2012年夏の旅(12)ラ・セウ・ドゥルジェイ(アンドラ) [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
9/3(月) La seu d'Urgell 13:00→ANDORRA13:30/16:15→La seu d’Urgell 16:45
カルドナと同じようなずらりと並んだ豪華版ブッフェの朝ごはんをいただいて、早速パラドールからも100mと離れていないカテドラルへ。
↓ カテドラル方向からパラドールを撮影
☆ サンタ・マリア大聖堂(ラ・セウ・ドゥルジェイ) CATEDRAL de Santa Maria (La Seu d'Urgell)
カタルーニャ地方の北、ピレネー地域に古くから司教座のあった代表的な教会。9世紀にサンタ・マリア教会として奉献された。11世紀から12世紀の改築で、後陣に5つの祭室の並び、12世紀の中頃には回廊も拡大され、現在の教会の基本になっている。
↓ 正面は細い街路に面していて、ここからの眺めるファサードは素晴らしい。左右の民家もゾディアックの古い白黒写真と変わっていないのも嬉しい・・・。
↓ 扉口の上、左右にライオンが人を襲っているレリーフ。
↓ 右に司教座美術館の入口があり、ここから回廊も含めて見学するようになっています。(有料)
↓ 初めは美術館の見学へ。ここはロマネスク部門はカメラ禁止です。写真はロマネスク壁画の展示室から次の部屋に写る前にOKのところからパチリ。
ここで観たかったのは、何と言ってもベアトゥス黙示録註解の「ウルジェイ写本」です。現在まで伝えられた挿絵を伴うベアトゥス写本は26点あり、ここラ・セウの「ウルジェイ写本」は10世紀の終わりに書かれた西ゴート書体、全232葉、挿絵90点の作品。オーディオ室の片隅にガラス越しに1葉だけですが、本物を鑑賞でき、感激でした。ここで日本語の写本の説明ビデオを独りで観てましたら、フランス人の団体の方たちがどやどや入って来ました。私のが終わるまで待っていますので、落ち着かないこと。それに、ビデオが終わってから再度ゆっくり写本を観たかったのに・・・。
↓ 図録からスキャンしました「ノアの箱舟」
↓ 11世紀のお棺/壁画以外は写真を撮ってもいいよと声をかけてくれた監視員の方。ここで持病の咳が出たのですが、飴もいただきました。優しい一声が身に染みて嬉しい独り旅。。。
次は回廊の見学へ。単本の柱頭彫刻51本のギャラリー。いわゆる説話的なものはないようですが、ライオンや人物、鳥など。。。
↓ 一種のグリーンマン?
↓ 膝を曲げたポーズの人物のフィギアも多く
↓ 個々の柱頭彫刻よりも、広々として落ち着いた美しい回廊に魅せられました。
↓ カテドラルの内部/三廊式、高い天井に半円ヴォールト。カルドナと似て装飾は少ない堂内ですが、集合柱にお団子のような丸いものがポツポツと並んでいるのが他では記憶になく、珍しいです。
↓ 袖廊の礼拝室(北)/入り口付近の装飾。
↓ 中央祭室トップの薔薇窓
↓北側外観
↓ 後陣外観
↓ Saint Michael's Church サン・ミカエル教会/カテドラルの回廊から入れる内部は後陣の壁画があるため、カメラ禁止でした。11世紀のラテンクロス型の単廊プラン。3つの後陣を持つ外観はロンバルディア・スタイルの装飾が小教会らしく慎ましい。
ここから街の中を抜け、バスターミナルに行ってみました。アンドラまで1時間に1本のバスがあるとのことで、いったんホテルに戻り30分ほど休憩ののち、13:00発に乗車。アンドラ観光へ。スペインでもピレネーに近いラ・セウやアンドラは朝晩かなり冷え込み、日中も20度程度、もう秋が近いことを感じました。
さて、30分ほど走ると国境です。一応いったん停車して、アンドラのポリスが荷台をチェック後入国しました。街道沿いには大型の電器店やスーパーなどが並んでいます。そういえばアンドラは免税目当ての買い物客の来るところです。町にもこれといった観光名所はないようで、渓谷沿いの商店街にホテルなども並んでいます。
私にはつまらないところですが、町はずれにロマネスクの教会があるのでやってきたのです。教会近くのバス停を通り過ぎてしまったので、街を少しぶらぶらしてから、TAXIでサンタ・コルマへ。
☆サンタ・コルマ教会 Santa Colma(Andorra la Vella) 本来はロマネスク初期の建築のようですが、何度かの改造を経て現在は12世紀の建築といわれています。円形の鐘楼と背後に迫る山が美しい。。。
なかには管理人の女性がいましたが、無料です。祭室を隔てる壁は馬蹄型アーチ。上部に「神の子羊」。
入口のギャラリーは16世紀以降に増築されたもの。白いリボンの花束が飾られて、より清楚な趣。粗い石積も素敵~アンドラに足を延ばした甲斐がありました。
待っていたTAXIで街に戻り、インフォで帰りのバスの乗り場を確認。遅くなったランチはバス停近くのレストランで。店先で肉を焼いているので、おなかがぐぅ~久しぶりにステーキだわ!しかし、混んでいるお店の割にお肉が固くて・・・ケチらないでヒレ肉にすれば良かったです。
それでもデザートにアイスクリームもいただいて満腹。バスでラ・セウに戻りました。夕食の時間になっても、全然空腹感がなく、手持ちのもので軽く済ませました。明日のバルセロナに戻るバスの時間も、バスターミナルで確認したところ11:00発の直行のバスがあるとのこと。なぜHPにでていないのでしょう?
2012年夏の旅(13)ラ・セウ・ドゥルジェイ~バルセロナ [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
9/4(火) La seu d'Urgell 11:00→Barelona13:45(27.05€)
Barcelona/BMH Lamblas 3泊(1泊124€)
↓ ラ・セウのパラドールの朝食 / 長いバスの旅が控えています。多分ランチ抜きになると思い、沢山いただきました。
↓ 1階のロビーは吹き抜け
ホテルをチェックアウトし、バスターミナルから11:00発のバスでバルセロナへ。来たときはマンレーザ~カルドナ~ソルソナ経由でしたが、この直行バスはまっすぐタナゴナやルイス方面へのハイウェイを南下し、途中から東に折れて最短距離でバルセロナに到着しました。バルセロナに入ってからは乗客の希望を訊いて、ストップしてくれます。私は終点の北ターミナルまで行かず、サンツ駅で降車しました。すぐ目の前にメトロのエレベーターもあり、リセウまで数駅です。荷物を持って階段は辛いので、リセウもエレベーターで地上へ。
アパートの管理人さんとのチェックインの連絡がまだでした。リセウ劇場に向かって右角のバルでランチを食べて、電話を貸してもらおうと思ったのですが・・・。電話は貸せないというのです。市内だからと言っても駄目の一点張り。意地悪いし、注文したタパスも不味くて、ほとんど残したまま店を出ました。そうそうお勘定のときチップは?と言われたので、目が点!断固NOでした。携帯電話をスイスに忘れてきてますから・・・公衆電話も見つからず、バルセロナは暑くて(30度くらい)、もう泣きそうになりました。携帯電話ショップに入って中近東系の店番の若い男性に頼んでみました。すると快く、自分の携帯電話で管理人さんに電話してくれたのです。大げさですが(笑)地獄に仏~!と思いました。1€、電話代と言っても、いらないよと笑顔の彼。。。感謝でした。
さて、管理人さんが来るまで30分、アパートから一番近いバルに入ってひと休み。古くて汚いので、今まで見向きもしなかったお店でした。ところが、ケースに並んでいる焼いた鰯やスペイン風オムレツなどが美味しそうです。先ほどはほとんど食べていなかったので、オーダーしてみました。なかなか美味しい~!これにパンがついて、コーヒーも飲んで3€!!。お店の若い娘さんも愛想良く、たどたどしい英語でバルセロナは初めてなの?とか話しかけてくれて、先ほどのバルの嫌な思いも晴れ、バルセロナはやっぱり好きだわ~。
ようやく管理人さんがやってきて、預けたスーツケースを1階の倉庫から運び、3階の部屋でチェックインと支払い。前回の4階とまったく同じ造りなので問題もなく、チェックアウトの日時だけ打ち合わせて終わり。早速洗濯機を回して、その間のんびり休憩。今夜から3夜連続のリセウ劇場でのコンサートです。
Wagner『Der fliegende Holländer さまよえるオランダ人』@Gran Teatre 20:00~
席/プラティア 1-13 チケット 224€
Conductor : Sebastian Weigle
Daland:Franz-josef Selig Senta :Ricarda Merbeth Erik:Micael Konig Mary:Chrisra Mayer
El timoner de Daland:Benjamin Bruns L'Holandes:Samuel Youn
Orquestra i Cor del Festival de Bayreuth
演奏会スタイルとはいえ、バイロイト祝祭劇場の外で今夏のオペラ公演(オーケストラ、コーラス、歌手)をそのまま持ってくるのはこれが初めてでしょうか?リセウのシーズン開幕を飾るにふさわしいコンサートです。ボックスオフィスでクレジットカード(引き落としに使用)を提示して3枚のチケットをもらい、ホールへ。当日券を買い求める人も多いようです。オーケストラの目の前、最前列の席でした。実際のバイロイトに行ったことがないのですが、オーケストラ席は地下のようなところにあると聞いたことがあります。それが、舞台にあがっての演奏ですから、その重量級の音が歌手たちの声をかき消さんばかりで、やや問題ありでした。それでも慣れてくると、そのパワフルな音も、典雅さと繊細さにあふれた素晴らしいオーケストレーション。これがバイロイトの音なのだ~と堂々と主張してきます。歌手陣もそれは充分に理解したうえで、必死についていきますから、求心力のあるワーグナーを堪能できました。指揮はヴァイクル、このかたは初めて聴きましたが、さすがにバイロイトの常任?だけあって、力量かつ新鮮味のある演奏でした。一番良かったのはゼンタのメルべス、当初のプログラムから変更になったのはオランダ人役のSamuel Youn、共にブラボー!でした。当初クレジットされていたニキーチンは例の入れ墨問題でバイロイトも降ろされ、リセウでも当然降板でした。休憩なしの2時間半。「やっぱり、バイロイトに行きたいな~」とつぶやきながら・・・。
↓ 右からメルべス、セリング、コニング
↓ 喝采を受けるユン
オペラやコンサートのある夜はアパートの前の通りも歩く人の様相が一変します。アパートの1階の集合ドアを開ける時も全然警戒する雰囲気ではありません。前回のようなインターフォンを悪戯をする人も、いつもより酔っ払いの声も少ない快適な夜でした。
2012年夏の旅(14)バルセロナ [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
9/5(水)
予定では今日はバルセロナから西へ20Kのコルベラに行くつもりだったのですが、バスは途中までしか行かず、そのあとのローカルバスも時間が合いませんから、TAXIになってしまいます。ここへきて疲れのためか、億劫になってしまいました。かといって、このアパートでのんびり夜のコンサートまで過ごすには惜しいので、バルセロナの市内観光をすることにしました。
↓ まずは市場での買い物の前に朝ごはん。 ランブラス通りにあるチョコレート屋Escribaで、カプチーノとショコラ入りのクロワッサン(美味しいです~)。
↓ ジュセップ市場で海老、野菜、果物などショッピング。
↓ 出かける前に部屋でコーヒーと果物(メロンも小さな苺もあまり美味しくなくてがっかり)
↓ メトロでまだ未訪問だったCasa Mila カサ・ミラへ。この付近は日本人を含めて観光客が多く、チケット売り場はすでに行列。(16.50€!)
↓ バルセロナは真夏並みの気候で、カタルーニャの北部から戻ってきた私は15分ほどの待ち時間でもヘロヘロ。。。
ガウディの設計による山をイメージした都市型の集合住宅は1906から1912に建設されました。メインフロアは施主のミラ家が居住。2つの大きなパティオで日当たりや居住性を高め、地下には駐車場(その頃は馬車)も設けてあります。1984年ユネスコの世界遺産に登録されました。
↓ パティオ
内部に入ってすぐエレベーターがあったのに、気がつかず階段を上ってしまって。。。この螺旋階段は途中に入れるところが閉鎖されているため結局屋上まで行ってしまいました。
↓ 屋上
↓ 右奥にサクラダ・ファミリア
↓ 最上階は博物館
↓ 居住階/子供部屋
↓ 家事室
↓ 食堂などを見学
↓ このあと近くのCasa Batlioカサ・バトリョへ行きましたが、こちらもかなりな行列でした。
お腹もすいてきましたし諦めて、近くのTapaTapaという大きなバルでランチ。ランチョンマットにメニューの写真入りで便利。タパス2皿(タコとパドロン)にパエリャ。味は普通に美味しかったです。
Richard Wagner『LOHENGRIN ローエングリン』@リセウ劇場 20:00~
Directer:Sebastian Weigle
Rei Heinrich:Wilhelm Schwinghammer Lohengrin:Klaus Florian Vogt
Elsa de Brabant :Annette Dasch Friedrich de Telramund :Thomas j.Mayer
Ortrud: Susan Maclean Herald :Ralf Lukas
Orquestra i Cor del Festival de Bayreuth
この夜も平土間の最前列(Platea Senars 1-29)でした。そして主役の二人のオーケストラの重量級のワーグナーにも負けず、堂々と響く声、そのパフォーマンスに瞠目。フォークトは稀に見る透明な美しい声に、ローエングリンの役をパーフェクトに自分のものにした表現は素晴らしいと思いました。エルザのアネット・デッシュは初めて聴きましたが、パワフルさにフェミニンな魅力もあり、うっとりでした。ドラマティックなワーグナーのオペラをぐいぐい引っ張っていく、そのドライブ感はさすがにバイロイト管、合唱も格別!というわけで、大満足のうちにコンサートは終わりました。
↓ 2回の休憩が入りますので、劇場内のバルへ。かなりな混雑のなかカヴァとカナッペをいただきました。
↓ 指揮は昨夜と同じヴァイグルさん。
↓ フォークトとデッシュほか
↓ 海老や野菜で簡単調理の夜食
2012年夏の旅(15)バルセロナ(リェイダ) [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
9/6(木) Barcelona(sants)10:00→Lleida10:57/12:50→Barcelona13:55
今日は予定通り半日エクスカーションでリェイダへ。AVEで1時間弱、かなり大きな町です。ここはサラゴサへの往復などで何度か通過したことがあり、電車から丘の上の大聖堂が見えるたびに、一度は訪ねてみたいと思っていました。
RENFEの駅は旧市街と離れています。TAXIで大聖堂の傍まで行って、帰りは1時間後に迎えを頼みました。城壁内に入り、まずは緩やかな坂を上って大聖堂の南側へ。
☆La Seu De VELLA LIEIDA / リェイダ旧大聖堂
リェイダの人々にとって、丘の上に堂々と建っている大聖堂はシンボル的な存在です。一時はムーア人の要塞だったのですが、1149年にカタルーニャ軍によって攻略され、勝利の後はキリスト教徒によって、モスクの跡に教会が建てられました。かなり高所にあるため。その後新しい大聖堂が利便性の良い低いところに建てられました。1200年ころに始まった工事は二つの時代(ロマネスクとゴシック)にまたがりましたが、優れたロマネスク末期の彫刻が残されています。
↓南側 高い鐘塔はゴシック
東側の低いランターンタワーもゴシック
↓ 南側面には二つのロマネスクスタイルの扉口が並んでいます。こちらは階段の奥のFillols Gate。
↓ こちらのほうが古いL'Anunciata Gate(1215年ころ)。上部に薔薇窓、少し張り出した扉口の左右のニッチに受胎告知の像があったのですが、現在は失われています。そのニッチはモスクの名残でしょう。トップが多弁型アーチ。
↓ 側柱の柱頭彫刻はこの旧大聖堂の特色でもある複雑に絡み合った植物を主体に彫られたものが多数。
↓ ヴシュールの上、コーニスのモディリオンと下に凝ったクリスモンの装飾。
↓ これもロマネスクの終期らしいモディリオン。右の羊飼いは鳥の脚!?
↓ 後背部外観。後陣は4つですが、主後陣の右北はロマネスク、左南はゴシックが2つとあまりお目にかかったことのない変則的な構成です。
↓ 西側正面は先ほどの高いゴシックの鐘楼とやはりゴシックの扉口が並んでいます。
↓ この扉口の向こうは回廊になっています。変則的なプランです。
↓ 玉座のキリストに左右は磔刑の場面など。3段に分かれ細かく刻まれたゴシックの典型的なタンパン。
↓ 上のファサード左側に入口、チケット売り場があり有料です。そこを抜けるとすぐ回廊にでます。広大なゴシックの回廊ですが、柱頭彫刻は複雑に絡み合った植物、人、動物など。高さもある広大な回廊には見物人の姿もなくひとり占め。
↓ 中庭には初秋の薔薇とススキが咲いていました。
↓ この回廊の東側に教会があり、その扉口が3つ並んでいます。ラウンド・アーチとヴシュールのロマネスク様式。
↓ そのうちの左(北側)扉口から中に入ります
↓ 入口になっている北扉口の柱頭彫刻はご訪問と生誕のシーン。
↓ 内部はロマネスクからゴシックへの過渡期を表わし、上に向かっていく感じが伝わってきます。その荘厳の美の空間に圧倒されました。これが全くのゴシックになってしまいますと、私的には好ましい空間ではなくなってしまうのですが・・・。
3つのベイと天井はリブ・ヴォールト。何本もの柱で束ねられた複合柱とアーケード。迫りくる時代の流れを感じさせる大空間です。素晴らしい・・・。
↓ 交差部から南袖廊。先ほど外から見た薔薇窓。
↓ 側廊の壁に展示されていた柱頭彫刻。
↓ 内陣近くには説話的テーマの柱頭彫刻。参考書では旧約テーマは交差部や内陣に新約テーマは身廊に分かれているとのことですが、時間もなく深く観察はできませんでした。
↓ 右の薔薇窓(運命の車輪)を支えている二人の人物。逆時計回りの車輪の右の人物は上(天国)に向かい、左の人物は下(地獄)へ。下の人物は両腕を上の車輪にあげ、車輪を回す役割を担っていると思われます。左は戦うケンタウロス?
追記:「運命の車輪」について
中世のボエティウス『哲学の慰め』で、運命は回転する車にたとえられ、ロマネスク美術の運命のモティーフとなった。この主題は人間の平等という本能を満足させるということから一般に普及。12世紀末の『歓喜の園』の写本挿絵欄外、ヴェローナのサン・ゼノ教会のファサード彫刻にも見られる。教会装飾ではファサードや翼廊の薔薇窓に表現されることが多い(バーゼルやボーヴェなど)。人間諸事の無常と不安のシンボルは中世末期まで引き続き表現された。
↓ サムソンの後ろ姿。作風の違う彫刻があちこちに見られます。これだけの大きな教会ですから、多数の工房がかかわったのでしょう。
↓ 南側廊壁面にゴシックのフレスコ画
予想していたより素晴らしいリェイダのSeu Vellaでした。時間通りに迎えに来たTAXIで駅に戻りました。Google Earthで確認して、歩けると思ったのですが、実際に来てみるとかなり高い丘にあり、暑い日でしたしTAXIを使いました。それで、予定より1時間早いAVEに乗ってBarcelonaに帰りました。
↓ リエィダの駅ホーム。
バルセロナのジュセップ市場内の食堂でランチ。1月には働いていたおじいさんはどうやら引退したようです。かなり耳も遠くなっていたのですが…寂しいです。隣に日本人の青年が座り、久しぶりの日本語でおしゃべりしました。1週間ほどの休みでヨーロッパに来られたとか。ベニス~バルセロナ~パリと忙しいけれど・・・と楽しそうな笑顔の好青年でした。
↓ いつもの小烏賊と豆のお皿
↓ 奥にもう一軒新しい?バルができていました。
ホテルに戻って洗濯機を回し、仮眠。そして、今夜が最後のバルセロナのコンサートへ。
Richard Wagner 「トリスタンとイゾルデ Tristan und Isolde」@Gran Teatre del Liceu 19:00~
席/ロッジア18-1-1 224€
Musical Directer:Perter Schneider
Tristan:Robert Dean Smith Rei Marke:Franz-Josef Selig Isolde:Irene Theorin
Kurwenal: Jukka Rasilainen Melot:Ralf Lukas Brangane:Michelle Breedt
Un Pastor:Arnold Bezuyen Un jove mariner:Clemens Bieber
今夜で今回の旅での音楽シーンは終了です。最後ですから和服を着たかったのですが、持ってきたのは7月8月限定の夏ものですから、いくらこちらの人は分からないと思っても、やはり気おくれしてしまい洋服ででかけました。
コンサート形式のオペラは少し物足りない面もありますが、演出などに気をとられない分音楽に没頭できるというメリットもあります。「トリスタンとイゾルデ」はオペラ歴16年のなかで実舞台は2度だけ、ウィーンとベルリンで観ました。CDを聴くことも多い大好きなオペラです。今夜も圧倒的なワーグナーの音楽に心が感動で震えるようなも想いでした。2度の実舞台で、不満だったのがトリスタンでしたので、今夜のロバート・ディーン・スミスは期待通りでようやく納得。。。トリスタンの持つ孤独感、愛と哀しみの表現は秀逸でした。イゾルデ他の歌手陣も奮闘し、リセウの熱い聴衆を魅了。シュナイダーが指揮台に立ったときは少し、よろよろした感じでずいぶん老人になられたと心配でしたが、指揮棒を振り始めるとそんな心配も杞憂でした。ベテランらしく、気負いなく、溢れるように芳醇に・・・。ドラマティックで、ロマンティックで素晴らしい~☆
バイロイトが終わって日も経たないうちにバルセロナでのコンサートでしたから、オーケストラや合唱のかたたちも本当にお疲れ様でした。リセウもこの不況で経営が厳しいと聞きましたが、熱心なファンに支えられて、この苦境を乗りきることができると信じています。
バイロイト音楽祭には多分行けないと思いますので、この3公演をリセウで聴くことができて、幸せでした。
↓ アパートとリセウ劇場の間のサン・パウ通り。すでに12時過ぎていました。
↓ 夜食/ビール、茸、しし唐、黒オリーブとチーズ入りサンド、アスパラ、黒トマト、サーモンチップ。
明日からはまたロマネスク行脚が始まります。チェックアウトは11時なので、荷物の整理は翌朝で間に合います。「トリスタン~イゾルデ~♪」お風呂に入って、ぼーっとしつつ、バルセロナの最後の夜を過ごしました。
2012年夏の旅(16)バルセロナ~ペルピニャン [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
9/7(金) Barcelona(Sants)12:22→Figueres14:03乗り換え14:30頃→Perpignan15:15頃/16:00頃→Cabestany16:15頃/17:39→Perpignan(BT)18:00
Perpignan/ Comfort Hotel centre Del Mon 1泊(150€朝食込)
今日はここのアパートを引き払い、列車でフランスに入る日です。これからは洗濯は手洗いになりますので、パジャマも含めて洗濯乾燥機を回し、汚れ物ゼロで気持ちもすっきり。
↓ トータル4泊したアパートの部屋、名残惜しくパチリ。
市場で買ったものの、あまり美味しくなかった西瓜やメロンなどはそのまま冷蔵庫に残し、さて出ようとしたところでお掃除の女性がきました。「残っちゃったから食べてね!と身振りで伝え出発。
ランブラス通りのTAXI乗り場からサンツ駅へ。構内の切符自販機でどういうわけかペルピニャン行き(乗り換えのが表示されず)購入できませんので、窓口に並びました。ところがクレジットカードは駄目で現金だけとのこと(50€)。手持ちの現金が少なくなって・・・(苦虫)。サンツ駅の長距離列車乗り場は飛行機を乗るときのように荷物検査があります。10分ほど遅れてきた特急に乗って、フィゲラスからTGVに乗り換えるつもりでしたが・・・。フィゲラスで同じホームに待っていたパリ行きのTGVに乗ろうとして、あれっ!購入した切符にTGVの座席が印字されていないのに気がつきました。近くにいた駅員さんに尋ねたところ、この切符ではTGVに乗れないから、特急で行きなさいとの返事。え~っ!でも指差す電光掲示板にはリヨン行(ペルピニャンも停車)がまもなく発車するとの表示が・・・慌ててそちらのホームへ移動。エレベーター完備で助かりました。TGVより30分ほど遅れましたが、無事ペルピニャン駅に到着しました。
駅近ということで決めたホテルは駅前にあるはずと新しいTGV駅に出てみましたが、発見できず・・・3人目くらいにタクシーの運転手さんに聞いてようやくわかりました。TGV駅と同じ建物の中にあり、構内から出入りできるホテルだったのです。この後、バスや列車で行ったり来たりするのにとても便利でした。事前に調査したときは違う場所だったバスターミナルもこの新しい駅ビルにあわせて、旧市街から駅の傍に移動していたのです。しかも、そのバスがどこまで乗っても1€という格安お値段!嬉しい誤算続きでした。Google Earthのストリートビューがまだ駅の工事中になっていて、ホテルの位置も誤りです。
↓ ペルピニャンのホテルはモダンな内装の広い部屋 新しい建物なので、騒音対策はばっちり!駅の上なのに静かでした。
荷物を置いて、少し休憩してから、ペルピニャンの郊外の町カベスタニーへ。行きはバスの丁度良い便がなくTAXIで、帰りはバスでした。ペルピニャンから南東数キロのところにあります。名前を聞いただけで、ロマネスクファンの方でしたら、ああ~あのとお気づきになると思いますが、この村はロマネスクの時代に活躍したカベスタニーの親方および工房が誕生した地と言われています。TAXIはここへ来るのは慣れていて、ぴたりと教会の前でストップしてくれました。
☆ カベスタニーのタンパン彫刻
カベスタニーの作品は一度観たら忘れられない強いパワーとオリジナリティがあります。傑作として知られているタンパン彫刻がここの町の聖母教会にあり、ロマネスクの仲間も何人かは訪問されています。もとは古い教会の扉口を飾っていたのですが、改築したときに取り外し、今は教会内部に移され展示されています。恐る恐る扉を開けてなかへ。すると真正面にタンパンが目に飛び込んできました。教会の中には誰もいなくて、写真も取り放題(にっこり)でした。
↓ オリジナルの高さで観られるように宙吊り状態の展示。
↓ 聖母教会の名前にふさわしく、聖母マリアに関連する3つの場面が彫られています。中央はキリストと聖母の賞賛。キリストは厳しく権威ある姿に彫られ、聖母と聖トマスを従えています。キリストと聖母の大きな手!
↓ 左は聖母の墓からの復活。キリスト自身が聖母を墓から引き揚げ、6人の天使(頭だけ)と聖ペテロと聖ヨハネがそれを見守っています。
↓ 右は聖母マリアの被昇天。昨年カルカッソンヌの近郊の村リュー・ミネルヴォアで観たラサンプションと同じ主題と構図ですが、リュー・ミネルヴォアのほうは柱頭彫刻なので、聖母はまっすぐに立っていますが、こちらはタンパンの一部なので斜めの姿勢。それにタンパンの上の空間を埋めるように舞う天使が香炉を振って祝福しています。
↓ 美しいタンパンの下部にはおどろおどろしい怪物が口を開けて。。美と醜と、現実と幻想が交錯するのです。
↓ 夢を見ているような心地の鑑賞が終わって、ようやく教会内部を撮りました。
↓ この後は徒歩数分の司教座美術館へ。町の体育館兼カルチャーセンターのような大きな建物や公園の一画に建っています。カベスタニーの全作品のコピーが展示されています。カメラ禁止。
↓ここの受付で「La patrimoine en terre catalane」のパスをいただきました。このリーフレットには教会や美術館の最新情報(開館時間など)のほか入場料が10%引きになります。
↓ 巻末の地図(一部)
カベスタニーの司教座美術館の向かいにバス停があり、ここからペルピニャンに戻りました。町の中心街で降りて少し散策したあと、駅行きのバスでホテルへ。
↓ 夕食はTGV駅の反対に建つ(地下通路を抜けて)SNCF駅前のレストランで。定食の前菜(スモークサーモン)とラムの煮込み。味は普通。
↓ レストランから眺めた夕暮れのペルピニャンSNCF駅
↓ 食事が終わった後は日没まじか
荷物を持っての列車移動なので、腰が心配でしたが、親切な方たちが網棚に荷物を上げたり、おろしたりしてくれて、本当に助かりました。また、ザルツブルグやバルセロナのアパートで簡単な調理ですが、野菜や果物を食べることができたことで、いつもの野菜不足を多少は解消できました。体調はまずまずですが、それも連日の良いお天気のおかげかも知れません。。。
2012年夏の旅(17-1)ペルピニャン~エルヌ~フォンジョンクーズ [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
9/8(土) Perpignan9:41(列車)→Elne9:49/10:00(TAXI)→Saint-Andre10:15/11:00→Saint-Genis11:10/12:00→Elne12:15/13:50(バス)→Perpignan14:20/14:50→Narbonne15:32/16:00(TAXI)→Fontjoncouse16:30
Fontjoncouse/L'Auberge du Vieux Puits 1泊 (225€朝食別25€)
今日も朝から青空の広がる良い天気です。いつまで天候に恵まれるのかしら?どこか山の中で嵐にでも合わなければよいけれど…とかえって不安になるほどです。さて、ホテルの1階で朝食を済ませ、スーツケースと小型キャリー(3泊分)をホテルに預け、半日のロマネスク巡りに身軽になって出発。
↓ ペルピニャンTGV駅ビル1Fコンコース
ホテルからコンコースの反対側まで歩き、外に出ると目の前がバスターミナルです。途中にカフェやATM、地下にはスーパーがあります。バスや列車の時間表は駅構内の自販機の傍の棚に並んでいるのをゲット。一応ネットでチェック済みでしたが、これから訪問予定の分を再チェックしました。明日は日曜日なので、極端にバスの便が悪くなりますので、一部予定を変更しました。
↓ 駅の表示はフランス語とカタラン語(ルッション地方でもスペイン側のこの近辺は地名などは2つの言語で表示されています)
まず、ペルピニャンの南のエルヌまでは列車で行きました。列車内は自転車を立てかけて並べるようになっています。サイクリングの人だけでなく、地元の買い物や学生さんたちの利用も多いようです。エルヌの駅は旧市街から遠いこともありますが、サンタンドレやサン・ジェニの教会が12:00で閉まるので、エルヌより先に回りました。エルヌ駅の切符売り場でTAXIを呼んでもらい、エルヌから南に7Kのサン・タンドレ・ド・ソレドの教会へ。
↓ エルヌの駅前からカテドラルを遠望
☆サンタンドレ教会 Eglise St-Andre 9~12世紀の間に 何度かの改築を経て現在の姿になりました。そのためファサードの装飾は様式が混合しています。
↓ 後陣外観 3つの後陣とロンバルディア帯の装飾
↓ 正面ファサード 上部には二連のブラインドアーチが並び、窓枠には大理石の縁取りと彫刻。扉口はタンパンに十字架とクリスマの組み合わせ。
↓ リンテル中央にマンドーラに囲まれたキリストと両側にそれを支える天使。左右三つずつのアーチに使徒とケルビムの熾天使の浮彫。
↓ 熾天使の存在はキリストの昇天というより最後の審判を連想させます。ルッションの大理石の浮彫は淡い薄茶(もとは白?)の色彩と繊細に刻まれた衣装のドレープなどがエレガント。タンパンや周りの粗い石と大理石の組み合わせが面白いです。この後見たサン・ジェニよりキリストの顔など柔和な印象。
↓ 内部は暗くてピンボケですが、後陣からの淡い光が神秘的でした。
↓中央祭室 半円アーチがおおらかなロマネスクの空間
↓ 南壁に飾られていた彫刻
↓ 教会の隣に付属の美術館があり、入ってみました。2階の展示室にいくつかの大理石の柱頭彫刻。
↓ St-Andre-de-Soredeから西へ5Kほどで次の目的地St-Genis des Fontainesに着きました。道路に面して下の扉口がありますが、目立たないので通り過ぎるところでした。ここの扉はクローズされ、左隣に入口があります。
☆ サン・ジェニ・デ・フォンテーヌのサン・ミッシェル教会/Eglise St-Michel (St-Genis des Fontaines)
南にピレネーの眺めが美しい村に名高いリンテルを持った教会(9世紀から12世紀)があります。フランスのロマネスク彫刻のなかでも最初期のもののひとつです(1019~1020)。まだ彫刻のない簡素な扉口がほとんどだった11世紀前半に浮彫のリンテルが登場したのです。
↓ 中央に栄光のキリスト、両側にマンドーラを支える天使たち。左右の6つの馬蹄型アーチ列に使徒たち。額縁状に縁どられた唐草文様も綺麗。力強くそして慈悲のあふれるキリストの面差し。天使たちの羽や跪く姿の空間処理も見事です。そして両側に並ぶこけしのような可愛い使徒たちもチャーミング。またマンドーラは2つのサークルを合わせた形で、上の大きいほうは神秘の天体、小さいほうは地球を表わしています。
↓ 扉口の右に磔刑のパネル。
↓ サン・ジェニの回廊/オリジナルは13世紀ですが、近年になって売りに出されていた柱頭や彫刻を加えて再構築されました。プリミティブなものも多く素敵な回廊になっています。
そして、エルヌに戻りました。続きます~
2012年夏の旅(17-2)ペルピニャン~エルヌ~フォンジョンクーズ [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
~続きです。
エルヌの大聖堂の前でTAXIを降車。親切な運転手さんがランチするんだったら、坂を少し降りたところに良いレストランがあるよと教えてくれたのですが、まず大聖堂の見学へ。
☆エルヌ大聖堂/Cathedrale d'Elene エルヌという地名はコンスタンティヌス大帝の母エレーヌから名付けられたというとおり、ルッション地方の重要な都市でした。要塞のような丘の上に君臨するように堂々と建つ大聖堂です(11世紀創建)。ロマネスク初期のスタイルの興味深い例ですが、いくつかの12世紀の優れた柱頭も在ります。
↓ 西正面/遠くからも目立つ南北2つの鐘塔。北(左)の煉瓦で造られた塔は後の時代のもの。南(右)の塔は11世紀のもので、同地方のサン・ミッシェル・ド・キュサの鐘塔に似ています。
↓ 西扉口はクローズされていて、後陣南側から
↓ 後陣外観/飛梁と窓以外は基本的にオリジナルのままだと思います。
↓ 写真を撮っていますと後方で、かさっという音。振り向くと小さなヤモリが・・・。
↓ 右奥の階段の上にインフォメーション。
↓ 教会内部/オリジナルはバジリカの三廊式ですが、南側廊に13世紀の終わりから15世紀にかけて、6つの小祭室が増築されました。
↓ 堂内の柱頭彫刻は高いところにあるうえ小型で撮影は断念。またほとんどがフォーマルな植物文様のようでした。天井の横断アーチから繋がる煉瓦積の複合柱は高さもありスタイリッシュな雰囲気。
↓ 回廊(12世紀&14世紀)/主に南ギャラリーにロマネスクスタイルの柱頭彫刻が並んでいます。ルッション地方の大理石を使った工房の作品もあります。
↓ アダムとイブの「原罪」
↓ イブの創造
↓ 「クオ・ヴァディス Quo Vadis」
↓ ゴシックの柱頭彫刻 「受胎告知~ご訪問」
↓ 寝棺(アキティーヌ派による、4世紀終わり~5世紀のもの)
インフォメーションでバス停の場所を確認。時間表は置いてないというので、カテドラルから坂を下りて、バス停へ。ペルピニャンへの次のバスまで1時間弱なので、バス停前のカフェでキッシュの軽食を済ませ、アイスクリームを食べてバスを待ちました。
↓オール1€と安いので、他の地方のバスに比べると乗客が多く、いつも数分くらいの遅れで時間もまあ正確です。カフェから見たバス停。
ペルピニャンまでは列車より時間はかかりますが、便利でした。ペルピニャンのホテルで3泊分のキャーリーバックをピックアップして、列車でナルボンヌへ向かいました。
↓ ペルピニャンからナルボンヌまでは左右に湾や湖の広がる景勝路線です。列車の窓が汚れているのもあって、写真は撮っても失敗。。。
さて、昨年も訪れた懐かしのナルボンヌ。駅前のTAXI乗り場には一台もいなくて、しばらく待ちました。すると助手席にお客さん(友達でした)を乗せたTAXIが停まり、友達をどこだかに連れて行くので、それが済んだらフォンジョンクーズまで走るよというので、立って待っているのもつ辛いので乗車。30分ほどぐるぐる市内を回りその友人の用事を済ませ、降車させてからメーターを倒して、フォンジョンクーズにようやく向かいました。予想より距離も遠くメーターもどんどん上がり青ざめる私(笑)に、運転手さんはフォンジョンクーズのオーベルジュはフランスで一番美味なレストランなんだよ~と励まして(笑)くれるのでした。
ナルボンヌから南西に35K程度ですが、山間部に入ると道路がつづら折りになり、結局は倍くらいの距離になりました。そしてようやくフォンジョンクーズの村に入りました。人口150人くらいの村に3☆レストランがあると知って、のこのこやってきた食いしん坊の私です。
↓ レストランのある棟と宿泊棟とは別になっていて、私の部屋はプールサイドの脇。(ここでは一番安い部屋なのです)
↓ お隣のご夫婦はすでに水着で日光浴。。。
↓ 私の部屋の玄関の前に超高級車が停まっていました。
↓ お部屋から丘の上の教会が見えました。
↓ 今回の旅で一番贅沢な宿です。素敵な部屋~☆
↓ ウエルカムフルーツや小菓子をいただいて
↓ 夕方8時になったので、レストランへ。
↓ 私が一番乗りでした。カメラはOKかしら?と訊きましたが、どうぞどうぞと笑顔のサービスの方。レセプションもレストランもさすがに素晴らしい接客でした。
↓ Menu Quelques pas dans la garrique というデギュスタスィヨンのコース
アミューズにロゼシャンパン
↓ アントレは2皿+シェフからのプレゼントといって1皿=3皿!
写真撮り忘れの牡蠣のお皿の次は
↓ ここの名物のアントレ「卵とトリュフ」
↓ メインの魚料理(ひめじ?)美味しくて、半分ほど食べてからの写真(汗)
↓ 肉料理は鴨でしたが、ややオイリーで半分残しました。
↓ チーズのワゴンがやってきました。
↓ どれもこれも美味しそうでしたが…満腹でちょっぴりお味見。
↓ シェフのGilles Goujon氏。私のテーブルにも挨拶にみえました。「こんばんわ、ようこそ」と日本語のあいさつで。帰りはフランス語で「プチデジョネは召し上がりますか?レセプションに予約してね」と商売上手な気配りでした。
↓ デザートは2皿
昨年のブルゴーニュの旅で立ち寄ったソーリューの「コート・ドール」より繊細な味付けと食材の使い方が独創的な美食でした。お腹いっぱいになってふらふらとプールサイドを横切って玄関へ。すると隣の部屋からラブラトール犬がでてきて「あららびっくり!」すると、続いてご主人の姿が。。。これから散歩とのことでした。夕食のテーブルもお隣でしたから、挨拶だけでしたが、感じの良い中年のご夫婦でした。
夜は霧が出てきて気温も下がってきました。大きなバスタブにつかって温まって、食べ過ぎ飲み過ぎの胃薬を飲んで就寝。
2012年夏の旅(18)フォンジョンクーズ~ヴェルネ・レ・バン [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
9/9(日)Fontjoncous10:30(TAXI)→Narbonne11:00/11:35(Train)→Perpignan12:36/12:44(Train)→Villefranche de Conflent13:37/14:00頃(TAXI)→Vernet les Bains14:10頃
Vernet les Bains/Logis Hotel Princess 1泊(62.5€朝食込)
朝霧で昨日は見えた丘の上の教会はまったく見えません。昨夜までは、朝の散歩がてら行ってみようかと考えていたのですが、快適な部屋で寛いでしまいますと、億劫になってしまいました。ロマネスクの教会でもなさそうですし、外出はパスしてチェックアウトまでのんびり。。。
↓ 昨夜予約した時間の9:00に可愛いメイドさん姿の女性が籠を背負って、ベランダに現れました。
↓ まだ霧が晴れず肌寒い朝ですが、テラスで朝食をとりました。
↓ 昨夜食べきれなかったプティフールは素敵な箱に入れて持たせてくれたので、パンやウエルカムフルーツの残りとともに列車の中でランチ代わりにいただきました。
名残惜しいフォンジョンクーズを後に、ナルボンヌまでTAXIで戻りました。そして、列車でペルピニャン乗換でヴィルフランシュ・ド・コンフェランへ。朝の曇り空は嘘のように晴天になり、車窓の眺めを楽しみました。
コンフェランの駅にはトラン・ジョーヌ(黄色い観光電車)が待機していて、乗客も並んでいます。汽車が大好きなので、当然これに乗るつもりで、スケジュール調整しましたが、グルメの誘惑には勝てず(汗)寄り道してしまいましたから・・・駅で眺めるだけでした。全線ではなく途中下車してのトンボ帰りでも半日は潰れますし、沿線にロマネスク教会のないのが、断念した理由です。
さて駅前にはTAXIはいませんので、切符売り場の係の方に呼んでもらいました。ここで問題発生!ヴェルネ・レ・バンのホテルの予約確認書をスーツケースに入れて、置いてきてしまったのです。どこのホテルに行くのと言われても名前を忘れてしどろもどろ・・・。そうそう旅のスケジュール自体も印刷忘れて来てしまってました。wi-Fiの環境さえあれば問題はないので、なんとかここまで来れたのですが・・・この駅にはもちろんそれはありません。20分ほど待たされましたがTAXIが現われて、「どこまで?ホテルの名前は?」「あの~名前忘れて・・・」「えっ!」と驚いて私の顔を見ます。多分、老人性痴ほう症と思ったのでしょう。私「ホテルのリスト持ってませんか?」「無いけれどホテルは数軒だから、名前言ってみます。なんとかプリンセス。。。」思い出しました「おお!そこです!」この手の失敗は初めてなので、大汗でした。当初の予定ではここからバスでホテルのすぐ近くまで行けたのですが、日曜日なので極端にバスの便が少なくTAXIになりました。
無事、ホテルに到着しチェックイン。そしてカニグーまでのジープを予約したいと言いますと、今日は無理かもと言いながら電話してくれました。マダムはラッキーだよ、5分後に迎えに来るジープツアーがあるというので、大慌てで2階の部屋へ荷物を置き、トイレも済ませて階下へ。
初めは私一人、途中でドイツからの老夫婦を乗せて、ジープは細い山道をジグザグ登って行きました。何度も曲がれないところはスイッチ・バックの運転なので、ひやひやの連続。同乗したドイツ人のおじいさんも怖かったらしく「ここで事故遭った?」「1件あったけれど、僕じゃないよ」「君だったらここにはいないさ」(笑)
傾斜もきつく、ひよわな私は歩いて登るのは到底無理でした。でも歩いて登る人はかなり多く、なかには3歳くらい?の幼児も頑張って(ジープからも目撃)到着しました。↓
カニグーのガイドツアーは15:00から1時間とのこと。フリーでは見学できないシステムです。ジープのついたところはインフォメーションセンターになっていて、時間になるとガイドの修道僧(または修道尼)がここまで迎えに来ます。
☆サン・マルタン・デュ・カニグー修道院 ABBAYE de Saint Martin du Canigou
ルッション・ピレネー地方の修道院の中でもここカニグーの建つ場所は標高1094Mの峻嶮なピレネーの山中にあり、そこまでのアプローチは狭い林道を登らなければなりません(30~40分)。普通の乗用車では行けませんので、徒歩が無理であれば、熟練した運転手によるジープ(往復14€)で登ることになります。ジープツアーの会社はいくつかあるようで、私の場合は時間の変更などの懸念もあり、予約なしのぶっつけ本番でした。翌日のコースを考えると、到着すぐにカニグーに行けたのはラッキーでした。
修道院は1000年ころ、この地方の統治者ギフレ2世(サン・ミッシェル・ド・キュサ修道院長だったオリバの兄)によって建立されました。ルッションがまだカタルーニャの一部だったころでした。ベネディクト派の修道院として、トゥールのサン・マルタンに奉献。ルッションにおけるロマネスク初期の教会建築の優れた例としても知られています。オリバのもとで働いていたScluaと呼ばれる修道僧(建築家)の作。のちにScluaはここカニグーの修道院長になりました。
上階と下階に分かれた2つの教会そして回廊がシンプルに調和良く並んでいます。この小じんまりした空間は他の大修道院にない安らぎと神秘的な趣に溢れ、とてもとても素晴らしいです。
↓ ジープを降りたら大きな教会の鐘塔と後陣が見えました。嬉しくてドキドキ、すでに舞い上がリ気味。。。
写真を撮っているうちにお迎えが来て20人ほどのガイドツアーが始まりました。ということはジープの3人以外は歩きの人たちということ…みんな元気~!
↓ 中庭には赤い薔薇
↓ 回廊の一辺(南ギャラリー)は山に面して開放され、素晴らしい眺め。あいにく夕方近くになり天候は下り坂。ガイドのお坊さんのお話が長くて、聴いてない人も多数。私も彼に言葉が理解できないから、案内書見ながら回りますと、断わりました。しぶしぶ了解していただけましたが、でも目の届く範囲に居てほしいとのことでした。ガイドツアーと言っても布教活動の一端なので、観光化された他の教会とは違うのは無理もありません。
↓ 夏の終わりのあじさい?18世紀になってから修道院は閉鎖され、略奪などもあり荒廃していました。20世紀になって修復されたとは思えないオリジナルな美しさが残っています。
↓ 十字架とキャンドルを持ち行列する修道士たち
↓ サロメのダンス
↓ ライオンと男
↓ 地獄の罰。左に串刺しになり苦悶する修道士の姿。右にミトラ(司教冠)を被った顏は梟、足は犬(地獄に落ちた司教を表わす)。中央の犬は食べ物に舌を伸ばして(ギリシャ神話のタンタルスの苦悩)終わりなき苦しみを表わしているそう・・・怖い。このほかにもシニックな表現のものがあり彫刻家の個性が感じられました。
↓ 柱頭のベースに彫られた鶏
↓ 回廊のほかの3辺は単純なアーケードが連なっています。天井の石積がそのままアーチの壁面へ。その素朴な美しさに打たれながら、下の教会へ。
↓ 下の教会はクリプトとも呼ばれ、1009年に聖母マリアに献堂されました。3廊式で3つの後陣が配され、低い天井と粗い石のアーチヴォールトが印象的。古い円柱と柱頭が後に補強された柱に囲まれています。
↓ いったん外に出て階段を上り、上の教会へ。オリジナルな建築では上にも回廊があったのですが、今は失われテラスのようになっています。
↓ こちらがメインの教会内部でバジリカスタイルの3廊式。特徴的なのは細い円柱とその上の逆三角形の柱頭。それがその上から延びるアーチを支えています。教会の中は説明が終わるまで撮影禁止です。説明が終わってからほんの2,3分ですが、帰り際にお坊さんが良いよと言ってくれたので、パチリ。
↓ 柱頭も目の前のを一枚だけ。
↓ 私のわがままを許してくださったお坊さんの後ろ姿です。感謝をこめて・・・。左の庇の下に見えるのが創立者のギフレ伯爵と妻の墓。
ツアーが終わると雷が鳴って、今にも雨が降り出しそうになりました。雨が降ると山道をあのジープで下るのが怖いので、心配でした。何とか持ちこたえ、迎えのジープで下山、ホテルに戻りました。数分裏山を登ると修道院全体を見下ろせるビューポイントがあるのですが、私は膝が心配でパスしました。↓は絵葉書です。
↓ ホテルの前でジープのお兄さんともお別れ。
↓ カニグーの麓の町ヴェルネ・レ・バンのホテル。レセプションのオジサンがとても親切でした。お部屋もこのお値段でバスタブつき!お部屋も綺麗でお勧めです。
夕食はホテルのレストランで。ロジ・ド・フランスのグループなので、人気があり満席。ここでも私が一番乗りでした。
↓ ロゼを注文したら氷入り袋のボトルがでてきました。ヴェール(グラス)でと言ったはずですが・・・私のフランス語はむむむ。でも安くて10€もしません。
↓ サラダとオニオングラタンスープ。昨夜のご馳走のあとなので軽く済ませました。デザートは甘すぎて×。
サン・マルタン・ドゥ・カニグー修道院の見学が明日になるかもと思っていたのですが、順調に行ったのは幸運でした。旅行の直前に予定を組み直し、ここは1泊にして明日はプラドに宿替えしたのは正解でした。
2012年夏の旅(19-1)ヴェルネ・レ・バン~プラド [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
9/10(月) Vernet les Bains8:25(バス)→Prades8:50/12:40→Perpignan13:45/14:00→Le Boulou14:25/16:15→Perpignan16:50/17:10→Prades18:00
Prades/Maison Prades 1 泊(90€ 2食付)Chambres d'hotes
昨日は念願のサン・マルタン・デュ・カニグー訪問を果たし、安堵しました。長い旅なのであまりきっちり予備知識を仕入れると出かける前に疲れてしまいます。。。というのはずぼらな私の言い訳でもありますが、現地に来なければ掴めないこともあり、また偶然にうまくいった時の喜びも捨てがたいものです。
↓ 朝食は質素系ですが、何の不満もありません。宿代は安く、なんたって無事にカニグーに行けたのですから~にこにこ。
↓ レストランから見た宿泊棟
↓ バス停の途中まで道案内をしてくれたホテルのおじさんありがとう~プラドに向かいました。
↓途中の風景。 霧が晴れて、今日も天気だわ!とルンルン気分でしたが・・・
今夜の宿は初めてのシャンブル・ドットです。プラドを拠点に1€均一のバスで行ったり来たりするので、バスターミナルに一番近い宿を探して見つけたところです。Google Earthで場所はチェック済みでしたので、確認書は忘れても迷わず行けたのですが、小さな看板に玄関は普通のドアに個人の名前ですからドキドキしました。呼び鈴を押すと愛想の良い中年の男性が現われ、一安心。荷物を預け、サン・ミッシェル・ド・キュサ修道院まで行くと言いますと、歩いて?!とびっくりして、詳しい道を知らないけどと、外の標識を教えてくれたのです。
↓ 電柱のこの赤白の印を辿っていくと良いから…結局それを信じて回り道してしまいました。
↓ 印を辿ると丘の上の住宅地にきてしまいました???以前ド・キュサに行った方のブログで、景色の良い回り道を辿ったことを読んでいたのですが、それはどうやら私には無理そうです。
それに付近を犬の散歩に歩いている人に修道院はどこ?と訊くのですが、答えははっきりしなくて、遠いよ~とだけ。そこへ助けの神様の黄色の郵便配達の車が停まっているのが目に入りました。親切な方で紙に地図を書いてくれて、下の大きな道に戻ったほうが分かりやすくて近道だからとのこと。
↓ その下の道に降りる階段。途中から砂利道になります。雨が降ったら滑りそう。。。
↓ なんとか大きな道に出ましたが、ここから歩くこと30分
↓ ド・キュサの鐘塔が彼方に見えた時の嬉しかったこと!
↓ でもそう簡単には到達できませんのです。。。
↓ ようやく案内板
↓あれ~まだだわ。修道院の塀をぐるりと回ります。
急ではありませんが来る道は全体に上り道なので、気温も上がってきてヘトヘト大汗でした。
☆サン・ミッシェル・ド・キュサ修道院 ABBEY Saint Michel de Cuixa
カタルーニャのプレロマネスク建築。リポールで辣腕をふるった高僧オリバはここド・キュサの大修道院長も兼ね、カタルーニャ最大のモサラベ様式の聖堂を改修しました。最も古い部分は10世紀後半の身廊、翼廊と内陣。次がオリバによる11世紀前半改築の翼廊と後陣、そしてナルテックスと鐘塔を増築。12世紀前半は回廊とトリビューンが新設され、現在みられるロマネスク様式の修道院になりました。ただ、回廊はフランス革命で荒廃し、柱頭は散逸。20世紀初頭アメリカ人の彫刻家によって買い集められた柱頭は現在NYのマンハッタン島の北のザ・クロイスターズに展示されています。残されている回廊を巡りながら、3度も訪れたザ・クロイスターズの薔薇色の大理石で刻まれた柱頭を目に浮かべ、ここにあったらどんなに素晴らしかっただろうかと想像してしまうのでした。
↓ 入口で入場料を払い奥へ進みます。クリプトまでのアプローチが一気に中世の気分へ誘います。
↓ 馬蹄型アーチからクリプトに入りますと、中央にとてつもなく太い1本の柱が建っています。まるで地中から根が生えた棕櫚の大木、枝を広げつつ石の天井と同化して・・・それに宿るような生命力と神秘さに圧倒されました。
↓ナルテックスの下に当たるクリプトは「まぐさ桶の聖母の礼拝堂」とも言われて、小さな祭壇が設けられています。
↓ 回廊からの光の差し込む空間は、オリバによって増築されたチャペルに続くナルテックス。小さな女の子にとってもアメージング体験でしょうか。
↓ 回廊/コンフェラン産の薔薇色の大理石で統一された彫刻、柱、アーケードが並んでいます。教会の北側に続く屋根のあるギャラリー。
↓ 回廊の西側はわずかしか残っていません。全体でも63のうち半分しか残っていないそうです。
↓ 回廊西側から鐘塔と教会が見えます。
↓ 東のギャラリー。パワフルで見事な柱頭彫刻群。基礎部分も同じコンフェラン・マーブルです。
↓ 柱頭彫刻のテーマはモンスター、動物や図案化されたオリエンタルな植物などシンボリックなものが多いのが特徴。
↓ 生命力の溢れた獅子、今にも唸って飛び出しそう~迫力満点。
↓ 一巡した後は教会へ。オリジナルの場所から移されたらしい北扉口。
↓ アーチの右にセラフィンと福音書記者ルカのシンボル
↓ 扉口左右に置かれた大理石のモニュメント。
↓ 教会は三廊式のバジリカのプラン。木造小屋組みの天井は近年になって改修されたもの。身廊のアーケードは厚い壁を直に彫りこんだような素朴な角柱を持つ、プレ・ロマネスク様式。
↓ 北側廊から内陣方向を観ると教会の一番古い部分がより鮮明に現れます。奥の小後陣入口にに馬蹄型アーチ。イベリア半島からピレネーを超えて伝来したモサラベ建築の一端が伺えます。
↓ 南鐘塔
↓ 教会西正面扉口
ド・キュサにたどり着くまでは迷って1時間もかかりましたが、帰り道は緩やかな下り道なので30分ほどでプラドの町中のバス停に着きました。20分ほど待ち時間があり、ランチ代わりのお菓子などベンチに座って食べて、5分遅れのバスでペルピニャンへ向かいました。カニグーが今日にずれると無理かもと懸念していたフノラールのサン・マルタン教会が明日休みなので、今日の午後しかチャンスがなかったのです。ペルピニャンでル・ブルー行きのバスに乗り換えましたが、ここも5分遅れ。。。イタリアと違って早く来ることは決してありません(笑)ので安心です。
↓ 1€均一料金で乗れるスグレモノのバスのタイムテーブル。大層お世話になりました。
続きます~
2012年夏の旅(19-2)ヴェルネ・レ・バン~プラド [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
~続きです。
ペルピニャンからル・ブルーまでは高速道路を走り30分足らずで到着。ル・ブルーの町もGoogle earthのストリートビューでチェック済みでした。ラ・ポストで降車、このバス停にはタクシー乗り場があり、まもなくやってきたからタクシーでフノラールへ。念願のサン・マルタン・ド・フノラール教会の訪問でした。ル・ブルーの南3K程度の林や農地の近くに建つ小さな聖堂です。タクシーの運転手さんも来慣れているようで、1時間後に迎えに来るからと去っていきました。教会への入り口右にチケット売り場兼ショップがあります。ところが扉が閉まっていて人影はなく一瞬ドキッとしましたが、張り紙があって、今ガイド中なので次回まで待ってくださいとのこと。その間に外観の写真を撮りました。
↓ 鄙びた小さな教会というより農家の納屋のような外観。
↓ 周りの糸杉や樹木に隠れて・・・。
↓ 小さな古びた鐘塔だけが祈りの場であることを示しています。
一巡して戻ってきますと、ガイドの女性が帰ってきました。フランス語のガイドはお断りしてフリーで見学させていただきました。内部はカメラ禁止なので、壁画はすべて絵葉書です。
☆ サン・マルタン・ド・フノラール教会/L'eglise Saint Martin de Fenollar
スペインの国境まで10K、ピレネー山麓の農村を背景に建つ、プレ・ロマネスクの小さな教会です。844年から存在していたという記録があり、単廊式のシンプルなバジリカですが、内部には12世紀前半に描かれたびっくりするほど素晴らしい壁画が残っています。教会建築としては馬蹄型アーチと方形の祭室身廊にモサラベや西ゴートスタイルの名残がみられます。オリジナルは木組みの天井でしたが、後に石のヴォールトに改造。
↓ 南扉口から入りますと、右奥が馬蹄型アーチで区切られた小さな祭室です。剥落している部分はありますが、一人のマエストロまたはひとつの工房の作品と考えられています。そのユニークで生き生きとした聖書の世界の人物たち。
↓ 祭室の奥の小窓の上部にダイヤモンド型のマンドーラに囲まれたオランスのポーズの聖母。色彩も多種類の絵の具を用い(赤、黄、オークル、茶、白、ブルー、緑)華やか。人物の目が大きく白のハイライトも効果的です。
↓ 向かって左の北壁の下部は降誕、受胎告知、マギの礼拝。聖母の顔が大胆なラインで隈取られ野生的牧歌的、「農婦のような」と表現される強い聖母のイメージです。
↓ 楽器や杯を持つ黙示録の24人の長老たちは天井に描かれた「栄光のキリスト」に向かって祝福しています。モワサックのタンパン同様、「ベアトゥスの黙示録註解」から想を得たものと解釈されています。
身廊部分にはかすかにフレスコ画の痕跡が認められる程度ですが、フランス革命時に失ったとのこと。。。図像のイメージはアキティーヌやラングドックのロマネスク美術にも見られるものですが、カタルーニャのタウルからきた画工たちによる見事なカタルーニャ様式のフレスコ画です。1910年にここを訪れたピカソとブラックに大きな印象を与えたことでも知られています。
一度インフォに戻り絵葉書などを購入した後、まだ時間があり、再度観ていいかしら?というと、どうぞどうぞ素晴らしいでしょ~!と笑顔の係りの女性。帰り頃に二人見学者が来ましたが、この魅力的な壁画を独りで、無心な心境で鑑賞できてシアワセでした。TAXIも時間通りに迎えに来てくれて、ル・ブルーまで戻りました。
↓ バス停の傍のカフェでお茶したあと、この街の中心にあるサント・マリー教会へ。徒歩数分。
☆サント・マリー・デュ・ブルー教会 L'eglise Sainte Marie du Boulou
↓ ここに来たのは扉口の上部のフリーズに残っているカベスタニーの彫刻を観るためでした。
↓ 小さく彫られていて肉眼では良く見えません。
↓ ズームアップして撮った写真で確認。右から観て行きますと傷んでいますが「羊飼いたちの礼拝」。右の牛たちの配置もカベスタニースタイルですね。
↓「降誕」聖母の顔は後の時代に修復したようですが、すらりと伸びた長く大きい手と左のぐるぐる巻きの幼児イエスはカベスタニーのオリジナルでしょう。
↓ ここの部分は「イエスの沐浴」父ヨセフが幼児イエスを包む布を用意しています。そして「マギの礼拝」
↓ 聖母子の椅子を後ろから支えているようなしぐさをしているのはマリアの母(聖アンナ)でしょうか。聖アンナがロマネスクの彫刻に登場するのは珍しいです。
↓ 「エジプトへの避難」と最後は「聖母被昇天」
教会は鍵がかかっていましたし、内部はバロックに改装されているようなので、見学しませんでした。
↓ まもなくやってきたバスに乗ってペルピニャン経由でプラドに戻りました。
↓ プラドのシャンブルドットにチェックイン。1階のロビーと食堂。経営するのは男性のカップル。シャンブルドットは初めてでしたが個人の家に招かれたような気持ち。皆で囲む夕食も楽しかったです。
↓ HPで好みの部屋を選べます。メールは英語可。http://www.maisonprades.com/site/ 私の選んだ部屋はシックなラベンダールーム。バスタブ無し。
今夜は夕食一緒にしましょうと誘われ(曜日によります)、24€(飲み物含め)というので参加しました。
↓ 窓から庭を眺めますと、すでにウエルカム・ドリンクのテーブルがセットされていました。
ガーデンでアペリティフとおつまみをいただいて、自己紹介。3日かけてピレネーを超えてきたバルセロナの山男たち(僕たちスペイン人でなくて、カタルーニャ人だよ!って強調)、ベルギーから車で南フランスを周遊しているご夫婦など気のおけない人たち総勢10名。家庭料理もとても美味しかったです~☆
食卓ではカタラン語、フランス語、英語が飛び交い賑やかでした。経営者の男性が気をきかせて、私の両隣に英語の話せる人を座るようにしてくれて、そのベルギー人の奥さんとバルセロナの男性がとても親切な方たちで感激。カタルーニャを回ってきたという私もあまり浮かずに済みました。
↓ メロンと生ハム、魚の煮込み(ライス、焼き野菜ぞえ)、デザート
、
楽しくて、ついついワインも飲み過ぎました。今日はかなり歩いたこともあって、疲れました。熟睡。
2012年夏の旅(20)プラド~ペルピニャン [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
9/11(火) Prades9:30(taxi)→Serrabone10:00/11:30→Villefranche-de-Conflent12:10/14:10(バス)→Prades14:30/14:50→Perpignan15:30
Perpignan/Comfort Hotel El Centre Del Mon 1泊 (110€朝食別)
昨夜は飲み過ぎでしたが、ぐっすり眠ったので朝の目覚めは爽やか。それに今日も良いお天気です。↓窓からピレネーのカニグー山頂が見えました。
手入れの行き届いたシャンブルドットのお庭。コスモスやダリアなどが綺麗に咲き乱れ、それを眺めながらの戸外での朝ごはんは最高~☆
チェックアウトして宿に荷物を預け、9:30に予約してもらったTAXIで一路セラボンヌへ。プラドから東へ15Kほどペルピニャンへの国道を走り、途中右折(南下)してS字カーブの続く山道を走ります。最後はかなりきつい傾斜でした。
プラドのTAXIは他に比べて安く、親切な運転手さんでした。ここで待っているからゆっくり見学してきてOKと言ってくれて、安心でした。駐車場からは坂道を数分登り修道院へ。
☆セラボンヌ小修道院 Prieure de Serrabone カタラン語ではSerrabonaといい、「善き山」の意味。人里離れた山中に共同生活していた隠士たちの場が1082年にアウグスティノ派の小修道院として創建。ド・キュサ修道院からの援助もあり1130~40年代に増築、1151年に献堂されました。12世紀中頃の赤い大理石の柱頭彫刻や浮彫が残されています。
↓ 逆光ですが西側外観。ここは写真愛好家の観光客の比率が高く、見物する人々も多かったです。そのせいか実際は孤立感のただよう教会だと思うのですが、そういう趣は感じられませんでした。右下の階段を下りるとインフォメーションの入り口(有料)。
↓ インフォの後(南側)がすぐ一辺の回廊になっていて、薔薇色のコンフラン・マーブルの柱が並んでいます。初秋の周辺の山や谷の緑とのハーモニー。。。
緑深い谷間を背景にさまざまなライオンたちが並ぶギャラリー。地元から切り出された片石の堅固な壁やアーチが大理石の柱頭をより引き立てています。
↓柱頭彫刻はオリエンタルなライオンや鳥、人の顔など。
↓ 回廊の奥から教会に入ります。大小の後陣(12世紀半ばの改築)が並んで、片石の壁が素朴な中に端正な祈りの空間です。
↓ 礼拝用の長椅子の並んだ主身廊から西側に設けられたトリビューンへ。
↓ セラボンヌのユニークなトリビューン。「神の子羊」などが浅く刻まれた西側の側面。
↓ 太いリブが交差する天井の構造美。アーケード並ぶ空間に魅了されました。
↓ 柱頭彫刻群がまた素晴らしいの一言!あれもこれもと欲張って、系統だてて観ないでしまったのが悔やまれます。ライオンやグりフォンなどペルシャの絨毯にもあるオリエンタルな図像ではあるけれど、そのなかに刻まれた人間の顏のさまざまな表情も含めて、野生の叫びのような生命の輝きに満ちています。中世の教会であるロマネスク建築の空間に人間再生の萌芽がみられます。それらをプランとしても異例な身廊中心のトリビューンに設えたことも謎といえるでしょう。ド・キュサと同じ彫刻家の作と考えられていますが、この密なスペースでの鑑賞はまた格別なように感じました。
ネーミングが例え「善き山」であっても、この地は厳しく辛い環境であったでしょう。その後は16世紀の宗教戦争によって荒廃し、修道院としては消滅したと伝えられています。
↓ 南回廊外観
↓ こちらはコンパクトデジカメで撮ったもの。かなり色が違いますね~。
↓ 後背部、鐘塔が隠れてしまいました。
↓ 西側正面
↓ 北側外観
↓ 北側扉口
時間が足りなかったのですが、待っていたTAXIに戻り、プラドから先のヴィルフラッシュ・ド・コンフェランへ。途中運転手さんに寄りませんか?と勧められた丘の上の町などは時間がないので通過。。。
ヴィルフラッシュ・ド・コンフェラン「フランスの美しい村」での散策と昼食。↓俯瞰写真は美しい村のHPから拝借。
↓ 城壁に囲まれた小さな村ですが、観光客で賑わっていました。ゲートでTAXIを降車。チップをあげようと思ったら、82€を80€におまけしてくれたので、出しそびれ(笑)メルシー・ボクーでした。
↓ 門をくぐり村のメインストリートを散策
↓ 途中のパン屋さん。ここはフランスですがカタルーニャの旗が。。。
↓ お店の看板も黒い鉄製?で統一されてお洒落です。
↓ ここにもロマネスク関連の教会があります。
↓ 内部はクローズでしたが、12世紀の扉口を見学。
↓ 事前にチェックしていたレストランですが、満席で残念。
仕方なく、近くの間口は狭いのですが、奥行きのある団体客も多いレストランでランチ。裏のテラス席でしたが、サービスが遅くていらいら。ビールと海鮮サラダひと皿の料理に1時間もかかりました。結局デザートはパスしてお勘定を済ませ、バス停へ。
プラドでの乗り換えの時間に宿に預けた荷物をピックアップ。「〇〇子、楽しかったですか?また来てください」と最後まで愛想の良いシャンブルドットのお二人さんに見送られ、バスに乗ってペルピニャンに戻りました。
思っていたよりスムーズにルシヨン、正確にはピレネー-オリエンタル県の名修道院、教会を回ることができました。明日の移動もありますので、ペルピニャンのホテルに戻った後は、地下のスーパーで果物や水を調達。久しぶりにスーツケースにはいっていた手持ちのカップうどんなど食べて早めに就寝。
2012年夏の旅(21)ペルピニャン~リヨン [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
9/12(水) Perpignan8:18→Lyon-Part-Dieu11:50
Lyon/La Résidence 1泊(100€朝食込)
10時ごろの出発の予定だったのですが、昨日はペルピニャンに早く戻ってきたこともあり、意外に元気なので8時過ぎのTGVでリヨンに向かいました。チケットも昨日購入済みでしたし、朝食の後はすぐチェックアウトして発車の10分前には駅(と言ってもホテルが構内ですから)のホームに立っていました。
↓ 8時過ぎたばかりなので、太陽が昇ってきたばかりの地中海の入り江
↓ それからまもなく、朝焼けが綺麗な車窓風景に変わりました。
ところが、そのTGVはナルボンヌでメカニック・トラブルで30分停車。結局はずるずる遅れて、リヨン・パールドウ駅には1時間以上も遅れての到着。
リヨンは12年ぶり2度目。前回はブルゴーニュを回った後に南下してきたのですが、今回は南のルシヨンから北上してきました。そして明日からリヨンから西のオーヴェルニュを巡ります。
悪いことにぽつぽつと雨が降ってきました。これから天候が崩れるのかしら?TAXIでホテルへ。ホテルの前の道路は歩行者専用になっていて、タクシーは通れますが、かなりのろのろ走りました。ホテルの場所は街の中心ベルクール広場から1ブロック、ショッピング街の真ん中にあります。建物は旧く、ビジネスホテルっぽい雰囲気です。
↓ 簡素系のお部屋ですが、バスタブ完備。
洗濯を済ませ、外にでますと雨が止んでいました。「そうこなくっちゃ~」と機嫌よく、装飾美術館の近くのスペインバルでランチ。タパスをいくつかとビール、コーヒーとデザートのムース。オーナーはこの近辺にワインバー、レストランなどを展開しています。安くて美味しいし、自分のおなかに合わせて気楽にオーダーできるのが利点です。
↓ 装飾美術館前の通り。リヨン名物?豚さんマークのレストランやワインバーも。
↓ ベルクール広場と以前宿泊した広場に面した高級ホテル。
ここから1Kほどのリヨン美術館(再訪)へ。↓美術館前の広場
↓ 美術館の中庭
↓ ペルジーノPerugino 「栄光の神」&「キリストの昇天」(1496~98)ペルージャのサン・ピエトロ聖堂旧蔵。祭壇画の一部
↓ ゴーギャンPaul Gauguin「ナヴェ・ナヴェ・マハナ(かぐわしき日々)」(1896)
さて、ここリヨン美術館のユニークなコレクションは19世紀リヨン派の絵画です。2000年の初訪問のときbowlesさんに教えていただくまで全く知らなかったので、当時も興味深く観たのですが、今回もやはり来てしまいました。
↓ ピナコテーカ・トレヴィル・シリーズ6「リヨン派画集」 古本屋から購入した、多分リヨン派について書かれた唯一?の画集だと思います。このシリーズは他に「カルロ・クリヴェッリ」「フォンテーヌブロー派」など持っていますが、現在は版元が倒産したため、手に入れるのは難しくなっているようです。
帯には<19世紀、科学と実証の時代の潮流にあがらい古都リヨンに咲いた”あだ花”、カトリック復興運動とフリーメーソンから霊感を受けた特異な神秘主義絵画群。近代化の中で忘れられていた、世紀末象徴主義・ラファエル前派を先取りした画派を発掘する世界的にも稀有な画集>とあります。
リヨン派の代表的な画家ルイ・ジャンモLouis Janmot(1814~1892)の「魂の詩」シリーズは特別室に展示されています。以前はカメラ禁止でしたが、今回はOKでした。画家の宗教心と神秘主義の表れたこの連作は謎めいて難解ですが、美しい。。。
↓油彩18点のうち上の画集の表紙にもなっているNO2「魂の移行」(中央部分)/新たに生まれた魂は天使に抱かれて地上に向かう。
↓No3「天使と母親」地上に着いた魂は地上における母親に委ねられる。
↓ No16「魂の飛翔」二人は子供時代を過ごした地を見捨て、未知の国々へと旅立つ。しかしこの飛翔は墜落の予兆をはらんでいる。
↓ シモン・サン=ジャン Simon Saint-Jean「女庭師」
↓ 階段室の装飾はピエール・ビュヴィス・ド・シャヴァンヌPierre Puvis de Chvannes
今回は初めて古代や中世の彫刻部門の見学をしました。エジプト古代美術の奥にひっそりコプト美術のコーナーがありました。
↓ コプト教の墓碑
↓ カロリング朝の読誦席前飾り(8~9世紀)。リヨン近郊のL'abbaye de l'lle -Barbe 旧蔵
↓ オーヴェルニュの聖母子(12世紀)
↓ カタルーニャVicの旧大聖堂のファサードにあった彫刻(1170-1180)「三人の預言者たち?」
↓ 北イタリアのモデナの教会旧蔵 12世紀
↓ 曲芸師(12世紀後半) ベリー地方ブールジュのSaint Pierre le-Puellier教会旧蔵
追記:この彫刻の写真をどこかで観た覚えがあり、帰国後、本棚をチェックしました。アンリ・フォションの『ロマネスク彫刻 /形体の歴史を求めて』(辻 佐保子訳)に解説が2ページに渡って記載されているのを発見しました。フォンションが惹かれたというこの彫刻は楽器を奏で、詩を朗唱し、軽業を演じる芸人たちを表わす一群の良く知られた図像の体系に属しているそうです。サン・マルタン・ボッシェルビルには女性の軽業師の彫刻があると書かれていますが・・・記憶にありません。「力強く強調された枠組みのなかにあって、人体の軸線は湾曲した矩形の対角線と一致している。左手と右肘、右膝で枠線の境界線に触れており、足先がごくわずかにそこからはみだしている・・・やや淫らな優美さのうちに神経をはりつめている」と表現されたこの見事な彫刻は
↓ 扉口のアーチヴォールトを飾っていたようです(リヨン美術館のHPから)。
↓トスカーナ、ピサのsainte-Catherine教会旧蔵。14世紀中ごろの彫刻「受胎告知」
帰りはカフェでコーヒーを飲んでひと休み。
↓ 懐かしいリヨン劇場
↓ 今夜の出し物はオペラもなくて、明日は山海塾です。帰りはメトロでホテルに戻りました。
↓ 夕食はベルクール広場のインフォメーションに置いてあったパンフレットを見て、お勧めのチャイニーズレストランへ。これが大失敗。広東風のおこげを頼んだのですが、超不味いのです。どおりで素敵な内装のお店はがらんとしていました。余程インフォメーションに文句言おうかと思ったくらい。。。
↓ ブツブツ文句の独り言いいながらも、夜のリヨンの丘のイルミネーションンをパチリ。
2012年夏の旅(22)リヨン~クレルモン・フェラン [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
Clermont-Ferrand/Best Western Lafayette 2泊 (1泊83€朝食別10€)
2012年夏の旅(23-1)クレルモン・フェラン(モザ) [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
9/14(金) Clermont-Ferrand(SNCF)8:56→Riom Chatel 9:05/9:20(バス)→Champ d'Ojardias(Mosac)9:28/11:37→Riom Chatel11:45/12:11→Clermont-Ferrand12:22
今日も朝は少し霧が出ていましたが、次第に晴れてきました。列車でリオン・シャテルまで10分ほど。駅前のバス停で15分ほど待って、初訪問のモザへ。
↓ リオン・シャテルの駅前風景(バス停から)。
Google earthで、目的のモザの修道院近くのバス停も確認済みでした。しかし
↓バス通り付近には教会への案内板は見当たらなく、自宅でプリントしてきたマップが頼りでした。
↓ バス通りから人気のない小道に入り・・・右折。
↓ 厳重な高い石塀は昔の荘園の囲いのようです。
↓ 塀の向こうに教会の鐘塔が見えてきました。
↓ 入口から村の人が何人か出てきました。すれ違う時挨拶したら「素晴らしいシャピトゥがあるんだよ!」と誇らしげです。心の中で「ハイハイ知ってるてば(笑)」
↓ 北側ポーチ(12世紀)から入ります。
↓ 右上にロマネスクの外壁トリビューンが残っています。軒のモディリオンはオーヴェルニュ特有の「かんなくず」といわれるもの。黒い水石の配置やアーチもとても綺麗です。
☆St-Pierre Abbaye de Mosac (Mozat) モザの聖ピエール修道院教会
680年カロリング朝時代にアキテーヌ公により創設され、まもなくこの地方の最も重要な修道院になりました。768年にはクレモンの最初の司教により聖別され、1095年にはオーヴェルニュ伯の希望によりクリュニー修道院の傘下に入りました。当時の大きなカロリングスタイルの教会建築は地上階と西の鐘塔に残っています。12世紀の改築で4つの半円形の祭室と周歩廊を持つ、奥行き60mの美しい教会となりました。しかし、不運にも15世紀の地震により崩壊してしまったのです。再建資金も不足したため後陣は縮小されました。しかしながら残った素晴らしい柱頭彫刻が当時の面影を充分に伝えてくれます。
↓ 西側にモザで最も有名な柱頭彫刻群が低い位置に展示されています。
↓ 「墓を訪れる3人のマリア」マリアたちのそれぞれの大きな顏にくっきりした目の表情・・・香油を手にした物腰の優雅ななかに秘められた決意と健気さがこれほど直に伝わる彫刻は、他にありませんね。衣装の彫の技術の高さもロマネスクから逸脱してると感じるほどです。ただ、アンバランスな頭部と体、ここから伝わる精神はまぎれもなくロマネスクです!
↓ キリストの復活を告げる天使の愛らしくも高貴な姿。羽が上部の空間をぴしっと埋めています。
↓ 立ったまま居眠りする兵士たち(笑)。家形の墓には普通もぬけの殻なのですが、サービス?二人の遺体が彫られているのも可笑しいです。
↓ 「アトラース」 こちらの4面もそれぞれ違う表情。ギリシア神話の天空を支えるアトラースと思ったのですが、現地で買い求めたリーフレット(英語版)では「The Telamones and the tree of life」とあり、どこがどう違うのか不明です。
↓
↓ 身廊や内陣にも数多くの素晴らしく、かつユニークな柱頭彫刻が並んでいます。
↓ 「ヨナの物語」
↓ 「ケンタウロス」
↓「葡萄を収穫する人」
↓ 左「盾を持つ勝利の天使?」、右「繋がれた猿」
↓ 内陣の祭壇付近に置かれた柱頭彫刻。「四天使と四つの風」天使が風を吹かせないように口を押えています。
↓南側廊のチャペル。ステンドグラスの光が磔刑像の足元を彩り綺麗!
↓ 南側廊から外に出られるドアがあり、左手の外壁にタンパンが残されています。はっきりは写っていませんが聖母の顔が黒く、いわゆる「黒い聖母」のカテゴリーにはいるのかも・・・。
すべての柱頭彫刻の写真を撮るのは無理ですし、疲れたので見学は終了。元来た道を戻り、バスに乗車、。駅のひとつ手前のバス停で降車。
↓ Riomの町の凱旋門など見ながら駅へ。
クレルモンフェランに着くと丁度ランチの時間でした。ホテルの隣のレストランでサラダとポークの一皿定食+デザートを食べて、いったんホテルの部屋に帰り少し休憩してから、14:00に予約したTAXIで午後の部のロマネスクおひとり様ツアーに出かけました。続きます~。
2012年夏の旅(23-2)クレルモン・フェラン(オルシヴァル、サン・サテュルナン) [2012夏ザルツブルクとフランス、スペインを巡る]
9/14(金)
~続きです。
時間どおりに迎えに来たタクシーで、クレルモン・フェランの南西20Kに位置するオルシヴァルへ。14年前はツアーバスで同じコースを行きました。緑の谷間の続く風光明媚な地方ですが、ピュイ・ド・ドーム県はフランスの田舎の中でも過疎に近い土地と聞いたことがあります。そういえば豊穣のシンボルのような葡萄畑はあまり見かけませんでしたが、牧畜(チーズの産地)は盛んな地方です。古い火山地帯を抜けてしばらく走りますと、小高い道から懐かしい風景が・・・谷間の小さな村と教会が見えてきました。
☆La basilique d'Orcival オルシヴァル聖堂(ノートルダム教会)
9世紀に「ポン・ラぺ」から聖母の遺物が移される。ヴァイキングの略奪を逃れて聖ステファノに捧げられた教会が創建。現在の教会は12世紀に建設。聖母への巡礼で繁栄し、参事会教会となる。近郊産の灰色の安山岩で建てられ、付近の民家と同じ灰色、その村に溶け込んだ佇まいが魅力的。
↓ ノートルダム教会前の広場に到着。外壁は洗浄したのでしょうか?以前はもっと黒ずんでいました。
↓ この教会の外観はオーヴェルニュ・ロマネスク教会のなかでも保存の良い、こじんまりとまとまった姿が印象的な建築です。特に後陣からの眺めは緑を背景に素晴らしい~☆下の写真ではうまく写っていませんが、外壁の石モザイクの幾何学模様の装飾も素敵です。鐘塔は8角形2層(12世紀後半)、その頂の小塔は後年追加されたもの。
↓西側が山に接しているため、通常の西正面扉口は設けられず、南側扉口から出入りします。
↓ 身廊の天井はトンネルヴォールト、壁面は大アーケードとトリビューンの2層。交差部はスクリーンアーチで仕切られ、天井は一段と高く、視覚的にも次第に高くピラミット状の空間を見てとれます。これが外観の安定したオーヴァルニュスタイルに結びつくわけです。
↓ 柱頭彫刻は内部が暗いこともあり、ほとんど失敗しました。植物文様やグりフォンなど。
↓ なかで印象的なのは「吝嗇の罪人」、 金袋をもつ男が可哀そうになるほど苛める悪魔が怖い(笑)
↓ 北側廊から内陣へ
↓ 周歩廊のある内陣
↓ 祭壇に聖母子像(12世紀木造)。以前がガラスケースに入っていなかったと思いますが・・・。
↓ クリプトは初めてでした。4つの放射状祭室を持った内陣がそのまま半地下の空間ですから、かなり広く
↓ 「聖なる鳩」12世紀にはミサの聖体のパンを保存するためのものでしたが、これは近年に作り直されたものです。
↓教会の周りにはインフォーメーションやホテル、公衆トイレも整備されいました。
さて、次はオルシヴァルから南東に走り、初訪問のサン・サテュルナンを目指しました。この丘の上の村は「フランスの最も美しい村」に登録されています。http://www.les-plus-beaux-villages-de-france.org/fr/saint-saturnin-0
☆L'Eglise Saint-Saturninサン・サテュルナン教会 /12世紀の中頃に淡く黄色っぽい花崗岩で建てられた。オーヴェルニュ・ロマネスク様式の教会の中では最も小さい教会。
↓ 教会はその村の中心、後陣の方は谷間に面しています。教会脇で車を降りますと目の前に古いお堂が建っています。聖マドレーヌに捧げられた11世紀の小さなチャペルだそうですが、内部は見学不可。
↓ サン・サテュルナン教会北側外観。
↓ チャペルの裏庭から撮影
↓ 12世紀オリジナルの鐘塔
↓ 外壁の装飾もオーヴェルニュスタイル
↓ 内部は石の色合いもあって優しく和む空間が広がります。祭壇の近くに座ってるシニアのご夫婦は日本人でした。教会内なので挨拶を交わしただけですが、日本語はバルセロナの市場食堂で出会った青年以来、8日ぶりでした。
クレルモンフェランのデュ・ポールやオルシヴァルでみてきて基本的なオーヴェルニュスタイルの3身廊。
↓ 内陣の周歩廊
↓ クリプト
↓ 柱頭彫刻は簡素な植物文様など
↓ 交差部
↓ 身廊の壁面
午前中のモザから始まった今日のロマネスク巡りはここで終わらせ、せっかくの美しい村の散策もほとんどできないままサン・サテュルナンを後にしました。ぐったり疲れてしまって夕食に出る元気もありません。
↓ 昨夜戴いてきた小菓子やフルーツに手持ちのフリーズドライので雑炊で簡単に済ませ、お風呂に入って就寝。