたころに、道路でオランド!オランド!と大騒ぎになり、ポリスがでてました。日本と違って国民投票なので、自分たちが選んだという実感があるのでしょう。
↓あまりおなかが空きませんので、前菜2皿(揚げ春巻きとフォアゴラという変な組み合わせ 笑)で軽く済ませ、ホテルに戻りました。
2012年春の旅(15-1) トゥール~二オール [2012春ブリュッセルからスイスとフランスの田舎]
5/7(月) Tours9:12→Saumer9:52(ter)/10:08→Thouars10:51(バス)....St-Jouin de Marnes....Airvault....Parthenay(TAXI乗り継ぎ)14:00→Niort14:47(バス)
Best Western Hotel De la Breche 1泊
今日の移動は計画段階で二の足を踏んだほど、交通手段をつかむのが大変でした。トーマスクックにも載っていないので、廃線になっていると思っていたSaumerとThouars間がまだ健在(ほとんどバスですが)なのを知った時から、このラインでポワトーに行ってみようと思いついたのです。
質素な朝ごはんですが、感じの良いサービス係のアジア人の中年女性がいて、他にお客さんがいないので、お喋り。インドネシアから10代のときに一家で移住してきたそうで、あちらでは家族ぐるみでお付き合いのあった日本人がいたそうです。だから日本人が大好きだそうです。どんな理由で故国を離れたのかは訊けませんでしたが・・・。私が咳をするのを親身に心配してくれて、優しい方でした。
駅は徒歩2,3分の距離ですから、9時にチェックアウト。列車でソミュールへ(11.2€)。グーグル・ストリートビューでチェック済みの駅の隣のバスターミナルにはすでにトゥアール行きのバスが待っていました(7.6€)。
今日も朝から良い天気です。思えば5/3からこの日まで、青空にも恵まれ、いろいろな意味でついていました。。。バスは↓ロアール川を渡り
↓ シャトウのある素敵な小さな町や村を過ぎ、終点のトゥアール駅に到着
ところが、グーグルのストリートビューではトゥアール駅前には何台もTAXIが停まっていたので、安心していたのですが、あらら!一台もいない・・・。駅の窓口の女性に頼んでTAXIを呼んでもらいました。そのとき、サン・ジュアン・マルヌに行くと言ったので、数分後やってきた運転手さんにそのあとエルヴォーもと言ったら、今日は孫娘を迎えに行くことになってるから、サン・ジュアン・マルヌだけしか行けないよ・・・でもそこはTAXIがあるから大丈夫と番号もメモしてくれて、親切でした。20Kほど青い麦畑と黄色の菜の花畑の広がる風景の中を走って教会の前で降車。
↓ San-Jouin de Marnes サン・ジュアン・ド・マルヌ修道院教会 4世紀初頭に隠修士ジュアンがこの地に棲んだことで信仰共同体が作られ、6世紀にベネディクト派の修道院を創建。1095~1130に現在みられる教会の大部分が建設されました。ポアトゥ様式のファサードと内部の柱頭彫刻を見学しました。
時々車の通る道路に面していて落ち着かない場所に建っています。管理人のおばさんが常時開けているようです。見学者は私だけでした。
↓ 中央扉口
↓ 逆光のうえ全体に薄汚れた感じで、良く見えません。近寄ってみるとかなり緻密に彫られていることが分かりました。
↓ 右/二人の農夫 左/天使(福音の象徴?)
↓ 左上/受胎告知 左下/聖ジュアン 円柱の上/サムソンとライオン
↓ 内部/三身廊の壮大な空間 周歩廊と3つの祭室
↓北側廊 管理人のおばさん
↓ 交差部から周歩廊へ。
↓ 内陣の天井は13世紀に改築されたアンジュ―・ヴォールト。
↓ 柱頭彫刻
↓ 天井の13世紀のヴォールト交差部にメダル風浮彫多数。 このスタイルは12世紀のフランス西部、特にアンジューで発展した「プランタジネットのヴォールト」と言われるもの。
写真は「聖ラウランティウスの殉教」
↓ 円柱の基部にも面白い彫刻が、つくつくぼうしみたい
↓ 南側から
↓ 後陣外観
さて、見学が終わり元の道を100mほど戻り、右に曲がると大きな広場があります。カフェで軽い食事をするつもりでしたが、1軒の小さなバールが開いているだけで、ワインやビール、コーヒーを飲む男性ばかりで食事をする雰囲気ではありません。コーヒーを頼んで、先ほどの運転手さんのメモを渡してTAXI を呼んでもらいました。店に入った時は無愛想だった娘さんは急にニコニコして、電話してくれました。そのはずです。やってきたのは友人らしい女性の運転手さん。子供の話などしているので、こちらも安心。優しい笑顔の「ボン・ボヤージュ!」に送られて気分よく、次の目的地へ。 続きます・・・
2012年春の旅(15-2) トゥール~二オール [2012春ブリュッセルからスイスとフランスの田舎]
5/7(月)
・・・続きです。
サン・ジュアン・ド・マルヌから南西に9キロでエルヴォーの町に着きました。後陣脇の駐車場で降りて眺めますと、あらら鐘塔が工事中・・・。
St-Pierre de AIRVAULT エルヴォーのサン・ピエール教会 トゥアールの子爵夫人アルデアルドによって創建。11世紀から12世紀そして13世紀にまたがって建設された印象深く壮大な教会建築。
↓ ファサードは12世紀、非対称な形をとっています。
↓ 目に付くのは左手北扉口上部の「馬上のコンスタンティヌス」とされる像。ずいぶん壊れた状態ですが・・・
↓ 中央扉口アーチに「ユダヤの長老」が勢ぞろいでお出迎えの浮彫
↓ ここも見学者は私だけなので思わず「綺麗!」と賛美状態のナルテックス。ポワトー地方でもユニークなものとか。中央の2本の四角の柱は10世紀のもので、サンティアゴ巡礼者のシェルターとしてここに建っていた名残です。
↓ 広大な中央身廊は12世紀ロマネスク様式ですが、天井は先ほど訪れたばかりのサン・ジュアン・ド・マルヌと同じように、アンジュ―ヴォールトと呼ばれる13世紀のゴシックで改築されています。新旧聖書からの場面がパラレル・キーストーン(傘状にある要石)の3か所に見られます。
↓ ヴォールトが壁面まで伸びて、そこにも彫刻
↓ 南側廊
↓ 周歩廊の天井
↓ 柱頭彫刻/馬上の3人と墓所
↓ 獅子の穴のダニエル
↓ 北翼廊にピエール・ド・サント・フォンティーヌの記念墓。1110年に亡くなったエルヴォーの初代司教とのこと。9人の浮彫はキリストと8人の使徒と思われる。12世紀。
↓ 祭壇前飾りの浮彫「荘厳のキリスト」12世紀
↓ 教会前南側に昔の回廊の一部が残っています。アーチは修道院のチャプターハウスの一画でした。ここから見る教会も静かな街の様子も忘れ難い風景です。
さて、ここでは見るべきものも多かったので、25KのParthenayまで、間に合わなければ次のバスと思ったのですが、5分前に到着!しかも目の前にバスが停まっていて、ぴったり間に合いました。Parthnayにもロマネスク教会があって、つぎのバスになると時間があるので、もしかして見られるかもと思ったのですが、2つの教会と移動だけで頭も体もフルに使い切った感じ。バスでもボーっとしているうちに二オールの大きな広場に到着。ホテルはすぐ近くなので、部屋に入ってしばらく休憩しました。
↓ 部屋は普通 バスなし
↓ 夕食はホテルのお勧めの広場近くのレストランへ。7時はまだオープンしたばかり。
↓ まず豚肉のリエットがたくさん出てきて、なんせランチ抜きでしたからパクパク
↓ 前菜にサーモンのカルパッチョ(二オール風?)
↓ 主菜は鴨肉のファルシー
なかなか美味しい夕食で、満足満腹でした。お勘定のときホテルの紹介だからと10%引きにしてくれました。外に出ると9時近くなのにまだ明るい二オールでした。
2012年春の旅(16) 二オール~ポワチエ [2012春ブリュッセルからスイスとフランスの田舎]
5/8(火)Niort10時半頃.....Melle....(TAXI)Niort16:25→Poitiers17:09(train)
Hotel Central 3泊
今日は朝から雨の生憎の天気になりました。それに憂鬱はお天気だけではすみませんでした。
9時半に荷物はホテルに預けてチェックアウト。ホテルから徒歩数分の二オール駅の横の停留所からバスでメルを訪れる予定でした。
↓ 雨の二オール駅
ところが時間になってもバスは来ません。昨日は駅前の通りにもバスが走っていましたが、バスは一台も通りません。どうやらスト?とホテルに戻って尋ねましたら、今日は軍隊の祝日(正式には戦勝記念日)だからバスは全休とのこと。え~っ!頭は真っ白になりましたが、ここでメルを諦めることはできません。TAXIを呼んでもらい出発。二オールからメルまでは30Kくらいです。帰りはメルのTAXIを頼むことにして、メルの町の中心(観光i)で降車したのですが、無情にもインフォは閉まっていました。グーグルアースの地図をプリントしてくるのを忘れてきましたので、どうしょう・・・。丘に上る手前でSaint-Hilaireらしい教会も通り過ぎましたし、何とかなるから頑張ろうと自らを励まし、歩き始めました。雨のなかをトボトボと・・・。
↓ すぐ近くにSt-Savinienサン・サヴィニアン教会がありました。ここも祝日なので?クローズ。この教会はメルのお城のための最初の礼拝堂として創設され、後に参事会教会になりました。フランス革命時には監獄として使用されたといいますから、なんとなく暗い雰囲気。身廊を支える4本のバットレス柱、方形の鐘塔、南側の翼廊に扉口。
↓ 道路に面した西正面。バットレス柱が4本
↓ リンテルに残るマンドーラのキリストと両脇にライオン。
↓ ライオンと怪物の怖い柱頭彫刻
↓ 後陣は坂を少し下ったところで撮影
丘の麓のサン・チレール教会までトコトコ・・・車の往来が激しい道路から美しい後姿が見えました。
Saint-Hilaireサン・チレール教会 サン・ジャン・ダンジェリから来た修道士によって創建。1090~1150年に建築。
雨に濡れてしっとりと美しい外観はポワトー・ロマネスクの名花といってもいいくらい。白いアイリスが咲いていました。右の扉が開いて、2,3人が出入りしているのが見えて安堵。
↓ 北扉口の上部に大きな壁龕「馬上のコンスタンティヌス」、足元に異教徒の彫刻。
↓ 北扉口のヴシュールには美徳と悪徳の寓意やゾディアック(月歴)が刻まれています。
↓西正面
↓ 再び北扉口から内部へ
↓ 三身廊、天井は尖頭形の横断アーチ
↓ 周歩廊のアーチは半円形
↓柱頭彫刻
今、 ブログ記事を書いていて、南扉口を見てくるのを忘れたことに気が付きました。。。涙
さて、ここからが大変でした。サン・ティレールに置いてあった簡単な地図をたよりに、サン・ピエール教会を目指しました。その前にいったん街の中に戻り、コーヒー&トイレタイム。ここで地図をみせて訊いたのですが・・・。迷いました。10分で行けるところを30分ぐらい坂道を登ったり下ったり、雨がかなり降っている昼間、歩いている人などいません。ヘトヘトになってしまい「どうしょう。。。」と、その時にSaint-Pierreの案内板が目の前にぽっと現われた感じで立っているのです。矢印の方向に道なりに行きましたら、ようやくその姿を「見っけ~!」心は躍りますが、足元はよろよろ(笑)
↓ 公園の緑の木々の向こうにひそやかに佇むサン・ピエール教会。さきほどのサン・ティレールに比べると、古びて地味な印象です。
Saint-Pierreサン・ピエール教会 メルに存在する3つのロマネスク教会のなかでは最も遅く12世紀初頭の建築ですが、後の時代の手が入っていないため、均質な様式が保存されたようです。それだけに神秘的な空間が広がって、心静かに鑑賞できる素晴らしい教会です。
↓ 南扉口 尖頭形ヴシュール、上部の軒持ち送り、上の壁龕。
↓ 後陣
↓ 内部は三廊式の身廊に南北5本ずつの複合柱が並んでいます。
↓ 「足に刺さった棘を抜く巡礼者」
↓ 「キリストの埋葬」
これでメルの3教会の見学も終わりました。ほっとすると同時に空腹感が・・・。先ほどの広場の近くにベトナム料理の店があったので、アジアンランチ。
↓ 揚げ春巻きと焼きそば 味はあまり美味しくないのですが、かなり流行っているお店で、中国系の若い娘さんのサービス係も感じ良くかったです。食事の後、タクシーを呼んでもらって、なかなか来ないと外まで見に行ってくれたりでした。
二オールのホテルまで戻り、預けた荷物をもらって列車でポワティエへ。雨もやみました。
↓ 9年ぶりのポワティエの駅。すっかり改装されてエスカレーターで丘の上へ。。。
↓ 。。。とは行かず、途中から階段。若い男性が途中からヘルプしてくださって助かりました。
↓ 市庁舎に面した2☆のホテル。部屋も広く、バスつき。
↓ 夕食はホテルお勧めのビストロへ。7時の開店と同時に入りました。
↓ 黒板のメニューを持ってきて、今日のお勧めは牛肉のタルタルわさび風味というのでオーダー。添えられた小さなキャセロールのポテトも美味しくいただいて。。。疲れたときは生もの食べたらだめと娘にも注意されていたのにです。
今回の旅の最終地ポワティエに辿り着いて気が緩んだのでしょう。この夜は無事でしたが・・・。
2012年春の旅(17-1) ポワティエ [2012春ブリュッセルからスイスとフランスの田舎]
5/9(水)
当初の予定ではこの日がサン・サヴァンなどの遠出の日だったのですが、昨日の雨の中のメル彷徨で疲労がピークに達してましたので明日に回し、今日はのんびり市内のロマネスク巡りに切り替えました。不幸中の幸いとはこのことと、後で知ることになります。
朝食は前日オーダーして指定の時間に部屋まで運んでくれるシステムです。パン、コーヒー、ジュースにヨーグルトがついた簡単なものですが、全然食欲がなくクロワッサンを半分かじっただけで、外出しました。
↓ 市庁舎の後の通りは広範囲にわたって大工事中。古い城壁?
↓ 徒歩数分でサン・ジャン聖堂が見えてきました。まだオープンまで時間があり
↓ 隣接するMusee Saint-Croixの見学を先にしました。
↓ 目指すは中世彫刻の展示室です。カメラもOKでしたので、張り切って撮影。まず入り口付近にあったプリミティブな象さん。ポワティエ市内に残るSant-Jean de Montierneuf教会にあったもの。
↓ オランスのポーズをとる人物 こういう置物は珍しい。旧蔵はどこか不明。
↓ 綱の絡まった文様も、2つ並ぶとゴージャスです。
↓いくつか並んでいたプチタンパンのうちの獅子
↓説明パネルも写してきたのですが、ピンボケで判読不能。
↓ 「La dispute」(口論)と呼ばれる柱頭彫刻 11世紀。サン・ティレール教会の近く司教館にあったもの。
↓ 上の柱頭彫刻の正面
奥の階段を下りて、古代ローマから初期キリスト教時代までの遺物を見学
↓ 「サント-ラドゴンドの書見台」 6世紀 木製
見学者の姿もほとんどなく、素晴らしい展示品の数々を堪能できました。
そして、1998年以来のサン・ジャン聖堂の再訪を果たしました。以前はカメラ禁止でしたが、今回はOKでした。見学者は私ともう一人だけでしたが、その方もまもなくいなくなって、心ゆくまでここの空間に浸りました。切符売り場のおばさんがまだいるの~みたいに見ていましたが・・・。
フランスで最古のサン・ジャン聖堂は4世紀に古代ローマの建築物を再利用して建てられました。ナルテックスは10世紀。左右に半円形の祭室のある中央部分に8角形の埋め込み洗礼漕。初期キリスト教時代は全身沐浴方式の洗礼を行っていたのです。
↓ 後陣祭室 四葉型のマンドーラの「荘厳のキリスト」4福音書記者のシンボル。このフレスコ画はロマネスク期よりも後の時代でしょう。堂内の壁画は12~14世紀に描かれました。
↓
↓ 日が高くなってきたからでしょうか、お気に入りの飛翔する天使が窓からの強い光でぼけてしまいました。
↓ 階段の上に入口。
↓ 後陣外観 建物が地面より低い位置にあることが分かります。
ここからほど近く、坂を少し下ったところ(道路の向こうはクラン川)のサント・ラドゴンド教会(初訪問)も見学しました。
Sainte-Radegondeサント・ラドゴンド教会 フランク王国のラドゴンド王妃が創建。6世紀にサント・クロワの修道院の教会になり、王妃が587年に死去し、大きな教会に改築されました。9世紀のノルマンヴァイキングの襲撃にあい破壊されましたが、王妃の墓は1012年に残っていることが確認され、教会は1099年に王妃を祀る巡礼教会として再建。
↓ 頂上に8角形の鐘塔
↓ 見取り図によりますと、玄関口と内陣、後陣が11世紀のロマネスク様式。身廊は13世紀に改築されています。
↓ 鐘塔玄関口の内部南壁にキリストの浮彫
↓ 北壁にラドゴンド王妃の浮彫
↓ 鮮やかな色彩の残る内陣部分
↓ 「アダムとイヴ」
修復時のペイントがこの教会にはどぎつ過ぎて、やや閉口しながら退出。王妃の墓の残るクリプトは見学不可?なのか気がつきませんでした。
↓玄関鐘楼を北方向から。左の丸い塔は螺旋階段。
↓ 後陣外観ですが、向こう側の高い塔は位置からするとカテドラルの塔でしょう。
ここから200mほど川沿いにサン・ジャンとは反対に歩き、左折してその名もGrande reuの長い坂道を800mほど登っていきます。このあたりから体調がおかしいと気が付きました。休み休み喘ぎながら、ようやくノートルダム・ラ・グランド教会に着きました。 続きます・・・
2012年春の旅(17-2、18,19,20) ポワティエ&帰国 [2012春ブリュッセルからスイスとフランスの田舎]
5/9(水)
・・・続きです。
ようやく辿り着いたノートルダム・ラ・グランド教会の周りはテラス席でランチを楽しむ人々が大勢ですが、まったく食欲がありません。
↓ 南側の広場には花屋さんが変わらずに営業中。
↓ いつ観ても素晴らしい~☆ 浮彫装飾で満載のファサード。
Notre Dame la Grande ノートルダム・ラ・グランド教会 僧院として名前が知られたのは11世紀に入ってから。ユグノー教徒や革命などによる破壊のあと19世紀に復元されました。三層に埋められた緻密な浮彫のファサードと両脇の塔のバランスの見事なことは他の教会を圧するほど。体調不良も忘れて気持ちも高揚します。
↓ 上の写真の右下隅 主題が分からないものも多いのですが、これはあるロマネスクのサイトでは「正義と平和?」とありました。先ほど訪れたサント・クロア美術館にも同じポーズのがありました。ほかには何処にあるのかしら?
↓ ファサードの中で一番のお気に入りの部分
↓左隅にアダムとエヴァの原罪、右はネブカドネツァル王~ 右端のキリスト降誕まで続きます。
↓ 後陣外観も眺めてから、さすがに体力も尽き、燃えカス状態になって教会内部に入って、ベンチで暫しの休憩。
↓ 内部の装飾は19世紀の修復時のもの。
↓ 内陣の天井には12世紀の壁画が残っています。
↓ポワティエの街角
↓パン屋さんでパンやチョコレートを買って、ホテルに帰って休むことにしました。
倒れるようにベットに横になり、2時間ほど睡眠をとると少し元気になりました。それで、徒歩10分ほどのサン・ティレール教会に行きました。
↓ 後陣側から右の階段を下りて行きますと、教会の北側は公園になっています。
↓後陣のモディリオンもパワフル
↓ 北側外壁にも面白い浮彫や柱頭彫刻
↓ 西正面ファサードの前はすぐ道路。実はここは14年ぶりの再訪なのです。初めてのときはツアーでしたし、ロマネスクに興味を持ち始めたころで、ここの教会はほとんど記憶にありませんでしたから、気になっていました。念願の訪問です。西正面はフランス革命で破壊され19世紀に修復されました。
St-Hilaire le Grand サン・ティレール・ル・グラン教会 聖イレーヌが350年にポワティエの司教になり、郊外の墓地に礼拝堂を建設。聖イレーヌの死後は彼を祀る墓所になり、11世紀中ごろに新しく建設され、12世紀には巡礼地として大勢の参拝者を集めた名教会。
↓ 内部は5廊式 複雑な身廊に戸惑う・・・。
↓ 南側廊 見取り図によるとここから翼廊、内陣までがロマネスク期の建築になるのかしら?
↓ 内陣/ 巡礼のための周歩廊と4つの放射状祭室
↓ 翼廊に柱頭彫刻
↓ 「聖イレールの死」
↓ 内陣に壁画
見学が終わりホテルに戻る途中民家の壁に浮彫彫刻「羊と鼠?」異教徒を踏みつけるキリストを表しているのでしょうか?この道は巡礼路だったのかも知れません。レストランやホテルの並ぶ賑やかな通りです。
帰る途中で、お腹の調子が変になってきました。今朝からほとんど食べていないのに・・・。
↓ 小路に見えたサロン・ド・テに寄ってお茶&トイレタイム。
お腹も落ち着き、ホテルに戻りました。そして始まりました…下痢と発熱。昨夜の牛のタルタルが原因でしょう・・・頭をよぎるのは日本で最近あったユッケなどの生肉中毒死事件です。救急車を呼ぶ事態になっても、この2☆のホテルは夜間レセプションは無人なのです。ポワティエで死ぬのかな。。。笑いごとでありません。
ただ救いだったのはお腹の痛みがひどくなかったことと、翌日の遠出はあきらめて、一日静養できることでした。
5/10(木)
不安な夜を過ごし、朝になりました。お掃除にきたサービスの方にマラードだからといって、タオルだけ取り換えてもらい、ほとんどはベットの中で過ごしました。夕方になって、ようやく熱もお腹も治まったので、これでなんとか明日は日本に帰れそう~。熱いお湯をもらって、持参のレトルトの梅粥を少しずつお腹に流し込み、様子をみながら・・・。
5/11(金)Poitiers8:18→ParisCDG210:45/13:30→
帰国の朝になりました。気力でゴーって感じで、7:30にチェックアウト。丘からの階段の後は下りのエスカレーターが見当たらないので、坂道を降りて駅へ。
↓ 朝のポアティエ駅
TGVでシャルル・ド・ゴールのターミナル2まで。TGVの駅からエスカレーターで昇ったところに荷物預かり所(なんて便利!)、スーツケースをピックアップして、ターミナルEまで移動。帰りの飛行機はエールフランスの共同運航便でした。ラッキーなことに機材はA-380。総二階建ての大型エアバスです。搭乗ゲートを進むと二階席まではエスカレーターというのは初体験でした。ビジネスクラスは全席2階で、2-2-2の配列は余裕があり良かったです。ただ普通の毛布なので寒くて、隣席が空いていたので、2枚使いました。キルティングのほうが肌触りも良いし、暖かくて良いのに・・・。
来るときに乗ったJALに比べると、食事が美味しくないのもかえって好都合(セーブしなければなりませんから)でした。ワインとチーズは惜しかったけれど・・・笑。
5/12(土) →成田8:00/10:25→札幌12:10
↓ 成田に着陸してから撮ったエールフランスのA-380
消化に良さそうなものを、少しずつ食べながら、無事札幌の我が家に帰ることができました。2K近く体重が減っていました。ほぼ4日間断食修業したと思って、1日ふいにしてしまったポワティエからの遠出のことは忘れましょうか・・・でも、涙。 <終>