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2007年ヨーロッパ初夏の旅(パリ3/ルーアン) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

5/13(日) ルーアン一日観光
昨夜から朝までかなりな雨でしたから、ルーアン行きを懸念していましたが、ホテルを出発する頃に雨も上がり、晴れてきました。サン・ラザール駅から列車に乗って1時間でルーアンに到着。途中の風景は北海道に似た農地が広がり、昨年訪れたカンやバイユーとは同じノルマンディーでも木組みの家が少ないのにはやや落胆でした。

まずは駅から徒歩5分ほどのルーアン美術館へ。もうすぐお昼休みで閉めるから30分しか時間がないというので、先にランチや大聖堂の見学。地図を辿って小さな教会での民具や職人の看板の見学をした後、大聖堂へ。時計塔のある通りから大聖堂に向かって歩いていきました。

広場についてぎょっ!正面向かって左に不細工なコンクリートの建物が・・・。この建物をいつ誰が許可したのでしょう。せっかくの古都ルーアン・・・犯罪だわ~と思わずつぶやいてしまいました。多分戦後まもなく人心の落ち着かない頃の建設ではないかと推察。北フランスはノルマンディー作戦でも知られているように第二次大戦の激戦地でしたから、多くの古くからの建物も失われたのでしょう。大聖堂の正面の扉口は16世紀のものですが、その左右の小さな扉口およびタンパン(写真は逆立ちダンスのサロメ)は13世紀の作。片手での逆立ちがいじらしい。ヴェローナのサン・ゼノのサロメとここルーアン、そしてトゥールーズのオーギュスタンのサロメが今まで観たサロメ(中世の彫刻)のベスト3。

バランス良く左右2本の鐘楼のを持つ大聖堂 は印象派のモネによって描かれ有名です。↓例の醜いビルは左の素敵な建物の向こうですが、隠して撮影。

ここから細い道を辿りながら、ジャンヌ・ダルクの終焉の地の町めぐり・・・といっても、うろうろ歩いてレストラン探し。大きなVieux Marche 広場に観光客が大勢。レストランが並んでいます。そのうち呼び込みのない地元のお客さんが入っていく海鮮レストランを見つけてランチ。

前菜は生牡蠣(さすがに新鮮!)主菜は牛肉のステーキに茸のソースのお皿。アイスクリームというお得なセットメニュー。お勧め度★★★

 午後から時々雨が強く降り、突風も吹くあいにくな天気のなか美術館に戻り見学。館内を回っているうちに気がついたのですが、ここのコレクションの何点かは随分前に札幌の展覧会で観ていたのです。(モロー、ドラクロワなど)

Gerard David「玉座の聖母と聖女たち」1511

Paul Hippolyte Delarouche「ウィンチェスター枢機卿の尋問を受ける牢獄の中の病めるジャンヌ・ダルク」1824 

 Caravaggio「キリストの鞭打ち」1606頃

階段室のPuvis de Chavannes「芸術と自然」下の現代彫刻が邪魔です。

この時点でかなり疲れてきたので、郊外のロマネスク聖堂めぐりはパスしようかと悩みながらブックショップへ。するとなにげなく手にした小冊子の表紙にVital -Luminais「Les Enerves de Jumiegesジュメージュの弱者たち」↓が、

このとき初めて 訪問を予定していた廃墟の修道院Jumiegesとこの絵画の繋がりを知りました。やっぱり行ってみようと駅に戻り、タクシーと交渉。2教会を回ってもらうことにして出発。

 初めに訪れたのはルーアンから30分ほどの St-Martin-de-BoschervilleにあるST-GEORGES修道院。フランス革命のときに被害を受けなかった幸運な聖堂です。ですから今はセーヌ河畔の貴重なモニュメントになっていて、見学者も多いので一部有料になっています。創建は1080年から1125年、典型的なノルマンディ・ロマネスクのスタイル。教会の裏は広い庭園になっていて、ここから教会を眺めて至福のときを過ごしました。といってもタクシーを待たしていますのでゆっくりもしていられません。

蛇行する セーヌ 河畔に沿ってまた30分ほどでAbbeye deJUMIEGESに到着。ブックショップを兼ねたところでチケットを買うと扉を開けてくれます。2,30メートル先に廃墟になった教会が木々の緑を背景に建っています。もとは7世紀のに建てられていた古い教会を10世紀にWilliam Longsword公が建て直しベネディクト派の教会になりました。貧者のため救護所として、また学問の中心としても認められていたという歴史もあります。権威のある修道院の最後はフランス革命で破壊されました。1793年には競売にもかけられましたが、現在は国家に遺跡として守られています。


上記に画像を貼りましたが、ルーアンの美術館の「Les Enerves de Jumiegesジュメージュの弱者たち」は札幌の展覧会(1993)にもきてましたから、もしやと本棚を探しましたらカタログを発見。ルーアン美術館のスタッフの解説を翻訳したものがありました。ここでは「ジュメージュに流れ着く廃足者たち」というタイトルになっれいます。Enervesエネルヴェは「神経質な」とか「腱を焼き切られた」という意味もあるそうです。(アクサンを略してます)

画家リュミネのこの絵画は歴史家オーギュスト・ティエリーの著作「メロヴィング王朝史話」を典拠に描かれました。クロヴィス2世(在位634~57)の二人の息子は父に対して謀反を計画したため、王妃バチルドの命により、廃足の刑(腱を焼き切られた)に処され、筏に横たえられセーヌに流されました。伝説ではこの後、ルーアン下流のこのジュメージュ修道院の修道士に助けられたことになっています。

私の購入してきた小冊子(2007.3発刊)では何故このような伝説ができたのかという視点で書かれたものですが、どうやら廃足者二人の並んだお墓が元ではないかと推定しています。しかし、このお墓は13世紀のものであり、くだんの二人の王子という可能性はないとのこと。より詳しく読めるといいのですが・・・。廃墟の修道院と二人の王子が流されていく悲劇の場面がオーバーラップして、なおさらにドラマティックなロマネスク体験になりました。

帰途はルーアン市内に入ってから夕方のラッシュにぶつかり、5分の差でパリ行きに間に合いませんでした。ところが1時間後の次の列車が大幅に遅れ、結局予定より2時間遅れでパリに戻りました。すでに9時を回っていましたから、ホテルの前の中華料理屋さんで、餃子、烏賊と野菜の炒めもの、ビールで夕食を済ませました。安くて、野菜もたっぷり。★★★


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