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2009夏仏、伊、スイスのロマネスクを巡る旅 ブログトップ
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2009年初夏の旅15(サン・モリッツ→ミュスタイア→マッレス) [2009夏仏、伊、スイスのロマネスクを巡る旅]

5/22(金)

St・Moritz12:04[電車]---Zernez12:48/13:15[バス]---Mustair14:21/16:21[バス]---Malles16:46

Hotel Carni(zum Hirschen)1泊

サン・モリッツの出発を予定より3時間延ばして、朝10:00の開館にあわせてセガンティー二美術館へ。昨日訪れていますので、余裕でフット・パスを歩いて行きました。野の花(高山植物でしょうか?)が咲き、リスも姿を見せました。そういえばリスは昨日も挨拶?に現れてました。昨日今日と2往復して出会ったのはジョギング中の女性ひとりだけ。周辺は優雅な邸宅やホテルですから、危険な感じはまったくありません。

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ホテルの朝食室で日本人のグループ(10名ほど)に会いましたが、その方たちが車道に立っているのが上のフット・パスから見えました。こんなに素敵な山道があるのにバスで来たようでした。そして現地係員を外で待っている様子です。

その間に先に入館して、展示室ではなるべく一緒にならないように気を遣いました。どうしても日本語の説明に耳が反応してしまいますから。たまに意地悪な方もいて、聞くともなしに聞いていると睨まれたりしたことも・・・。ここで一緒になったグループは少人数でおっとりした方が多く、嫌な思いはしませんでした。

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1階と2階に展示室が分かれています。2階は三連祭壇画にあわせてドーム天井のチャペル風の展示室になっています。カメラ禁止なので絵葉書から。

↓ セガンティー二が1899年に亡くなる寸前まで製作に打ち込んでいた3部作(生成~存在~消滅)のうちの消滅または「死」と呼ばれる作品。凍てつく谷での葬送は哀しい光景ですが、朝日の昇る青い空と幻想的な雲が、循環するすべての命をやさしく包んでいるかのようです。

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↓ 「海を渡るアヴェ マリア」(1886)  フット・パスの看板にもなっていたこの作品は、キリストの聖家族を思わせます。解説によりますと新印象派の最新技法を試みて描かれたといいます。湖面のきらめく青が美しく、夕日の湖上のさりげない日常生活が神聖な情景へと高められています。ザンクトガレン美術館からの貸し出し。(個人蔵の委託)サン・モリッツにいつまで展示されるのでしょう。これを観ることができて、ラッキーでした。

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↓ 「アルプスの真昼」(1891) 青い仕事着の羊飼いの娘が残雪の山々を背景に立つ、いかにもセガンティー二らしい作品です。大原美術館に同一主題の作品があるとのことです。この絵画もザンクト ガレン美術館からの貸し出しです。

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素晴らしい展示品の数々です。ここまで来た甲斐がありました。もと来た道を戻り、ホテルまで。駅まではここのホテルの送迎サービスを利用しました。昨日到着したときも電話をすれば、お迎えに来てくれたようです。勿体無いことをしました。駅でサンドイッチを買い込み、次の訪問地のミュスタイアへ。

スイスのポストバスのHPはとても良く出来ています。出発地をSt Moritz、到着を Mustair Clostra San Jonと入れると乗換えを含めたタイムテーブルが出てきます。

http://www.postbus.ch/

↓ 列車でZernegまで。駅の前がバス停になっていて、少し時間がありますのでトイレタイム。(駅のトイレは有料) カフェでお茶をする人もいます。

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バスはスキー場や登山のリゾート地としても有名な国立公園の谷間を縫って、約1時間走ります。雪山と緑の谷のパノラマが続き、素晴らしい景観です。

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ミュスタイアの聖ヨハネ女子修道院 Mustair/Convent of St John

ミュスタイアの村を抜けたところに修道院があり、道路を隔てて大きな駐車場でバスを降ります。門を入り左の建物にブックショップ兼チケット(ミュージアム)売り場があります。ロッカーはないので売り場の人の許可をもらって、片隅に置いてもらいました。二つ返事で気持ちよく預かってもらえました。

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↑ 門から突き当たりが教会です。門の右脇に建つザンクト・ウルリッヒ礼拝堂は工事のシートに覆われ、見学不可でした。

大小3つの半円の後陣、建築当時は方形の単身廊でしたが、15世紀に三廊式に改造されています。

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788年、交通の要所だったこのミュスタイアの谷にシャルルマーニュはクール司教に命じて修道院を創設させます。シャルルマーニュはランゴバルド王国を征服して、イタリア進出を狙っていたのです。この数年はランゴバルド美術に関心があり、北イタリアのいくつかの故地を訪ねていました。この地も縁があったのですね。

↓ 後陣の内壁には12世紀後半の壁画で飾られています。強く明確な線描と赤を主体に多彩な色調が見事です。

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↓ 中央後陣の半円蓋に「荘厳のキリスト」

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↓ 下段に「ヘロデ王の饗宴」

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↓ 右小後陣の下段に「聖ステファノの殉教」

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南北の壁面は9世紀の初頭に描かれた壁画で埋め尽くされています。主に新約の場面のようです。

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↓北壁面の「エジプトへの逃避」(絵葉書)

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↓ 北壁面のレリーフ「キリストの洗礼」

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ミュージアムの入り口は後陣の反対側の修道院へのドアの呼び鈴を鳴らします。随時案内係のシスターがつくようですが、私はドイツ語はまったく分かりませんので、フリーでお願いしました。

↓ 展示室には壁画や浮き彫り彫刻など見応えのあるものばかりです。下のフレスコ画は聖母マリアでしょうか?

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↓ ミュスタイアの「神の子羊」

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見学が終わり、荷物を受け取って駐車場脇のバス停へ。ところが私の調べていったバスが来ません。30分待合の椅子に座っていました。マイカーで来られた方が困っている私を見て、心配して声をかけてくださるのですが、あいにく反対方向なので乗せてはもらえません。(涙)

次の便までまだ1時間半もあります。しょんぼりと駐車場の傍にあるホテル(一角獣ホテルという名前!)のテラスカフェでお茶していましたら、ここのご主人がマッレスならもうすぐバスが来るよというのです。慌ててバス停に戻って、待っている人に確認しましたら、マッレス行きに間違いありません。結局のところ、私が調べていた時刻表から変わっていたようなのです。毎日運行と不定期が逆になっていたのです。やれやれとバスに乗り込みました。

国境は数分のところで、係員の姿は見えましたが、バスは素通りで無事イタリアに入国。イタリアとはいえマッレスからメラーノの南チロルはドイツ語がほとんどです。

マッレスの鉄道駅に隣接するバスターミナルに到着。さて、泊まる予定の駅近くのホテルは予約の電話を昨日も入れましたが、応答がありません。その筈です。閉鎖されていました。「が~ん!!それならHPをネットに載せないで!!」

でも、Google earth ではこの近辺にもホテルがあったはずです。折からのカンカン西日が荷物を引きながら坂道を登る私に容赦なく照りつけます。どんなホテルでも良いからと、道行く人に「近くにホテルありますか?」と尋ねてもモンテモンテ、センプレデリットというばかり。

息も絶え絶えにずいぶん歩きました。住宅街を抜けるとお店の並ぶ小さな広場に出ました。1階がバールで2階がホテルのフロントと教えられ、最後の力を振り絞って階段を登ってますと、後ろからここのご主人が来て、荷物を運んでくれました。テノールのアントニオ・シラクーザに似た優しい顔立ちの方です。空き室は45€(朝食付き)ですと、何故か気の毒そうに言います。(100€でも泊まるわよ)

バスタブはついていませんが、お部屋は広くて清潔です。

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時計を見ると17時をまわっています。夕方訪問予定だったモンテ・マリアの修道院にはもう間に合いません。せめてこの町の散策をしなければと、さっきまで死にそうだったのに1時間ほど休むと元気になり、出かけました。

ヴェノスタ渓谷の町マッレスはスイス国境に近く、古い歴史があります。町を流れる清流の向こうにそびえる12~13世紀の円筒形の塔と廃墟の城を観に行きました。

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町の民家では豚や牛を飼っている家もあり、家畜の臭いが漂ってきました。ふと小さかった頃を思い出しました。田舎の小さな町の実家でも羊を飼っていた時期がありました。祖母がその綿羊の毛を紡いで、毛糸にしてからセーターを編んでくれたことなど・・・懐かしさで胸がいっぱいになりました。

独りでこの北イタリアの小さな町にやってきて、佇んでいる私と想い出の中の幼い私とこれからより老いていく私。過去、現在、未来が今朝観てきたセガンティー二の3部作と重なりました。

ホテルのご主人お勧めのレストランで軽くサーモンとアスパラガスのスパゲッテイ一皿とデザートの夕食。味は普通。

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今日は大変ハードな一日になりました。なんとか乗り切れたことに感謝しながら眠りにつきました。そして翌日もまた・・・。

 

 

 

 

 


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2009年初夏の旅16(マッレス→ナトゥルノ→メラーノ) [2009夏仏、伊、スイスのロマネスクを巡る旅]

5/23(土)

Malles[バス]---Burgusio[バス]---Malles13:03[電車]---Naturno13:50/16:17[電車]---Merano16:43

Hotel Residence Flora 1泊

マッレスの鹿ホテル3★は今回の旅では一番安いホテルでしたが、朝食は4★も及ばない美味しさでした。ホテルの前にとても繁盛している肉屋さんがあったのですが、生ハムやサラミは多分ここから購入しているのでしょう。パンやアプリコットのジャム、席についてから運ばれるエスプレッソなど、心のこもった朝ごはんに大満足でした。若主人の趣味で集められたこの地方のアンティークなストーブなどが廊下を飾っています。客層はほとんどが常連客のようで、リタイアしたドイツ人のご夫婦が多く、山歩きを愉しむ方たちです。

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↓ 鹿ホテル外観

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(i)もホテルの2,3軒隣にあります。モンテ・マリア修道院のクリプトはやはり5時半でなければ入れないそうです。昨日はホテル探しに手間取らなかったら、訪問できたのですが・・・残念。ブルグジオまでのバスの時間や乗り場などを教えてもらい、そのままここから徒歩5分ほどのサン・べネデット教会へ。

町外れに建つ9世紀の小さな教会です。単一窓と二連窓のある鐘塔は12世紀のもの。教会の内部を飾るフレスコ画はカロリング朝のもので、数少ない重要な作品とされています。元はミュスタイアの修道院に属していました。

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10:00オープン数分前、既に先客が二人。管理人さんが定時に来て鍵を開けてくれます。(有料)

後からドイツ人の団体客が来たので、狭い教会内は混雑しました。内部はカメラ禁止。

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↓ 絵葉書より。東壁の祭壇のニッチは馬蹄形で、とても印象的です。中央のニッチにはキリストが2天使とともに立ち、両サイドのニッチにはグレゴリー大司教と聖ステファノの姿が描かれています。

ユニークなのはニッチの間に描かれた創設に関わった二人の領主の姿です。

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↓ 絵葉書(上の2領主)右の人物は教会のモデルを持ち、左の人物は力のシンボルである剣を持っています。このような宗教とは無関係な世俗の衣装の領主の肖像画はヨーロッパでは唯一の例といいます。優れた写実的な描写、そして色彩もカロリング時代にしてはかなり残っています。北壁にもサン・ベネディクトの生涯などのフレスコ画が認められます。20世紀になって再発見されるまで、倉庫として使われていたそうです。

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マッレスの町にはロマネスク期の教会は他にもあったのですが、鐘塔だけを残し教会は壊れてしまったようです。ブルグジオへのバスが小高いところを走り、サン・ベネディクト教会に似た方形の塔が3~4本見えました。

ホテルの近くの教区教会(ゴシック)の広場からミニバスに乗り、ブルグジオへ。サン・ベネディクトの管理人さんがここから歩いても30分と教えてくれたのですが、暑いので無理と判断しました。

バスで数分も走るとブルグジオの山の中腹にモンテ・マリア修道院が遠望できます。村の入り口付近でサン・ニコラス教会への看板を見つけ慌てて降車。ところが迷ってしまって、暑いさなか坂道を登ったり、降りたり、野良犬に吠えられたり(超怖かった)・・・散々な目に遭いながらようやくたどり着きました。ネットで調べた教会のトップは煉瓦色でしたから、余計に間違えてしまったのです。

サン・ニコラス(二コロ)教会は12世紀末から13世紀初頭にかけて建設された小さな教会です。モンテ・マリアの修道院に属していました。方形の鐘塔の下が後陣で、深いアーケードの祭壇が置かれた付近に壁画が描かれています。

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しかし、無常にも扉は閉ざされています。ここで観るべきものは内部の壁画ですから・・・。(涙)扉の右に鉄格子のはまった窓があり、のぞいても中は真っ暗です。

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仕方ありません。カメラを差し込んでフラッシュ撮影しましたが、ピンボケです。アーケードの天井に「荘厳のキリスト」、右下の女はセイレーンでしょうか。

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↓ 左上にモンテ・マリア修道院が見えます。疲れも吹き飛ぶ美しい景観でした。

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↓さきほどのバス停付近から撮影。時間の余裕もありませんが、この暑さでは修道院まで登る気力も失せて、昼ごろのバスでマッレスへ戻りました。

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ホテルで荷物を受け取り、来たときは大層難儀した1キロほどの坂道を駅まで歩きました。下りは軽くクリアしました。駅のBARで軽食のランチをとり、電車でナトゥルノへ。↓ はマッレスの駅(終着駅)です。

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↓ナトゥルノ駅(無人駅)

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さて、これからが大変です。予想通り、駅にはロッカーもなく、タクシーもいません。覚悟を決めて歩き出しました。このとき駅のホーム右側に貸し自転車屋があるのに気がつきませんでした。自転車の一時預かりと思ってしまって・・・。でも、荷物を預かってくれないと、載せては走れませんから無理でした。

橋を渡り、昼下がりの灼熱の太陽(まだ5月ですよ~)が照りつける町を中心街に向かいます。途中でであった年配のご夫婦に(i)はまだ先だし、今日は土曜日で閉まっているからどこかカフェにでも預かってもらったら?というアドバイスです。10mほど進んだところに素敵なカフェバーがあり、テラスでは若いお客さんが楽しそうに座っています。思い切って中にはいりご主人に頼んでみました。二つ返事で快く引き受けてくれて、事務室に預かるよと奥の部屋に荷物を運んでくれました。若いご夫婦で経営しているらしく、とても繁盛しています。サン・プロコロ教会は2時半のオープンなので、生ジュースで喉を潤し、一休みしてから出発です。↓ 町の中心に向かって

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さらに進み、突き当たりを右に道なりに進んでいきます。町の中心から数分で、右側に大きなホテル、その前の墓地の駐車場の小道を左折すると見えてきます。

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まだオープンまで数分ありましたので、向かいに建つミュージアムへ行ってみました。両方共通の入場券を購入しました。教会だけの見学ですと、教会の中でチケットが買えます。

ナトゥルノは古代ローマからの街道の宿場で、サン・プロコロ教会はヴェノスタ渓谷の最古の教会として7世紀から12世紀に建てられました。20世紀になってゴシックの壁画の下から古い壁画が発見されたのが、「ブランコの聖人」として一躍有名になった8~9世紀の壁画です。この小さな聖堂に壁画目当ての見物客が続々やってきます。見学の終わるころは人数制限をしていました。

写真にははっきり写っていませんが、外壁に15世紀のフレスコ画が残っています。

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南側面の中段に「ブランコの聖人」。大胆な線描と色彩ははっとするほど新鮮で生き生きしています。ユーモラスな大きな目の表情もドラマティックです。この作風はアイルランドの細密画からロンバルディアを経て伝播したと言われています。

聖プロコロは4世紀のヴェローナの司教で、異教徒がヴェローナを攻めてきたとき、ロープを伝わって城外に脱出したというエピソードが残っています。決死の脱出行の場面で、遊んでいるわけではないのですが・・・。上は手助けした弟子たち。

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↓ 聖人の脱出を見守る女性たち。自分たちも危ないのでは?

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↓ 北側面の天使。

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内陣側はゴシックの壁画です。

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美術館を見学した後は荷物を預けたカフェバーに戻り、ビールで喉を潤し、少しですがお礼をして駅に戻りました。親切な方たちに出会って、無事に念願の壁画を観ることができました。こんなに嬉しいことはありません。にこにこしながら電車に乗ってメラーノへ。

メラーノはPassirioパッシリオ川が町を横切る、緑の多い保養地のような穏やかな町並みが続きます。ホテルはそのパッシリオ川の畔にあるリゾート風のプールつきの宿です。

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↓ キッチンと食堂がついてます。ベットルームから出られる広いベランダには洗濯物干しも。

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とても快適な滞在が出来ました。川沿いの散策も楽しい素敵な町です。

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↓ 町の中心にテアトロ

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夕食はホテルに近いカジュアルなイタリア料理店へ。思いがけず、ここはサルデーニャ料理の店でした。懐かしきサルデーニャの薄いパン、ウイキョウの薄切りにボッタルガの前菜、パスタ。とても美味しい食事でした。

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寝る前にシャワーを浴びていると肩がひりひりします。今日はかなりの日焼けをしてしまったのです。メガネの縁に汗疹も出来てしまいましたが、充実した一日でした。熟睡。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2009年初夏の旅17(メラーノ→ヴェネツィア) [2009夏仏、伊、スイスのロマネスクを巡る旅]

5/24(日)

Merano14:15[電車]---Bolzano14:59/15:31[電車]---Venezia18:10

Hotel Abbazia 3泊

今日は午後からの列車でヴェネチアまで移動します。当初は途中バッサーノ・デル・グラッパに寄り泊まるつもりだったのですが、ウィーンのオペラを観たくなって、日にちの余裕がなくなり、一気にヴェネツィアまで南下することになりました。

午後の出発までメラーノ郊外のチロル・ドルフのお城Castel Tiroloの見学です。バスの時間や停留所などはホテルでもらった時刻表で確認できたのですが、理由はわかりませんが、時間になってもバスは来ません。どうやら間引き運転をしていたようです。諦め半分で怒ることもない他の観光客とともに、ようやく駅前から出るバスに乗れたのは11時近くでした。荷物をホテルに取りに行く時間を考慮すると、ぎりぎりです。30分ほどでチロル・ドルフに到着。ここからお城までは自動車の入らない山道を20~30分歩きます。

↓ バス停から教会の方向へ

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↓ レストランや土産物屋さんなどの並ぶ通りを抜けると展望が開け、お城が見えてきます。

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↓ 最後の坂道を汗をかきかき登りました。

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↓ 入場料を払いますと、展望台へ行くように勧められました。標高647mに建つ城は12世紀に築城され、14世紀にはパプスブルグ家に渡りました。メラーノの谷の眺めはもちろん素晴らしいのですが、私の目的はあくまでもロマネスクなので、左の建物の2連窓あたりに、目が・・・。

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↓ まずは一番古い地下のチャペル(クリプト)の遺構の見学

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↓そしていったん外に出て、階段を上り2階へ。

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↓ 階段ホールの半円アーチの窓(ガラス入り)の彫刻。

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↓ Palace Portal (1138)パレスホールへの扉口は12世紀のロマネスク彫刻で飾られています。

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↓ 3重のヴシュールの外側の中央に獅子の穴のダニエルとタンパンに大天使ガブリエル(絵葉書)

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扉口から大ホールに入ります。左にChapel Potal(1138) 礼拝室への扉口、ロマネスクの作品です。奥のチヤペルの祭室を飾る壁画は14世紀のものです。

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↓ タンパンに「キリストの十字架降下」 (12世紀前半)

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左側柱脇ににサムソン

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↓ 左側柱の柱頭に出臍の人魚

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大ホールのアーチ窓を飾る柱頭彫刻

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チロル城の番犬?は門のど真ん中で入館者をチェックしています。

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帰りは暑くて寝ていましたが、やはりこの場所は譲りません。

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南チロルの民族衣装を着た地元の方々。

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バス停に戻り、時間通りにやってきた(間引かれなくて良かった!)バスで駅まで戻り、徒歩数分のホテルへ。荷物を受け取り、列車に乗りました。

ボルツアーノで乗り換えヴェネツィアへ。冷房の効かないコンパートメントですから、窓を開け放してようやく、ちょっぴり涼しくなりました。始発は北ドイツ?革ジャンを着た男性もいて、びっくり!!

ヴェネツィアは10年ぶり4回目の訪問です。駅舎は改装され立派になりましたが、とにかく凄い人、人・・・。その混雑をかき分けてサンタ・ルチア駅から2,3分のホテルにチェック・イン。

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部屋は広めで、ベットもダブルサイズ、窓のある明るいバスルームで及第点でした。

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元修道院の面影を残すロビーは素敵です

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夕食はホテルで紹介された近くの運河に面した大きなレストランで。味は普通ですが、値段はヴェニス価格・・・。

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前菜は海老のカクテルに白のヴェネトワイン、パスタとデザート。

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冷房も程よく効いた部屋で熟睡。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2009年初夏の旅18(ヴェネツィア) [2009夏仏、伊、スイスのロマネスクを巡る旅]

5/25(月)

VeneziaS.L10:00---Murano10:19/12:19---Brano12:52/13:05---Torcello13:10/15:10---Burano15:15/15:30---Venezia16:40

ヴェネツィアも真夏並みの猛暑で、朝から太陽がぎらぎら照って、そのうえ凄い数の観光客です。ここは不況も新型インフルエンザも、まったく影響なしです。

サンタルチア駅前からの水上バスも大混雑ですが、昨夕3日間のヴァポレット・パスを購入済みでしたから、なんとか乗り込めました。1日でムラーノとトルチェッロを訪れるために、悪い頭を振り絞って、ヴィポレットの時間表をチエックしたのですから、乗れなかったら大変と気迫は充分です。

ムラーノ島は10年前に一度訪れていますが、その時はホテルの勧めで、水上タクシーの送迎つきでガラス工場の見学をしただけでした。今回は見逃していたビザンティン=ロマネスク様式の教会が目的です。

Se.Maria e Donato サンティ・マリア・エ・ドナート教会

MUSEO(V)で降り、運河沿いの小道を辿ります。ヴェネツィアンガラスのショップや博物館も素通り・・・まもなく見えてきました。

創建は7世紀ですが、9世紀には改築され、12世紀の前半に現在の姿になりました。

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まず、目に付くのは上部の小開廊と下部のニッチの施された後陣外観です。鐘楼は南側に離れて建っています。

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↓ 煉瓦色の濃淡と白い大理石の浮き彫りの組み合わせ、三角形の連続するデザインはリズミカルで、華やかな印象を受けました。しかし、暑くて長い時間は立っていられません。くらくらしながら写真を撮りました。

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↓ 内部は三廊式で、木組の天井に半円形の大アーケード。円柱と柱頭は大理石で、アカンサスやパルメット文様のビザンティン風な柱頭彫刻です。

南側から入ったので、カメラ禁止の注意書きに気がつきませんでした。撮影されている方も多くいましたので・・・。

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後陣の半円蓋に残る「聖母マリア」のモザイクは13世紀のもの。青い衣の聖母は両手を小さく広げた祝福のポーズですが、慈母的な表情からは遠く、寂しげに独り立っています。

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↓ 床は12世紀のモザイクで埋め尽くされています。写真は宗教的な寓意を持つ「聖杯から水を飲む孔雀」です。

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↓ 西正面全景 ロンバルディアロマネスクの伝統が見られます。

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↓ 後陣側の橋を渡り全景をカメラに収めました。

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この日はジェラートを食べたり、ジュースを飲んだり、水分補給とこまめな休憩をとることに留意しながら歩きました。Colonna(V)に戻る途中、日陰を求めてたまたま入った教会(サン・ピエトロ・マルティーレ教会)にジョバンニ・ベッリーニの「聖母子と諸聖人」を発見しました。(絵葉書)

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ブラーノで乗り換えて、トルチェッロ島へ上陸。水路の脇の道を歩いていきます。気温は35度くらいはあったでしょう。体の水分がどんどん蒸発していく感じがしました。

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ヴェネツィア最古の教会といわれるCateedral di Santa Maria Assunta サンタ・マリア・アッスンタ聖堂が見えてきました。鐘楼は修復中のようです。

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↓広場の奥がサンタ・マリア・アッスンタ、右はサンタ・フォスカ教会です。

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トルチェッロ島はヴェネツィア本島よりも歴史は古く、5~10世紀は重要な島でしたが、マラリアの蔓延により人々は他へ移住してしまいました。当時の繁栄を物語るのは教会のみです。本島に比べると格段に観光客は少なく静かです。

サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂は7世紀の創建ですが、9世紀に一部改築され、11世紀初頭の拡張工事で現在の姿になりました。

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内部は有料ですが、カメラ禁止なので絵葉書をスキャンしました。三廊式のバジリカ形式で、半円形アーチを頂く大アーケードの円柱と柱頭はムラーノのサンテッシマと同様に大理石が用いられています。

木組天井を仰ぎつつ、内陣の障壁の浮彫、そして後陣中央の窓の上部の半円蓋に青衣を纏った聖母のモザイクがあります。12世紀から13世紀の作品とのこと。12使徒を下段に従え、金のモザイクを背景に幼児キリストを抱く姿はいかにも神々しく、慈愛に満ちていますが、厳粛な表情です。

須賀敦子さんのエッセイに書かれた「・・・これだけでいい、そう思うと、ねむくなるほどの安心感が私を包んだ」との名文で知られた聖母像です。このヴェネツィア湾に浮かぶ離れ小島の古い教会の空間に独り佇む須賀さんの姿がふいに目に浮かびました。残された時間を数える年代になって初めてわかることも多くなります。でも、この聖母を見て「これだけでいい」とは思いませんでしたが・・・。(汗)

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聖母の右頬に大粒の涙

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↓ トルチェッロの「神の子羊」後陣右の礼拝室の天井ヴォールトの中心(12世紀)胸に提げているのは茨でしょうか?聖母と同様に目に涙が・・・。

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↓ 後陣反対側正面の壁には最後の審判のモザイクがあり、下部の扉口タンパンにオランスのポーズの聖母。

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↓ 聖堂正面の玄関柱廊から円形の洗礼堂跡地を見たところです。

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↓ 隣接するサンタ・フォスカ教会は回廊で大聖堂と繋がっています。11世紀にの終わりに建てられた後期ビザンティン=ヴェネツィア・ロマネスクの教会建築です。円錐状の屋根と八角形のポルティコが建物を取り囲んでいます。

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内部はドーム状の天井に大理石の白さが清楚なこじんまりとした空間です。賛美歌がスピーカーで流されていました。

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博物館には入らず、教会広場近くのレストランでランチにしました。ヴェニス風アンティパストの盛り合わせを頼みましたら、量が多いよというので、これだけで良いかしら?といって一皿のみ。デザートはアイスクリームです。広い芝生のテラス席で。日よけはあるものの暑い!!!

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適度な量の海の幸ランチを美味しくいただきました。気がきくカメリエーレ氏に多めのチップを渡して、帰途に着きました。乗り換えのブラーノから直接本島に行く臨時便があり、ラッキーでした。

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↓ 10年前に娘と泊まったホテルがヴァポレットを降りたところにありました。

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この近くのバールで一休みしてから、大運河を周ってサンタルチア駅へ、ホテルに戻りました。暑さと疲れのためでしょう、あまり食欲もなく、夕食は簡単部屋食で済ませました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2009年初夏の旅19(ヴェネツィア) [2009夏仏、伊、スイスのロマネスクを巡る旅]

5/26(火)

ホテルの朝食室には日本人のカップルやファミリーの観光客がちらほら見えました。このホテルは駅が近いので個人旅行者に便利な宿です。朝ごはんも3★にしては良いほうでしょう。半熟のゆで卵の茹で加減もGOODでした。

今回の旅は全般に朝ごはんの美味しいホテルが当たりました。マッレスの45€からパリ・シャンゼリゼの260€までお値段はバラエティに富んでいますが、苦行もあったわりに元気に過ごせたのも、それぞれ快適な宿に恵まれたことも大きかったと思います。パリ3泊がダントツ高かったのですが、田舎周りも多かったので、平均135€といういつもの予算に収まりました。

今夜から4夜連続のオペラ観劇のスケジュールですから、のんびり市内観光をしました。まずはサンマルコ寺院の見学と思いましたが、見学者の列を見て早々に諦め、カルパッチョVittore Carpaccioの連作のあるサン・ジョルジョ・デリ・スキアヴォー二同信会館へ。サンマルコ広場から、何度も地図を開いて確認しながら、運河の道を10分ほど歩き到着しました。ヴェネツィアの裏通りは絵になる景色が多く、カメラに収めるのが忙しいのですが、楽しい散策でした。

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↓ サン・ジョルジョ・デリ・スキアヴォー二同信会館が見えてきました。[Scuola Dalmata dei Saint Georgio e Trifone]が正式な名称ですが一般には[S.girgio degli Schiavone]と呼ばれています。 

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この同信会館はアドレア海に面したダルマティア出身者を中心に設立され、かの地ゆかりの聖ゲオルギウス、聖ヒエロニムス、聖トリフォーネ?を主題にした9枚の作品がグランドフロアの壁を飾っています。カメラは禁止の上絵葉書もなく、簡単な説明のコピーを手渡されただけです。参考書では10枚目に「玉座の聖母子と5天使」が帰属に問題があるが、ここにあるとかかれていたのですが、実際には取り外されておりました。カルパッチョ(1465~1526)が1502~1507にかけて描いた連作がこの15世紀に建てられた魅力的なオラトリオにあるのです。

↓ このなかで一番有名なのはなんといっても「龍と戦う聖ゲオルギウス」(141×360)でしょう。以下はネットからの画像を貼ります。

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↓ 「聖ヒエロニムスと修道院のなかのライオン」(141×211)

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↓ 「聖ヒエロニムスの埋葬」(141×211)

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元来た道を戻り、サンマルコ広場へ。この暑さの中行列に加わる体力はありません。せめて、写真だけでも・・・。1991年にツアーで初めてヴェネツィアに来たときに内部の見学をしました。金色のモザイクに圧倒された想い出だけで、何があったかは忘却の彼方です。それにしてもこんなに混んでいるなんて、ここの広場は特に人が多くて、旅情もへったくれもありませんわ。

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↓ 5つの扉口のうち一番左の好みのところだけ撮りました。

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↓ サン・マルコの「神の子羊」網いりです

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ランチまではまだ時間がありましたので、コッレル美術館へ。カノーヴァのヴィーナスに再会した後はお気に入りのカルパッチョの「二人のヴェネツィアの婦人」、そしてジョバンニ・ベッリーニの「ピエタ」、トゥーラの「ピエタ」、アントネッロの「ピエタ」とピエタ尽くしの贅沢なときを過ごしました。

1997年8月にここを訪れています。HPにカルパッチョとトゥーラの画像があります。

http://homepage3.nifty.com/teruterubouzu-travel/artitaly1.html

そして、今夜のオペラのチケットを引き換えにフェニーチェ劇場へ。実はこの日と翌日の2枚の予約をしていました。初めはヴェネツィアに4泊の予定でしたので。2枚のうち運悪く、あまり良い席ではないほうが今夜のでした。(涙)  良いほうの席を売ろうと、劇場の前にいた人に声をかけてみましたが、空振りでした。諦めて劇場の隣のレストランでランチ。座った席から見たラ・フェニーチェ、こじんまりとした優雅な建物です。

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イタリアの夏の定番メロンと生ハムの前菜にコッツアです。オーソドックスな老舗の味といったところでした。

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さて観劇前の昼寝の後はもう一度フェニーチェへ。サンタ・ルチア駅からのヴァポレットが夕涼みの人たちで満員で、次のを待って遅れそうになりました。こういうことがあるので、劇場に近いホテルがベストなのです。後悔しながら走って裏口に駆け込みました。

(5)「Madama Butterfly」 musica di Giacomo Puccini

maestro concertatore e direttore Nicola Luisotti
regia Daniele Abbado
scene Graziano Gregori
costumi Carla Teti

Orchestra e Coro del Teatro La Fenice
direttore del Coro Claudio Marino Moretti

Cio-Cio-San :  Oksana Dyka   Suzuki : Daniela Innamorati   Kate Pinkerton :Elisabetta Forte   F.B. Pinkerton :Luca Lombardo   Sharpless :SimonePiazzola   Goro :Bruno Lazzaretti
Il Principe Yamadori :Elia Fabbian

con sopratitoli
allestimento Fondazione Lirico Sinfonica Petruzzelli e Teatri di Bari

幕が開いてあららでした。確かチケット手配のときは浅利慶太演出のはずだったのですが、モダンな演出に変わっています。今流行の真っ白い箱のような無機質な舞台にどこの国の物語だったかしら?と戸惑う衣装の登場人物たち。

キャストも変わっていて、名前も知らない歌手ばかりです。それでも、フェニーチェだけあって、それなりの水準は保った演奏でした。いつもは泣かされる場面もドライな演出のせいで、一滴の涙も出ませんでしたが・・・。

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↓ それでも、ヴェネツィアまでやってきて、とても美しいテアトルで蝶々さんを聴けたのですから、細かいことは抜きに満足しなければいけませんね。

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夜の水面にきらめく灯を見ながら帰途に着きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2009年初夏の旅20(ヴェネツィア→ウィーン) [2009夏仏、伊、スイスのロマネスクを巡る旅]

5/27(水)

[飛行機]Venezia12:25---Vienna13:40(OS)

 Best Western Hotel Beethoven 3泊

 べネツィアに再び来ることはあるのでしょうか・・・感傷的な気持ちを胸に、サンタルチア駅から運河にかかる新しい橋を渡りました。階段のあるモダンなデザインの橋です。スーツケースはチューリッヒのホテルに置いてきましたし、それほど重い荷物ではありませんが、休み休み橋を渡りました。年々確実に体力が落ちて、老いていく自分を認めざるを得ません。このぐらいなら去年まではすいすいでしたが・・・。

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橋を渡った広場はバスターミナルです。マルコ・ポーロ空港行きに乗り、30分ほどで到着しました。

フライトが1時間遅れ、ゲートで待つ間に、みるみる天候が変わってきました。朝は蒸し暑かったのですが、搭乗口から冷風が吹き込んできます。そして雨が・・・また、いつものケース。我ながら不思議なほどの天気女。滞在中は晴れていて、帰る日に雨になることが多いのです。

↓ 飛行機はプロペラ機でした。アドレア海を眼下にヴェネツィアとお別れ。

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ウィーン空港駅からエレベーターで地下まで降りると、市内までの電車が待っています。切符はホームで買ったほうがよいと、エレベーターで一緒になった日本人の若い男性が教えてくれました。車内でも車掌さんから買えますが、1€高いのです。ホームの自動販売機はカードで簡単に買えました。

20分足らずでミッテ駅に到着します。エスカレーターを上りますと、タクシーの客引きさんが待っていて、市内のゾーンによって定額制だからとのこと。ホテルは11€というのでお願いしました。駅から自分のタクシーまで荷物を運んでくれます。

ホテルはウィーン国立劇場まで徒歩数分、アン・デア・ウィーン劇場の角を右折した閑静な裏通りに建っています。部屋は明るく、広めで、朝ごはんも美味しく、いいお宿でした。

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↓ 荷物はこの国内線の機内持ち込みも出来る小型キャリーバックとガーナメントの2個です。教会のパンフやオペラのプログラムなどで、次第に重くなってきました。それでもこれだけで10泊して、オペラ観劇用の洋服や靴も含んでですから、やれば出来るのですね~。(今頃気がついても遅いですが)

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ウィーンはさすがに涼しくて、この日は20度くらいです。昨日までのイタリアの暑さから開放されて一息つきました。洗濯を済ませ、まずチケットを引き換えに国立劇場のボックスオフィスへ。もちろん劇場はまだオープンしていませんので、道路を隔てたショップへ。3枚を出してもらえると思ったのですが、今夜の「ウェルテル」1枚だけ。開演時間が7:30からなので、今夜のダブルヘッダーになんとか間に合いそうです。ここからミュジアム・クオーターまでが徒歩10分くらいと思っていたのですが、意外に遠くて15分はかかりました。焦って転ばないようにゆっくり歩きました。

ミュージアム・クオーターの中庭からEホールへ。会場は奥行きのある長方形の舞台に数百くらいの客席は階段状に並んでいます。オーケストラ・ボックスは手すりのパイプで隔たれているだけです。私の席は1列目のやや左側。目の前に日本人のコンサートマスター黒崎さんが座ってらっしゃいます。目が合った時、余程声をかけようと迷ったのですが・・・というのは札幌のオペラ仲間で外科医のK先生のご友人の息子さんなのです。でも、開演前の緊張されているときですから遠慮しました。

今夜の舞台は多目的ホールなので幕はありません。開幕までは小学生の女の子たちがダンスの練習に余念がありません。制服姿の可愛らしい子供たちに見とれているうちに演奏が始まりました。

(6)パーセル『ディドとエアーネス』 ウィーン芸術週間  
ミュージアムクオーター/Eホール 18:00開演

指揮:William Christie
演出:Deborah Warner

DIDO, KÖNIGIN VON KARTHAGO: Malena Ernman
BELINDA, IHRE VERTRAUTE :Judith van Wanroij
AENEAS, TROJANISCHER PRINZ: Luca Pisaroni
ZWEITE FRAU :Lina Markeby
ZAUBERIN :Hilary Summers
ERSTE HEXE :Céline Ricci
ZWEITE HEXE :Ana Quintans
SEEMANN :Ben Davies
GEIST: Marc Mauillon
PROLOG: Fiona Shaw

ORCHESTER Les Arts Florissants
CHOR Les Arts Florissants

制服姿の小さな女の子たちはパーセルが女学校の学芸会用に依頼されて作曲したというこのオペラの誕生秘話を表しています。ところどころに彼女たちのダンスをはさんで、ウエリギリウスの「アエーネス」の物語は進むという魅力的な仕上がりになりました。舞台も奥行きを活かして、白い宮殿風な装置を奥に、薄いベールやひも状のスクリーンを重ね、手前中央はモザイクをあしらった角型の大きな台が置かれています。シンプルな背景に衣装は古典的という私好みのものでした。

3年前、パリで演奏会形式ですがこのオペラを聴いています。その時はディドはノーマンが歌いました。ブログにも書きましたが素晴らしい歌唱でしたから、正直ウィーンでは私的には無名のメゾのMalena Ernmanに不安がありました。下調べでYOU TUBEで見たのはアグリッピーナのネローネです。いかれた(笑)ネローネでなかなか良いではありませんか、しかしズボン役と違って今回はなんと言ってもアエーネスに振られるとはいえ女王さまですから。

シルバーヘアにすらりとした肢体を黄色のドレスで包んだ美しいマレーナのディド。初めは緊張気味で、声もやや潤いにかけ苦しげではらはらしましたが、次第に悲劇の女王らしい哀愁を帯びた表現に落ち着きをみせてきます。そして最後のあの絶唱アリアも素晴らしく、喝采でした。

このオペラでは準主役といっても主役よりも多いくらいの歌が与えられているべリンダはパリに比べると物足りなかったほかは、アエーネスのピサロー二も好調でしたし、パーセルのバロック的な調べの美しさが良く伝わってきた演奏でした。

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終わったのが7時10分ごろ、カーテンコールのとき1列目ですから立って帰るわけにも行かず、ここで会場を後にしたのはそれから10分後、小走りに国立歌劇場へ。着いたのは7:35。幸いパルコでしたから係りの方が案内してくれまして、扉からそっと席へ。幕が開いたばかりのシーンから観ることができました。

(7)マスネ「ウエルテル」  ウィーン国立歌劇場  7:30開演

Conductor  Bertrand de Billy
Producer  Andrei Serban
Sets, Costumes  Peter Pabst
 ~
Werther   Ramon Vargas
Albert   Markus Eiche
Charlotte   

Elina Garanca

 

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ウィーンらしいオーソドックスな舞台にガランチャとヴァルガスのコンビの悲恋もの。そこそこ安心して聴いていられるのは良いのですが、さきほどの「ディド~」の刺激的な舞台のあとではなまぬる感があるのは否めません。ガランチャの繊細な表現には感心したものの、ヴァルガスはやや不調でした。

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それでも大層せわしなく行ったりきたりした割に眠気もなく、5年ぶりのウィーン歌劇場の演奏を愉しめました。さすがに疲れてお風呂に入ったらバタンキュー。

 

 


 

 

 

 


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2009年初夏の旅21(ウィーン) [2009夏仏、伊、スイスのロマネスクを巡る旅]

5/28(木)

昨夜はオペラのはしごという無茶をしてしまいました。旅も終盤になり、気も緩んできたこともありますが、日ごろの怠惰な日常からは考えられないアクティブな日が続きましたから、今朝は相当な疲労感が残っていました。朝はゆっくり9時近くに起床し、明るい日差しの朝食室で絞りたてのオレンジジュースや美味しいウィーンのコーヒーをいただいて、ようやく目が覚め身体も少しはしゃきっとしてきました。

↓ アン・デア・ウィーン劇場 Theater an der Wien  モーツァルトの生誕250周年に当たる2006年から再びオペラを上演するようになり、国立歌劇場およびウィーン・フォルクスオーパーに次いでウィーン3館目の歌劇場となりました。

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↓ アン・デア・ウィーン劇場の右横の「パパゲーノ門」。左下にはベートーヴェンの記念プレート(紅白の旗)   ここの向かい角に今回泊まった宿ホテル・ベートーヴェンが建っています。

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劇場の正面道路を隔ててナッシュ・マルクト。市場というよりは食堂街といった界隈で、お寿司もテイクアウトできるアジアンの店などが軒を並べています。

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歌劇場の裏からアルベルティーナ美術館へ。レンブラント関連の特別展がありましたが、版画の多い小粒な催しで、期待はずれ。ここの重要なコレクションはまたもや展示されていませんでした。デッサンは劣化が早いので、アルベルティーナにかかわらず、最近は非公開や予約制の美術館が多いようです。

↓ アルベルティーナ美術館のチケット売り場のあるコート・ヤード。小学生の鑑賞ツアー、「僕たちを撮ってるの?」と言いたげな可愛い子供たち。

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6年ぶりに以前入ったことのあるインターネット・カフェに行ってみました。ここで、ようやく日本語でMIXI日記を書くことができました。(天満屋の向かい側です)

ランチはウィーンに来るたびに(といっても4回ほど)寄る和食屋のゆうげつへ。味はともかく、ひどく感じの悪いサービスでがっかりでした。

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それでも久しぶりのてんぷらとお寿司でおなかもいっぱいになり、ホテルで昼寝。

(8)ドニゼッティ『ルチア』 Wiener Staatsoper  19:00開演

Gaetano Donizetti : Lucia di Lammermoor
Conductor  Paolo Arrivabeni
Producer  Boleslaw Barlog
Sets  Pantelis Dessyllas
Costumes  Silvia Strahammer
 ~
Enrico   Boaz Daniel
Lucia   Edita Gruberova
Edgardo   Matthew Polenzani
       Arturo   Gergely Nemeti   Alisa  Juliette Mars

 

今回の旅で観たオペラのなかでは歌唱ではもちろん一番のグルベさま。そのダントツのアリアの数々を聴かせてもらい、感動の嵐でした。幕が開くと背景のスコットランドの城に森の風景、淡いブルーのドレスに金髪のロングヘア、花束を胸に抱えたルチアが走って登場。その可憐なグルベローヴァの容姿にわぁ~!!と拍手がでました。まだ歌わないうちからこういう盛り上がり方はグルベローヴァには頼もしい応援団になったようです。清らかに響く声、そのコロラトゥーラの冴えはなんと表現したらよいのでしょうか・・・ライブでグルベさまの生の声に浸れる幸せで、胸がいっぱいになりました。私だけではなく劇場全体がその感動に包まれて、一体化しているように感じられたことは滅多に無いこと。ぎりぎりにプランを変更してまで、ウィーンに来て良かった~!!

ルチアの狂乱の場面は最近はデセィのを映像で聴いていました。しかし、それも霞むほどの今日のグルベローヴァのルチアでした。グルベさまが突出して素晴らしく、他の共演者が物足りなく思える舞台が多いのですが、今日はオーケストラ、コーラスとウィーンらしく伝統の感じられる演奏も満足度を高めてくれました。エドガルドのポレンザー二は予想より頑張っていました。歌はまあまあ水準に達しているという程度ですが、演技力があり、身のこなしが洗練されているのが長所です。長い間METで鍛えられた成果ではないでしょうか。彼のおかげで舞台全体も締まった印象を受けました。これからも歌唱に磨きをかけて、精進して欲しいテノールです。

↓ 熱狂的なブラヴァーを受けるグルベローヴァ。新しいカメラのフラッシュ撮影に失敗、ピンボケです。

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耳に残るルチアのアリア・・・興奮冷めやらず、雨の降り出した帰り道、アン・デア・ウィーン劇場のお洒落なカフェで軽く夜食をとり、目の前のホテルへ戻りました。

 

 

 

 

 

 

 


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2009年初夏の旅22(ウィーン) [2009夏仏、伊、スイスのロマネスクを巡る旅]

5/29(金)

昨夜からの雨が続き、今日も時々雨のウィーン。照る照る坊主の旅も最終近くにになって、神通力も消えました。

今日はウィーン最古のそしてロマネスク様式の残る聖ルプレヒト教会まで行きました。ドナウの運河沿い近く、近世にはゲットーもあったという古い町並みの一画に建っています。ホテルメルキュールの前の石段を登り右手に進みます。

ルプレヒト教会

聖ルプレヒトはザルツブルグの司教で、岩塩鉱の守護聖人。ウィーンとザルツブルグとの深い関係が伺えます。740年に教会は創設されましたが、今に残る建築は1130年の低い塔の基部と主身廊とのことです。その後火災などのダメージを受け、13世紀に低い塔を高く、14世紀中ごろに側廊が増築されました。バロック時の改築などを経て、第二次大戦でも近隣の建物が爆撃にあい、被害を受け、改修は最近まで続いたようです。

雨の中でもメインストリートは大勢の観光客で賑わっていましたが、ここの一画は忘れ去られたように静かでした。私が教会に入ろうとすると、どこからか管理人さんが現れました。回りはカフェが何軒か並び、椅子も並んでいます。気候ののよい時期は賑わうのでしょう。

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↓ 後陣のステンドグラスは13世紀のもの。

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近くに映画館があり南京攻略を扱った『JOHN RABE』を上映中でした。日本に深い関係のある映画ですが、まったく知りませんでしたので、帰国後調べてみました。まだドイツ(含むオーストリア)と中国で公開されたばかりですが、日本での公開は未定です。南京のシンドラーとして知られた実在の人物を主人公にしたフィルムです。見るべき価値のある映画だと思うのですが・・・。映画に限らず私たちの知らないところで、一般受けしないという理由で、大事な情報が届かなくなるのは怖いことです。

You Tubeの画像を上手く貼れません。(汗)

http://www.youtube.com/watch?v=hGEnhVTFJ2k

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帰り道にデーメルに寄ってお茶タイム。凄く混んでいましたので、入り口近くのスタンドで。ほうずきのケーキをチョイス、美味でした。帰るころに後ろのショーウィンドーに並ぶカナッペなどに気がつきました。軽いランチに良さそうです。

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ホテル近くのお魚マークのお店で海鮮パエリアとサラダをテイクアウトして、お部屋で遅いランチ。量が多くて、オペラ後の夜食にもなりました。

(9)チャイコフスキー『エフゲニ・オネーギン』 19:00開演

Pyotr Il'yich Tchaikovsky : Eugen Onegin
(Eugene Onegin)
ConductorSeiji ozawa
Producer  Falk Richter
Sets  Katrin Hoffmann
Costumes  Martin Kraemer
Lighting  Carsten Sander
 ~
Tatjana   Tamar Iveri
Olga   Elisabeth Kulman
Eugen Onegin   Simon Keenlyside
Lensky   Ramón Vargas
Fürst Gremin   Ain Anger
 

New production

今回の旅では最後のオペラになりました。最前列の席が取れましたので、ラッキー!!実はOzawaさんの指揮するオペラは初めてです。オーケストラも札幌での演奏会のチケットは取れたためしがなく、ご縁が無い方と諦めていました。今回はキーンリーンサイドがらみですが、思いがけない遭遇?になり、幸運でした。

疲れでぼーっとしていて、プログラムを買うのを忘れ、舞台のはねた後では店仕舞いで手に入れられませんでした。ヴァルガスはウエルテルにまわったのでリンスキィの代役は名前が分かりません。どこかで聴いたような気がしますが。決闘の前のアリアは半音下げて歌っていたようです。好きなアリアなのでがっくりでした。

舞台は寒々とした雪と氷の支配するロシアの冬。雪の女王の宮殿ではあるまいし、氷のベットで横たわり(毛皮にくるまって←エスキモーか?)歌うタチアナに同情しました。一幕の収穫祭の若い男女のダンスも、これでは冷害の無収穫を連想させます。(そこが狙い?) ロシアの貴族領主を皮肉る意図にしては音楽が豊かなので、目と耳が一致しないという、ずれた演出でした。

注目のタイトルロールのキーリンサイドは贔屓目なのでそう悪くは無かったということにしておきましょう。ロシア語のディクテーションが不明瞭に聴こえたのはいたし方ありませんが、まだこの役を自分のものにしていないようなぎこちなさ。そのぎこちなさが彼のオネーギン像と上手く一致していたともとれましたが・・・。

Ozawaさんのチャイコフスキー、ロシア的華麗さ、ドラマティックな盛り上がり、バランス感のある演奏はさすがでした。私の好みとしてはダンスシーンのワルツなどもう少し軽やかさがあればと思いました。

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こうしてウィーン3夜のオペラ鑑賞も無事終了しました。明日はチューリッヒに戻り、1泊して帰るだけです。安堵で熟睡。

 

 

 

 

 


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2009年初夏の旅23&24.25帰国(ウィーン→チューリッヒ&パリ→日本) [2009夏仏、伊、スイスのロマネスクを巡る旅]

5/30(土)

vienna17:35→Zurich19:00(OS)

Ambassador Swiss Quality Hotel 1泊

チューリッヒに戻るフライトまで時間があります。久しく訪れていない美術史美術館に行こうかと思いましたが、以前2度の訪問でがっちり鑑賞したこともあり、あのときのような体力も無く、中途半端では物足りなくなるのは目に見えていますから、今回は見送りました。

さて、どこに行こうかと迷った結果、自然史博物館はまだ行っていないので訪問することにしました。昨日ほどではありませんが、時々雨のウィーン。気温もぐんと下がって20度以下の肌寒い一日でした。ホテルからは徒歩で10分くらいの距離です。

ウィーン自然史博物館

今日は土曜日ですので、チケット売り場も行列です。子供連れの見学者で結構混んでいました。この博物館の世界有数といわれる豊富なコレクションは「芸術と自然とが出会うところ」というテーマで、壮麗な建物で展示されています。

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玄関ホールには今にも飛びかかってきそうなライオンやカバの剥製。子供たちがこわごわながら、大喜び。

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↓ 巨大なアメジストの原石など鉱物の膨大なコレクション

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↓ 恐竜の骸骨もあちこちに展示されていますが、ニューヨークの博物館に比べると小粒です。

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↓ ヴィレンドルフのヴィーナス(2万5千年前)、世界最古のヴィーナス像。暗室にスポットライトを浴びての展示。小さいけれど身篭って臨月まじか?のその存在感は圧倒的です。原始の昔から繰り返された生命の息吹に満ちています。

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↓ 美術史美術館と同じスタイルの吹き抜けホールのカフェ

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帰りにアジアンフードの店でベトナムのフォーを食べました。不味くて半分しか食べられませんでした。ホテルに戻り、中二階にあるロビーで休憩。ここはインスタントですがコーヒーや紅茶など自由にいただけます。

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レセプションに預けた荷物をもらい、呼んでもらったタクシーでミッテ駅へ。来たとき乗ったゾーン制のタクシーより2ユーロほど安かったです。電車に乗り換え空港へは早めに到着。フライトも時刻どおりスムーズにチューリッヒ空港へ。空港駅からは中央駅まで電車、そしてホテルまでタクシーで移動しました。

10泊の旅を終えアンバサダーホテルに戻ってきました。すでにスーツケースはお部屋に運ばれていました。屋根裏部屋風の最上階のシングルルームです。改装されたばかりで綺麗ですが、今回はバスタブなしでした。交渉するのも面倒になり、まだ明るいので湖畔の散歩へ出かけました。

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チューリッヒはウィーンより暑くて、湖畔は夕涼みの人たちが大勢。

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↓ オペラ劇場は丁度リゴレットの幕間で、バルコニーに休憩の人たちの姿。正面玄関にレオ・ヌッチからブルゾンにキャスト変更の張り紙がありました。

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夕食はホテルのレストランで。デギスタシオンのメニューは量の少ないほうを選びました。旅の最後のひとりディナーはお洒落なお食事になりました。

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↓ パンはまな板にのってきます。

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5/31(日)6/1(月)

Zurich13:30→Paris15:00/18:00→NAGOYA12:50/14:30→SAPPORO16:10

いよいよ帰国の日です。長いフライトが待っていますから、ホテルで贅沢な朝食のあとはのんびり荷物の整理をして10:30頃チェックアウト。チューリッヒ空港のカウンターでバッケージスルーの確認をしましたが、OKといってくれたので安心していたのですが・・・。

パリのCDGは拡張工事中のためでしょうか、チューリッヒの行き帰りはGというユーロ間のフライト専用のターミナルを使いました。CDGの本ターミナルからバスで数分移動があり、荷物も運ばなければならないので、結構大変です。それで、帰りはスルーバッケージにしたかったのです。CDGのJALのカウンターでもチューリッヒからスルーバッケージにしたからと念を押したのです。係員が大丈夫といってくれたのですが、実際はGターミナルに取り残されていたのです。

いつもは日本での乗り換えのとき、スーツケースは札幌まで宅急便で送るのですが、今回はJALの負担で送ってくれましたので、荷物が届かないと怒った割りに、「あら!只で良かったわ」と喜んだ現金な私でした。(笑)しかも、翌日の同便で名古屋まで、そして札幌までと手配が早く、宅急便より早いくらいで到着。さすがJALですね~。

ただし、行きの機内食はとても美味しかったのですが、帰りの名古屋便は?でした。

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名古屋ではまたもや勘違いで、札幌行きに乗り遅れそうになったりでしたが、なんとか元気で我が家に帰り着きました。

長期の旅が2回続きました。帰国後は次女と孫が1ヶ月滞在(早めの夏休み)しましたので、ブログアップも途切れがちでしたが、なんとか終わらせることが出来ました。

次回の9月の旅まで、しばらくお休みします。(終)


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