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2007年ヨーロッパ初夏の旅(ベルリン1) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

 今回の旅はオペラのチケットを手配することから始まり、ベルリン、パリ、リール、トリノ、ミラノ、ブリュッセル、ロンドンと歌劇場を回りました。オペラに関してはシラク―ザやメータ、ビッラゾンが降り、飛行機の変更でトリノのフローレスを聴けないという不運に見舞われ、ついていなかったのですが、ヨーロッパはこの時期日没も遅く、天候にも恵まれ、元気に一人旅を楽しめました。

日程/ベルリン(3)~パリ(3)~リール(2)~トリノ(2)~アオスタ(1)~ミラノ(2)~ ブリュッセル(2)~ロンドン(2)17泊19日

↓MAP

 

 5/8(火) 札幌7:50~羽田9:25/成田13:00~フランクフルト18:00/20:10~ベルリン21:15  ベルリン3泊   The Westin Grand Berlin

旅慣れしてみえるようですが、出発前夜はいつも緊張のあまり眠れません。そのうえ今回の旅の移動の多さを考えると(自分で計画したのに)、体力に自信がなくなりややブルーな気分でした。

それでも飛行機に乗ってしまえば、腹も据わります。ラッキーなことに3席独占できましたので、それまでの睡眠不足を取り返すべくこんこんと眠りました。

フランクフルトに着いていったんトランクを受け取り、側にいた係員にベルリンへの出発ゲートを尋ねますと、「どうしてバッケージ・スルーにしなかったのか?」「それはこちらが訊きたいわ~。成田で駄目って言われたから・・・」

JALの特典航空券はフランクフルトまでなので、自分でルフトハンザの格安航空券を手配しました。(約9.000円)それで冷たくされたのかも・・・。ターミナルを移動し、混雑するチェックインカウンターに並んで、荷物検査も済ませ、ゲートに辿りつくまで約1時間かかりました。

ベルリンのホテルはこの旅で一番ラグジュアリーな宿。2度目でも4年ぶりなのですが、宿泊名簿にお得意様としてリストに載っているとレセプションの対応の良いこと。ロビー階の吹き抜け中央に大階段があり、古きグランドホテルの面影を残しています。
私の部屋は最上階6階の吹き抜けの近くでしたが、騒音は気になりませんでした。ネット予約で超豪華な朝食付き175ユーロは4☆ホテルとしてはお得です。

   


タグ:ベルリン
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2007年ヨーロッパ初夏の旅(ベルリン2) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

5/9(水)ベルリン絵画ギャラリー&オペラ「Manon 」

朝ごはんをたっぷりいただいた後はウンター・デン・リンデン から200番のバスに乗って4年前は閉まっていた絵画ギャラリーへ。

ポツダム広場を過ぎますと、黄色テント風の屋根のフィルハーモニーの建物 。そこのバス停で降りますと反対側に小高いところに建つ近代的な文化フォーラムの建物がみえます。そこが以前は郊外のダーレムにあったヨーロッパ絵画のコレクションを移した新しいギャラリーになっています。

14年ぶりに再会した名画の数々を懐かしく鑑賞。お気に入りのFlemish絵画3点。

↑Jan van Eyck「教会の聖母」1425 

 ↑Petrus Christus「若い婦人の肖像」1470

↑Hugo Van der Goes「羊飼いの礼拝」1480

追っかけの画家カルロ・クリヴェッリとピエロ・デッラ・フランチェスカはその頃ははまだ良く知らなかったので、初めて鑑賞する気分で、嬉しくてわくわくでした。

↑carlo Crivelli「玉座の聖母子と鍵を持つ聖ペテロ、ほかの聖人たち」1488

    

↑Piero della Francesca「悔悛する聖ヒエロニムス」1450

一部屋に2,3人の見学者で、フェルメールも独占状態。片隅に休憩コーナーのある展示室も多く、鑑賞者に優しい美術館です。

   

ランチはポツダム広場のソニーセンターの気軽なレストランで、ホワイトアスパラのオランデーズのお皿。ゆで卵の黄身と生クリームのソース? お味は普通。お勧め度★★ パンが美味しかったのとサービスが良いのでおまけ。この日は時々強い風が吹き、夜は札幌並みに寒い一日でした。ほんの1週間前にベルリンを訪れた友人の話ではとても暖かかったとのことなのですが。

  

Massenet 「Manon 」       Staatsoper unter den Linden 19:00開演
Conductor  Patrick Fournillier
Director  Vincent Paterson
Set Designer  Johannes Leiacker
Costume Designer  Susan Hilferty
Light Designer  Duane Schuler
Chorus Master  Eberhard Friedrich 

Manon Lescaut  Anna Netrebko 
Le Chevalier des Grieux  Rolando Villazón → Fernando Portari
Lescaut, Leibgardist und Manons Vetter  Alfredo Daza 
Le Comte des Grieux  Christof Fischesser 
Guillot de Morfontaine  Rémy Corazza
De Brétigny  Arttu Kataja 
Poussette  Hanan Alattar
Javotte  Gal James
Rosette  Silvia de la Muela
Wirt  Matthias Vieweg 

  Staatskapelle Berlin
  Staatsopernchor

  ほぼ一年前、パリのミンコのチケットを取ったとき、前後のオペラのスケジュールをチェックしていてこの公演に気がつきました。ところがすでに売れきれ状態。あまり考える暇もなく、かろうじて下から2番目のエコノミーな席をネット予約。29ユーロでした。普通は安い席から売れていくのですが・・・ゴールデンコンビの威力でしょうか。
私の席は3階の右側でしたが、舞台の3分の一は見えないものの入れ物自体が小さい劇場なので思っていたほどの悪い席ではありませんでした。
さて、劇場に着いたとき張り紙があってVillazonがキャンセルと知りました。この頃キャンセルが多いという噂もありましたし、写真でも痩せたように見えていたので、歌いすぎて調子が悪いのだと思いました。しかし、幸先が悪いなと嫌な予感。(これが当たってしまったのです・・・泣)
  Netrebkoは歌唱は荒いところがややあったものの、Villazon  の抜けた舞台を必死に支えようとしているけなげさに好感を持ちました。デグリューの代役Fernando Portariが頑張ったので、最後は凄く嬉しそうでした。Fernando PortariにVillazonのような演技、歌唱を期待してはいませんでしたが、地味な声ながら誠実さのあふれた「夢の歌」にブラボーでした。喝采を受けて、この後は調子が良くなっていきました。
一幕/駅の待合室で登場したマノンは赤いベレー帽、お下げ髪の女子学生スタイル→二幕/パリのアパートでは下着姿のセクシーなマノン→三幕/パリの街では白に赤い飾りのお嬢様風ドレス(陽のあたる場所のエリザベス・テーラーにそっくり)と教会の場面では真っ赤なフードのロングコート→四幕/ホテルの賭博場では毛皮のストールを肩にラメのぴったりドレス(金髪モンロー風、胸はモンローに大分負けてる 笑)五幕/ぼろぼろのワンピース。
と書くとおわかりのように20世紀半ばのハリウッド映画の花盛りの時代を回顧したような舞台。ロサンゼルス・オペラとの共同プロダクションですからこんなものと察しはついてましたが Netrebkoが美しく、目を楽しませてもらいました。良くも悪くも Netrebkoのマノンといえますが、彼女の役柄に対する集中度の高さが人気を集めていると思います。マノンの享楽的な性格が生んだ悲劇は初演された19世紀末からめんめんと受け継がれ、好評を博してきました。プッチーニの「マノン・レスコー」の方が原作に近いようですが、音楽もフランス語の響きもこちらの方が私の好みです。最後はマノンが可哀想というよりデ・グリューの一本気な愛の深さにいつも涙です。生は1999年のミラノ・スカラ座以来の2回目。

 

 Staatsoper unter den Linden のHPからの写真

 


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2007年ヨーロッパ初夏の旅(ベルリン3) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

5/10(木) ボーデ美術館&オペラ「Semiramide 」
朝からスモークサーモン(ベルリン風の洋辛子ソースをつけて)や好きなように焼いてもらえ席にまで届けてくれるオムレツ、豚の血のソーセージなどたっぷりいただいた後はバスでアレクサンダー・プラッツまで行って見ました。ブランデンブルグの周辺に比べるとまだ東ベルリンの面影が残っています。労働者の街といった雰囲気。

テレビ塔も特別登ってみたいとは思わないので博物館島の方向へ戻り、ベルリン大聖堂から橋を渡ってボーデ美術館へ。

↑大聖堂とシュプレー川を行く遊覧船

博物館島の先端に美しいドームの屋根を持つボーデ美術館の建物は昨年に全面改修が終わりオープン。古代からの彫刻を主に展示しています。ここの最も有名なドイツ・ルネッサンスの彫刻「Dangoldsheimの聖母」のポスターを見ただけで小躍り状態でいそいそと入館。

↑Nicolaus Gerhaert van Leyden「Dangoldsheimの聖母」1460~65

ロマネスク彫刻室をはじめ、RiemenschneiderやMichel Erhart、Donatelloなど

↑Tilman Riemenschneider「悲しみの聖母たち」部分

↑Michel Erhart「慈悲の聖母」1480

これらのドイツの木彫り彫刻はどこか仏像彫刻にも通じるものがあって惹かれます。

戦時中の空襲で大きなダメージを受けた建物がこんなに素晴らしく復活したのです。ペルガモン博物館との間に赤い電車↓が走って行きます。旅立つ前に観た映画「ヒットラー最後の10日間」のあのベルリンの激しい空襲と逃げ惑う人々の姿が急に目に浮かびました。

↑Antonio Canova「ダンサー」

1時間ほどで見学を終え、美術館を背に右の橋を渡るとミッテ区。そこが旧ゲットーのあった区域で、今はホーフと呼ばれる中庭のある建物にお洒落なショップが集まるスポットになっています。4年前ベルリンに来たとき「ベルリンのゲットー」という案内書を見かけたのですが、ドイツ語だったためパス。その後適当な日本語のものを探したのですが、見当たりません。橋を渡ると右に大きな公園があり、まっすぐ行くとオラ二エンブルガー大通り。立派なノイエ・シナゴーク↓が建っていますが、警備員がふたり厳しいガードで、門も閉めていました。

ランチはシナゴークの並びのビヤ・ホール風食堂で。ここでも旬のアスパラをリクエスト。スープを勧められました。パンをくりぬいてアスパラのポタージュ・スープが入っています。もちろんビールつき。お勧め度★

食事をしている間に雨が降ってきました。ここからタクシーを拾ってホテルへ。タクシーに乗ったとたんどしゃぶりの豪雨になったので、運転手さんもタイミング良いねと言って笑っていました。

♪~Gioacchino Rossini「セミラーミデSemiramide  」      Deutsche Oper Berlin 19:00開演
 Musikalische Leitung  Alberto Zedda  
 Inszenierung  Kirsten Harms Bühne
 Kostüme  Bernd Damovsky  
 Chöre  Ulrich Paetzholdt  
 
 Semiramide  Darina Takova     →Iano Tamar
 Arsace  Marina Prudenskaja  
  Assur  Ildar Abdrazakov  
 Idreno  Antonino Siragusa   →Bruce Fowler
 Azema  Jacquelyn Wagner
 Oroe  Reinhard Hagen  
 Mitrane  Yosep Kang  
 Der Schatten Ninos  Hyung-Wook Lee  
 Arbate  Slavtscho Kurschumov  
 
 Das  Orchester der Deutschen Oper Berlin
 Der Chor der Deutschen  Oper Berlin

雨が降って昨日よりも寒くなりました。旅が始まって早々に風邪をひいては大変と、タクシーで初めてのドイチェ オッパーへ。昨日に続いて今日もお目当てのテノールのシラグーザがキャンセル、タイトルロールのタコーヴァも・・・。 不運にもBキャストに当たったのかと当初は思ったのですが、後の情報ではシラグーザはこの公演全部を降りてしまったとのことでした。
席は一列目の中央。Metのときのことを思い出しました。指揮者の頭で舞台が観えなかったらどうしょう・・・。しかし、小柄なゼッダだったので、問題なしでした。ちなみにMetではレヴァインでした。(笑)
 舞台は古代のメソポタミアと現代の中近東をミックスしたちぐはぐなようでいて、結構問題提起もあるという面白い舞台で飽きさせません。それになんといってもゼッダの定評のあるロッシーニの指揮と真摯についていくオーケストラがうまくて感激でした。歌手陣は代役のうちイドレーノのテノールがひどかったほかはまあまあ。セミラーデのIanoTamarはコロラトゥーラには重過ぎる声で、技術的にも雑なところがあるのですが、声は大きくドラマティックなまとめかたが上手です。私は苦手なタイプのソプラノですが・・・。何回か聴いていてもあまり印象に残らないアブドラザコフですが、この日はなんとか皆を引っ張っていこうと頑張っていました。アルサーチェのぺルデンスカヤ、まだ新人と思いますが、背が高く美人。宝塚的ズボン役も似合い、声も良いです。しかし、歌うときの表情があまり美しくないのです。目を剥いて力が入り過ぎ、歌の魅力が半減してしまいます。これからの課題でしょう。
この夜だけカーテンコールを撮りました。ゼッダおじいちゃまのいい顔をパチリ。

私は舞台を観るだけで満足。どんなに感激しても贔屓の歌手のサインをもらったり、出待ちをする趣味はまったくありません。
熱演、熱唱すればするほど疲れているだろうな~と思ってしまって・・・。
ベルリンのオペラの水準は高いです。ひとつの都市に複数のオペラ劇場とオーケストラがいくつかあると、日替わりで観たり、聴いたりできます。その点でもベルリンはパリ、ウィーンと並んで訪れる価値のある都市 といえます。


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2007年ヨーロッパ初夏の旅(パリ1) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

5/11(金) ベルリン12:50~パリ14:35(エール・フランス) 

Hotel Turenne Le Marais 3泊      オペラ「L'Affaire Makropoulos」
格安航空のベルリン・エアーがこの日は飛ばないということで他社を探した結果、エール・フランスの往復(16.000円)が見つかり、予約しました。当然パリ→ベルリンのチケットは捨てることになります。勿体無いのですが、同じエール・フランスでも片道になると40.000円もしますので、仕方ありません。往復より片道が高いという不思議な料金設定です。
パリのホテルは最後までルーアンに泊まろうかと悩んでいたために予約が遅れ、人気のCaron de Beaumarchaisは満室。メールで紹介されたのが同じマレ地区でCaronより10ユーロほど安い3☆の宿。(朝食をつけて162ユーロ )部屋は狭いのですが、朝食はハム・チーズ・卵もあり、このクラスにしては上等です。朝食室もパリに多い地下室ではなく、窓が大きいので気持ちが良いです。通りをはさんでベトナム系中華料理屋とイタリアンの店。メトロ:サンポール駅まで3分くらい。
初めに入った部屋はバスタブ無しだったので、変えてもらいました。夜の到着だったら断られるときもあります。(同じ料金)夜に着る服をハンガーにかけ、洗濯を済ませるとすぐ昼寝。

 

♪~Leos Janácek 「L'Affaire Makropoulos マクロプーロスの秘事」 

Opéra Bastille  開演20:00       130ユーロ
 Conductor   Tomas Hanus
Producer   Krzysztof Warlikowski
Sets, Costumes   Malgorzata Szczesniak
Lighting   Felice Ross
Chorus master   Peter Burian
  ~
Emilia Marty    Angela Denoke
Albert Gregor    Charles Workman
Jaroslav Prus    Vincent Le Texier
Vítek    David Kuebler
Krista    Karine Deshayes
Janek    Ales Briscein
Hauk-Sendorf    Ryland Davies
 
Coproduction with Teatro Real, Madrid

 今回の席は1er BALCON 日本式にいえば2階の2列目ほぼ真正面でした。マクロプーロスは出発直前まで映像はおろかCDも持っていなかったのですが、それを知ったBさんがパリまで聴きに行くのに~とご親切にMIXIのメッセージに音源のURLをいれてくださって、なんとか予習ができました。いつもこんな調子でBさんには手とり足とり状態でお世話になっています。

さて、めでたくキャスト変更無しで舞台の幕は開きました。
チェコ語なのでフランス語の訳がいつもどおり舞台のかなり上部に出ますが、そのほかに舞台奥の壁に大きな文字で 映し出されました。ほんのちょぼちょぼと続けていたフランス語でも訳が平易だったこともあって 台詞の理解におおいに助かりました。
演出のWarlikowski は昨年のオペラ・ガルニエで「Iphigenie en Tauride」で経験済みでしたから、恐る恐るといった感じで臨みました。しかし、HPで観ていた巨大ゴリラもこのオペラのハリウッド映画産業とからめた使い方というだけ?でしたし、「Iphigenie en Tauride」 に比べると理解しやすいのが幸いしたのかどうか・・・好評なようです。
 ベルリンのマノンもモンロースタイルの女優のような華やかな雰囲気を与えられていましたが、Denokeが歌う(秀逸!!)Emilia Martyもモンローの「7年目の浮気」のあの有名な場面を取り入れてセクシーな面を強調されています。モンローのあまり見たことのない素顔やミラーとの離婚会見の泣きべそ顔などがスクリーンに映し出されて、物語は進んでいきます。銀幕の中の永遠のスターであるマリリンと永遠に若く美しい女として生きる エミリアとの相似性。若く美しい歓びよりも苦しみの運命がヤナーチェクの音楽とともに表現されます。デノーケのあの世とこの世の間に漂っているように歌うアリアは絶品!!ザルツの「死の都」のマリーといい、彼女でなければならない、適役と思いました。
あらすじは複雑で登場人物の名前を覚えるだけで一苦労ですが、休憩無しの2時間の 上演は随分早く感じました。もう一度同じ舞台が観たかったくらい。

Opera Bastille のHPから    

 

Angela Denoke, sopranoAngela Denoke

終演は10時少し回ったところでしたので、バスチーユ広場近くのレストランで「ひとりフレンチ 」。有名店のBofingerの少し手前に牡蠣など店先に並べた小さなレストランを見つけました。前菜は生牡蠣。丸いブロンはやや高めですが5個注文。主菜もお魚でポーチド・エッグ、サーモンにキャビア添え(野菜も少々)の贅沢な一品 。デザートはパス。白ワイン2杯、水、コーヒー。パリらしいご馳走をいただいて満足でした。★★★

帰り道、12時近くでもまだ開いていた小さな食料品店で水と苺を買ってホテルへ。少し雨が降りましたが、夜でもベルリンより数度は暖かいパリでした。


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2007年ヨーロッパ初夏の旅(パリ2) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

5/12 (土)   ロダン美術館&オペラ「 Carmen 」
朝方雨が降ったようですが、次第に青空が広がって、気温も上がってきました。ゆっくり朝食を済ませ、地下鉄でコンコルド広場近くのオランジュリー美術館へ。改修が終わったばかりなので混雑していると思ったのですが、入り口付近は閑散としています。あらら、開館は1時からとの張り紙。オープンを待っているには時間が長すぎます。今夜は私にとってはメインのオペラですから疲れたくない・・・ということで、近場のロダン美術館に変更。15年ぶりの再訪です。入り口のチャペルだった建物がチケット売り場とブック・ショップに改装されていました。庭園に入ると薔薇の香り・・・図らずも薔薇の満開の時期に来たようです。ラッキー!!それで、戸外の彫刻を先に見学することにして、庭園のあちこちをのんびり散歩。

 土曜日とあってパリ市民も多く薔薇を見に来ていました。館内では初回ほどの感動はないものの、じっくりロダンやカミーユ・クローデルの鑿跡を鑑賞。写真は絵画のある室内風景。上はムンク「考える人」、下はゴッホ「タンギー爺さん」。

ランチはあまり遠くないところを検討の結果、帰りのメトロ一号線の途中Louvre Rivoliで降り、日本人経営のフレンチのお店NAMIKIへ。インターネットで紹介されていたレストランですが、先客は日本人の家族4人だけ。アミューズは小さなグラスの蟹とメロンのジュレ、前菜は烏賊のガスパッチョ(写真↓)、上にハーブのてんぷらがのっています。

主菜はフランス名産のブレス鶏のグリル。脚にその名前のラベルをつけて登場 笑。とても美味しかったです。量もそう多くはないのでデザートのクリーム・ブリュレ(黄な粉がかかっています)もしっかりいただきました。食前酒、ワイン、コーヒー、水。高いところはカードで払いますので、メモもなく、伝票さえ失くしてしまうずぼらな私でも請求書が証拠。たいていは高かったな~と後悔。(笑)最近は名刺大のカードをいただけるところもあるので、なるべくレストランの名前も記録することにします。お勧め度  ★★★★

   ♪~Georges Bizet「 Carmen   」シャトレ座  120ユーロ
 
Direction musicale  Marc Minkowski
Mise en scène  Martin Kusej
Decors   Jens Kilian
Costumes  Heidi Hackl
Lumieres   Reihard Traub

Carmen  Sylvie Brunet
Don José  Nikolai Schukoff
Escamillo  Teddy Tahu Rhodes
Micaëla  Genia Kühmeier
Le Dancaïre  Alain Gabriel
Le Remendado  François Piolino
Zuniga  François Lis
Moralès  Boris Grappe
Frasquita  Gaële Le Roi
Mercédès  Nora Sourouzian

 Les Musiciens du Louvre -Grenoble

 ドン・ホセのフリアノーティが降りたのは織り込み済みでしたが、演出も当初予定されてOpera baseにも発表されていたSandrine AngladeではなくMartin Kusejのベルリンのプロダクションのものに替わっていました。プログラムを見て初めて気がつきました。
Martin Kusejは昨年のアムステルダムの「ムツェンスクのマクベス夫人」でとても感銘を受けていたのですが、この「カルメン」もそれを上回る刺激的な引き締まった舞台になりました。
最初の銃殺の場面と最後のそれとの乖離、この間に流れた登場人物たちの愛と死のドラマがくっきりと浮かび上がってきます。最初の銃殺は発砲を命じた士官の やるせない表情から撃たれたのは政治犯であることが読み取れます。独裁政治下の時代であることをこのちょっとした場面で表現したのにまず驚きました。こういう時代ですから人の心も荒廃しています。必然的にミカエラはからかわれるだけでなく、レイプされそうになり、男たちは煙草工場からでてくる女たちをのんびり待つことはなく、売春宿の下着姿の娼婦にからみます。ドン・ホセのマザコンで偏執気味、すぐ切れて刃物をふりまわす駄目男ぶりも強調され、なんとミカエラまでも誤って殺してしまうという設定です。英雄的闘牛士のはずのエスカミリオも牛に負けて? あえない最後、血に染まった遺体が担架で運ばれ舞台を横切って行きます。最後の愛人を殺した罪でドン・ホセが銃殺される場面では冒頭の士官はせせら笑い・・・そして幕が降りました。

 歌手陣はカルメンの Sylvie Brunet にブーがでました。歌唱は立派で穴はないのですが男を惑わせる悪女としての演技を含めた表現に欠けるのは辛いものがありました。はっきりミスキャストだと思います。D・レッシェマンをおばさんにした体型でカスタネットを鳴らしながらダンス(それってダンス?)・・・無言。
一途な愛どころか泣きべそストーカーのドン・ホセのNikolai Schukoff、初めて聴いたテノールですが気に入りました。この公演の前にジュネーヴで「ムツェンスクのマクベス夫人」のセルゲイを歌って好評だったようです。これからの活躍に注目です。ミカエラのGenia Kühmeier  、この方だけは2度ザルツブルグの「魔笛」パミーナで聴いてました。可憐な娘役の歌唱はお得意ですから、安心して聴いていられました。しかし、完璧なのですが少々の違和感が・・・モーツアルトを歌っているみたいに感じたのは私だけでしょうか?

何といっても最大の立役者は指揮とオーケストラ。席が前から2列目の左よりでしたから、ついついミンコウスキーの指揮するお姿に目が引き寄せられてしまいました。歌を口ずさみながらの熱い指揮にあ・うんの呼吸でついていくLes Musiciens du Louvre -Grenoble  のメンバーたち。特に管楽器奏者たちの瑞々しく見事な演奏は、今まで聴いたカルメンの演奏をはるかに超えた(あのクライバー/映像でさえも抜いて)感動を与えてくれました。この日は2回目の公演でしたが、ミンコウスキー自身も大きな手ごたえがあったようで、カーテンコールでは喝采を浴びて、珍しく興奮気味でした。

終演後、隣席でミンコ追っかけと自己紹介された関西からの1泊3日突撃隊ご夫婦とシャトレから去りがたい気持ちでお話しました。これほどミンコの要求にぴたっとついてくる手兵がいると、他のオーケストラでオペラを指揮する気がなくなったのではないかという推測で一致。来年のオペラの予定が立たないとお互いに嘆きながらお別れしました。夜になってまた雨・・・。


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2007年ヨーロッパ初夏の旅(パリ3/ルーアン) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

5/13(日) ルーアン一日観光
昨夜から朝までかなりな雨でしたから、ルーアン行きを懸念していましたが、ホテルを出発する頃に雨も上がり、晴れてきました。サン・ラザール駅から列車に乗って1時間でルーアンに到着。途中の風景は北海道に似た農地が広がり、昨年訪れたカンやバイユーとは同じノルマンディーでも木組みの家が少ないのにはやや落胆でした。

まずは駅から徒歩5分ほどのルーアン美術館へ。もうすぐお昼休みで閉めるから30分しか時間がないというので、先にランチや大聖堂の見学。地図を辿って小さな教会での民具や職人の看板の見学をした後、大聖堂へ。時計塔のある通りから大聖堂に向かって歩いていきました。

広場についてぎょっ!正面向かって左に不細工なコンクリートの建物が・・・。この建物をいつ誰が許可したのでしょう。せっかくの古都ルーアン・・・犯罪だわ~と思わずつぶやいてしまいました。多分戦後まもなく人心の落ち着かない頃の建設ではないかと推察。北フランスはノルマンディー作戦でも知られているように第二次大戦の激戦地でしたから、多くの古くからの建物も失われたのでしょう。大聖堂の正面の扉口は16世紀のものですが、その左右の小さな扉口およびタンパン(写真は逆立ちダンスのサロメ)は13世紀の作。片手での逆立ちがいじらしい。ヴェローナのサン・ゼノのサロメとここルーアン、そしてトゥールーズのオーギュスタンのサロメが今まで観たサロメ(中世の彫刻)のベスト3。

バランス良く左右2本の鐘楼のを持つ大聖堂 は印象派のモネによって描かれ有名です。↓例の醜いビルは左の素敵な建物の向こうですが、隠して撮影。

ここから細い道を辿りながら、ジャンヌ・ダルクの終焉の地の町めぐり・・・といっても、うろうろ歩いてレストラン探し。大きなVieux Marche 広場に観光客が大勢。レストランが並んでいます。そのうち呼び込みのない地元のお客さんが入っていく海鮮レストランを見つけてランチ。

前菜は生牡蠣(さすがに新鮮!)主菜は牛肉のステーキに茸のソースのお皿。アイスクリームというお得なセットメニュー。お勧め度★★★

 午後から時々雨が強く降り、突風も吹くあいにくな天気のなか美術館に戻り見学。館内を回っているうちに気がついたのですが、ここのコレクションの何点かは随分前に札幌の展覧会で観ていたのです。(モロー、ドラクロワなど)

Gerard David「玉座の聖母と聖女たち」1511

Paul Hippolyte Delarouche「ウィンチェスター枢機卿の尋問を受ける牢獄の中の病めるジャンヌ・ダルク」1824 

 Caravaggio「キリストの鞭打ち」1606頃

階段室のPuvis de Chavannes「芸術と自然」下の現代彫刻が邪魔です。

この時点でかなり疲れてきたので、郊外のロマネスク聖堂めぐりはパスしようかと悩みながらブックショップへ。するとなにげなく手にした小冊子の表紙にVital -Luminais「Les Enerves de Jumiegesジュメージュの弱者たち」↓が、

このとき初めて 訪問を予定していた廃墟の修道院Jumiegesとこの絵画の繋がりを知りました。やっぱり行ってみようと駅に戻り、タクシーと交渉。2教会を回ってもらうことにして出発。

 初めに訪れたのはルーアンから30分ほどの St-Martin-de-BoschervilleにあるST-GEORGES修道院。フランス革命のときに被害を受けなかった幸運な聖堂です。ですから今はセーヌ河畔の貴重なモニュメントになっていて、見学者も多いので一部有料になっています。創建は1080年から1125年、典型的なノルマンディ・ロマネスクのスタイル。教会の裏は広い庭園になっていて、ここから教会を眺めて至福のときを過ごしました。といってもタクシーを待たしていますのでゆっくりもしていられません。

蛇行する セーヌ 河畔に沿ってまた30分ほどでAbbeye deJUMIEGESに到着。ブックショップを兼ねたところでチケットを買うと扉を開けてくれます。2,30メートル先に廃墟になった教会が木々の緑を背景に建っています。もとは7世紀のに建てられていた古い教会を10世紀にWilliam Longsword公が建て直しベネディクト派の教会になりました。貧者のため救護所として、また学問の中心としても認められていたという歴史もあります。権威のある修道院の最後はフランス革命で破壊されました。1793年には競売にもかけられましたが、現在は国家に遺跡として守られています。


上記に画像を貼りましたが、ルーアンの美術館の「Les Enerves de Jumiegesジュメージュの弱者たち」は札幌の展覧会(1993)にもきてましたから、もしやと本棚を探しましたらカタログを発見。ルーアン美術館のスタッフの解説を翻訳したものがありました。ここでは「ジュメージュに流れ着く廃足者たち」というタイトルになっれいます。Enervesエネルヴェは「神経質な」とか「腱を焼き切られた」という意味もあるそうです。(アクサンを略してます)

画家リュミネのこの絵画は歴史家オーギュスト・ティエリーの著作「メロヴィング王朝史話」を典拠に描かれました。クロヴィス2世(在位634~57)の二人の息子は父に対して謀反を計画したため、王妃バチルドの命により、廃足の刑(腱を焼き切られた)に処され、筏に横たえられセーヌに流されました。伝説ではこの後、ルーアン下流のこのジュメージュ修道院の修道士に助けられたことになっています。

私の購入してきた小冊子(2007.3発刊)では何故このような伝説ができたのかという視点で書かれたものですが、どうやら廃足者二人の並んだお墓が元ではないかと推定しています。しかし、このお墓は13世紀のものであり、くだんの二人の王子という可能性はないとのこと。より詳しく読めるといいのですが・・・。廃墟の修道院と二人の王子が流されていく悲劇の場面がオーバーラップして、なおさらにドラマティックなロマネスク体験になりました。

帰途はルーアン市内に入ってから夕方のラッシュにぶつかり、5分の差でパリ行きに間に合いませんでした。ところが1時間後の次の列車が大幅に遅れ、結局予定より2時間遅れでパリに戻りました。すでに9時を回っていましたから、ホテルの前の中華料理屋さんで、餃子、烏賊と野菜の炒めもの、ビールで夕食を済ませました。安くて、野菜もたっぷり。★★★


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2007年ヨーロッパ初夏の旅(リール1) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

5/14(月) パリ北駅~リール  リール美術館        Mercure Lille Centre Opera2泊
 おにぎりを握ったり、荷物の整理をしてから11時過ぎにホテルをチェックアウト。ラッシュアワーの時間ではないのに北駅までタクシーはのろのろ状態。駅に着いてタクシーを降りようとしたら寄付をせがむアラブ系の女性たちに囲まれました。ドライバーさんが凄く怒ってポリスを呼ぶぞ!と叫んだので離れて行きました。ところが、時間があまりないのに、窓口は長蛇の列です。お昼休みなので窓口は半分しか開いてません。発車5分前にようやくリール行きのTGVに駆け込みました。せっかく作ってきたおにぎりですが、車中では4人掛けの席(テーブルのある)になり、他の3人は揃ってばりっとしたスーツ姿のビジネスマン。ここでおにぎりをほうばる勇気?はありませんでした。で、ホテルに着いてからゆっくりお茶を入れてランチ。

ホテルは歌劇場の真裏、ロビーから劇場裏口のアーティスト専用入り口(左)が見えます。

お部屋も広く、バスルームも大きな窓付きで広々。写真でははっきりしませんが、バスタブに載せた脚拭きタオルがシャツのように畳んであってお洒落。一泊朝食込み138ユーロ。

パリ、ブリュッセル、ロンドンから近いという地の利もあるのでしょう。街に活気があり、素敵なお店も並んでいます。美術館までの散策も雨が時折強く降りましたが、車の入らない通りが多く、のんびり15分ほど歩きました。

 宮殿のような豪壮な建物のリール美術館はおりしもPhilippe de Champaigneの特別展が開かれていました。特に好みの画家では ありませんが、古典的で巧みな絵画はそれなりに惹きつけられるものがあって、ルーブルの何点かは素晴らしいです。この地でまとまって観ることができたのは幸運でした。アメリカなどからの出品も多く、スピリチュアル&フォーマルな傑作75点を展示。(4/27~8/15)

 Philippe de Champaigne シャンパーニュ(1602~74)
 フランス古典主義の画家。ブリュッセル生まれだが画の修業のためフランスへ。師匠の娘との結婚を機にフランスに帰化。宰相リシュリューの庇護下で多く制作。肖像画や宗教画に優れたものが多い。フランドル絵画の伝統とイタリアの古典主義絵画を融合した、独自のモニュメンタルな画風を形成した。全作品数 :約200点

↑「律法の石版を示すモーゼ」1648(米ミルウォーキー・アート・センター)

↑「1662年の奉献画」(パリ・ルーブル)

↑「屍衣の上に横たわる死せるキリスト」1654以前(パリ・ルーブル)

リール美術館で一番の目的だったのはCarlo Crivelliの4点の聖人画(S・Aostino、S・Nicola、S・Chiara、S・Lucia)・・・中世から15世紀までの彫刻や絵画の展示室↓はもとよりあちこち探し回りましたが、結局発見できませんでした。ブックショップ でここのカタログを立ち読み(重くて買えない)もしましたが、どこにもクリヴェッリの名は見当たらずがっかり、足が棒になってしまいました。

追記:クリヴェッリの4点は南仏アヴィニヨンの美術館にあることが分かりました。

夕食はオペラ劇場の斜め向かいにあるHIPPO GRILLという大きなレストランで。フォアゴラの入ったムニュがありましたので 注文。前菜はパンに フォアゴラのペーストをバターのように塗って食べるというシンプルなもの。それがなんでこんなに美味しいのでしょう!!添えられた粗塩と香辛料の刻んだものをパラパラふりかけていただきました。

メインはここの売りの肉類の串焼き。美味しくて、少し食べてから慌てて撮影

デザートはチョコレートムース。ワイン一杯、水、コーヒー。お勧め度 ★★★★


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2007年ヨーロッパ初夏の旅(リール2) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

5/15(火) リール市内観光とオペラ「ジュリオ・チェーザレ」

今日の予定はアミアンの観光だったのですが、昨日の美術館の疲れが残っていたのと、今夜のオペラに続いて、明日は早朝からリール→ブリュッセル→トリノと列車や飛行機を乗り継いでの移動。そして夜にはオペラと大変な一日になります。大事をとって、リールでのんびり過ごすことにしました。

旅も半ばになりました。パジャマやジーンズなど大物の洗濯はホテルに同日仕上げのサービスをお願いして、小物の洗濯を済ませ、11時過ぎに外出。リールオペラ劇場↓から美術館への方向とは逆にミシュランお勧めコースを歩きました。

MIXIの日記にもアップしましたが青い猫という名前のショコラティエ↓

お洒落な子供服、リネン雑貨のお店など覗いて、賑やかなMonnaie通り↓へ進み

L'hospice Comtesseの古い館へ。この日はあいにく閉まっていました。ここはフランドル出身の公爵夫人が病弱な夫のために13世紀に創建した病院だった建物で、その後の変遷を経て今は地方の歴史&民族の博物館になっています。この向かいの狭い小路がいい雰囲気。花屋↓や酒屋、レストラン↓が並んでいます。

ノートルダム大聖堂もすぐ近く、ファサードは大工事中だったので側面だけの見学。

小教会のSt・Catherineの塔も眺めて、元のMonnaie通りへ引き返し、チェック済みだった素敵な館のレストラン(L'assiette du Marche)へ。

前菜はアスパラガス、主菜はドーバーの平目を奮発(バター重さを感じさせない上品な味)、デザートはベリー類とソースのかかったケーキ。(お腹一杯なのにぺろりと平らげたほど美味でした)雰囲気もサービスも申し分ありません。地方なのでパリよりは安いです。お勧め度★★★★

http://www.assiettedumarche.com/

♪~George Frideric Handel  「Jules César  」   (Giulio Cesare in Egitto) ("Julius Caesar")
 Le Concert d'Astrée
Conductor   Emmanuelle Haïm
Producer   David McVicar
Chorus master   Yves Parmentier 
 
Giulio Cesare    Bejun Mehta    →Sonia Prina
Curio    Alexander Ashworth
Cornelia    Sonia Prina  →Charlotte Hellekant

SESTO Tuva Semmingsen

Cleopatra    Anna Christy
Nireno    Rachid Ben Abdeslam
Tolomeo    Christophe Dumaux
Achilla    Simon Bailey    

Le Concert d'Astrée

Production from Glyndebourne Festival Opera; Lyric Opera of Chicago

 このオペラを選んだ理由は3つ。カウンターテノールの Bejun Mehta 、演出がDavid McVicar 、そしてEmmanuelle Haïm の指揮するLe Concert d'Astrée の演奏です。こう好みのものが揃ってしまうと他はパスしてもという気になります。

しかし、ここでもあえなくBejun Mehta に振られてしまいました。(もう泣く元気もなかったわ 笑)McVicarの演出のこのオペラはグラインドボーンのをTVで観ていました。生の「ジュリオ・チェーザレ」もボローニャで素晴らしい公演を聴いています。ヘンデルの親しみやすい歌曲も好みですから、キャストが入れ替わったとはいえ、アイムとコンチェルト・ダストレの明快な演奏に集中して楽しむことができました。席は前から2列右より。アイムが美人なので驚きました。こちらでも大変人気があるようです。ミンコのチェーザレより男性的な、アレッサンドリー二のよりモダンな演奏。演出もクレオパトラをちゃっかり現代娘風に登場させ、衣装もそれぞれチャーミング。クレオパトラを歌ったのはビジュアル的にも若く溌剌したソプラノAnna Christy を起用。まだ未熟なところはあるものの健闘していたと思いますが、拍手は少なかったです。この方はこの3月にシカゴのカルメル会で聴いていました。主役のBayrakdarian より良かった記憶があります。演技も上手なので、これから伸びるのではないでしょうか。残念だったのはCorneliaとSesto、悲劇の母と息子の歌唱にデリケートさが欠けていては困ってしまいます。特にCorneliaは声が出なくてハラハラ。他はタイトルロールを含めてまあまあ。Tolomeoを歌ったカウンターティナーのChristophe Dumaux 、やや不安定な部分もありましたがピュアな高音、性倒錯的な演技も含めて印象に残りました。カーテンコールには、この日が初日だったこともあってMcVicar も現れました。(素敵な方!)

典雅なリールの歌劇場ですが客層は若い方も多く、カジュアルな雰囲気でした。また、ここでバロックが聴きたいと思いながら、雨の中徒歩1分のホテルへ。

補記:Le Concert d'Astréeのスケジュールをチェックしていて見つけたのが、リールから南東へ列車で2時間。Hirsonの近郊サン・ミッシェル修道院のバロック音楽祭。フランスには多くの夏の音楽祭があるとは聞いてましたが・・・。ベルギーとの国境に近い深い森を背景に建つ修道院でのヘンデルやバッハ・・・いつか行って見たいです。
http://www.leconcertdastree.fr/

 


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2007年ヨーロッパ初夏の旅(トリノ1) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

5/16(水) 予定では→リール11:29~ブリュッセル12:05/14:15~トリノ15:50(SNB)でしたが・・・ブリュッセル~マドリッド~トリノ(深夜に到着)

今までの旅の中でも例のないほど悲しく、疲れた一日になりました。ブリュッセルの空港まで順調に移動して12:45頃Brussels Airlinesのカウンターに並びました。出発のボードに表示がなかったので変だとは思ったのですが、以前にもチロリアン航空を利用したとき、こういうことがあったので格安だからかと思い込んで・・・。すると係りの女性が慌てた風にちょっと待ってと、発券カウンターの方へ行きました。そして戻ってきて出発の時刻が変わって朝の便になり、あなたの便はもう出発しましたというのです。「え~っ!!」目の前が真っ黒まではいきませんが灰色になりました。しかし、ローマもミラノ便も1.2時間以内に飛びますからなんとかなると、係員の方も必死に検索・・・しかし何という不運でしょう!!この週末(だってまだ水曜日でしょ?)は祭日と重なって、イタリア行きは本日は全て満席というではありませんか。この時点で立ちっ放しで30分以上経過していました。フローレスのネモリーノが聴けない!諦めなければならない!とここで目の前が真っ暗、倒れそうになりました。結局マドリード経由でトリノへ行くしかありません。到着予定はオペラの幕が降りる頃・・・。

フライト変更のEメール(1/25と5/14に出したという)を見過ごした私も悪かったのかもしれませんが、(1月のはマカフィーにひっかかって確認無しで消したようです)せめて1ヶ月前に来ていたらと文句。あちらの会社には珍しく本当に申し訳ないと謝ってましたが・・・。

気持ちを切り替えてマドリッドへ。空港で簡単に夕食(生ハムの入ったバケットとビール)を済ませ9時ごろ発のトリノ行きに乗ったら、珍しいことに夕食(夜食)がでました。何も食べずにただ寝入る私。そんな無気力状態の私は結構哀れっぽくみえたらしくて、荷物など出し入れを気配りしてくれた隣席のおじさまありがとう。

町の光が輝くトリノ上空に飛行機がさしかかった時、あのあたりがトリノ・レッジョ・・・オペラが終わる頃と思うと不覚にも涙がジヮ~でした。トリノの空港から街中へ。工場地帯とその従業員のアパートでしょうか。夜中とはいえ、あまり見かけないほど、うら寂しいトリノの裏の顔にやや驚きながらホテルへ。トリノ/Hotel Amadeus E Teatro 2泊


遅れましてぇ~と着いたホテルには愛想のいいおじさまがレセプションに居て、Uさんだねとほっとした顔で手際よくチェックインの手続きをしてくれて、即お部屋へ。今回の旅の中では一番エコノミーな宿(一泊75ユーロ朝食込み、シャワーのみ)でしたが、木の内装の部屋は広く落ち着けました。やれやれこれで怒涛の一日が終わりました。 

             


タグ:トリノ
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2007年ヨーロッパ初夏の旅(トリノ2/スーザ) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

 5/17(木) SUSA一日観光
一夜明けても ひどい目にあった昨日のことが尾を引かないわけがありません。でも考えようによっては怪我をしたわけでもなく、お金やパスポートを盗られたりして路頭に迷っているわけでもありません。当初はネット予約ができなくて、半分諦めていた「愛の妙薬」でしたし、チケット代も日本円で10.000円もしませんでした。愚痴も携帯メールでMIXIの日記に送信し、マイミクの皆さんに慰めていただきました。ここで元気がなくなるなんて女が廃る?というものです。それに朝から素晴らしい青空が広がって良い天気!ほら、大好きなイタリアに来てるののよ!

幸い 昨夜は疲れから熟睡しましたから、体調は良く ここの朝ごはん(チーズ、ハム、卵もあり)も美味しくいただいて、とにかく予定通りにSUSAまで行くことにしました。ショーペロの情報もあったので、朝ホテルで確かめたら今日はないよとのこと。(ほっ)ホテルから駅までは徒歩15分くらいですが、銀行を探したり、道に迷ったりしながら30分 以上もかかってポルタ・ノーヴァ駅へ。イタリアの鉄道は自動販売機が使いやすいので助かります。おまけに切符代がフランスの半額くらいです。

トリノ発12:15~スーザ13:20/16:43~17:48を利用しました。途中、山の上にあるサクラ・ディ・サン・ミケーレ修道院が見えました。

ここは次回、オペラのある日でも来られそうなので今回はパスしました。線路脇や野原に真っ赤な芥子の花が咲き乱れ、イタリアらしい明るい風景。列車は次第に 谷間に入り、両サイドは山頂に雪をいただいた 山々が迫ってきます。↓終着駅がSUSAです。

降りると空気が冷たく、風が谷間を吹き抜けて行きます。あわててコートを着込んで歩きました。SUSAは日本ではあまり知られていませんし、観光客も少ないのかと思っていたら、修学旅行の生徒やフランスから山越えでドライブ旅行に来たツーリストが大勢でした。ドーラ・リパリア川を渡ると旧市街に入りレストランも並んでいます。

 古い街並みを眺めながら歩いてますとお腹がすいてきました。大聖堂の手前の小路で、さりげない食堂といった風情のお店( Ristorante Italia)を見つけランチ。前菜はここのお店のアンティパスト8種の盛り合わせ。鰯の左にある生ハムの角切り、右のアンティショークと海老が美味。

セコンドはアスパラのラビオリ。(アスパラは煮過ぎ)

ワイン一杯、水、コーヒーで20ユーロでした。田舎なので一皿6ユーロくらい。安くて感激!お勧め度★★★

大聖堂の見どころはロマネスク様式(11世紀)の鐘楼ですが、全面修復中。

内部は15世紀のマグダラのマリアといわれる祈る女性の木彫がありましたが、とても暗く、誰もいなくて風の音が響くだけ不気味。外に出ると、ファサードの側にローマ時代のサヴォイア門(3~4世紀)。

 ここからすぐに公園があり、隣接するのは現在は民家になっているサンタ・マリアマッジョーレ教会(10世紀)です。

洗濯物が生活感を感じさせますが、石の風合いが美しく見とれてしまいました。どんな家族が住んでいるのでしょう。1749年に教会としてのワークは終わり、プライベートハウスとなったそうです。十字架の下部の穴の開いたところも窓になっていて人影がちらり。今までの聖堂めぐりでは経験したことのないロマネスク建築と人との密接な繋がりに感動しました。

この公園から小高いところにアウグストゥス 門(13~8AC)があり、緩い坂道を登り見学。ここから左に折れ、坂道を降りて行くとローマ時代の城壁などの遺構がありますが、その古い塔や壁などを巧みに家々の間などに配しているのにも注目でした。サン・フランチェスコ教会↓(13世紀のロマネスク=ゴシック様式)にも立ち寄ってみました。隣接して修道院があり、修道女の方が出入りしていましたが厳重に柵で囲われています。教会内部は見学できました。

この後、初めの計画では駅前に戻りタクシーで訪問予定だったサン・サトゥル二ノ教会が地図で確認したら駅に戻るより近いことに気がつきました。このまま徒歩で車の多い国道を横切り、山道を200メートルほど登って行きます。↓国道沿いから見えてきました。ここからは道がないので迂回して行きます。

NETで写真を見て一目惚れした小さな11世紀のロマネスクの教会。背景の雪を被った山、青空の中に素朴な姿を見せていました。

内部には入れませんが、後世の手のはいっていないままの鐘楼、長いときを経ていまにも崩れ落ちそうな危うさが、観光化したものを見慣れた目にはとても貴重に映りました。この町の財産である旨の看板が立っています。修復するということわりもないようで、このままの姿で保存されるようです。SUSAの町の美意識の高さに感服しながら、30分歩いて駅に戻りました。

SUSAにいつか来たことのあるような懐かしさと安らぎを感じました。私の故郷の山と川のある町に地形が似ていることと、終着駅(今は廃線)という共通点があるためでしょう。

SUSAでも西日が次第にジリジリと暑くなってきていましたが、トリノはもう夏!ホテルに戻る途中のサン・カルロ広場で氷苺ミルクを飲んでひと休み。次はトリノで一番好きな場所Galleria Subalpinaに遠回りで立ち寄り、古本屋さんなどを覗いてみました。↓奥の右に映画館の入り口。切符売り場もとてもレトロです。思わず入りそうになりました。

昼食が遅く、お腹も一杯なのでホテルの近くの果物屋さん(ここのお兄さんは少し日本語が話せます)でさくらんぼを買って、部屋でインスタントラーメンなど作って夕食。この日はトリノを含めて8キロ以上は歩きましたが、腰も膝も異変なく、「凄く元気よ~」と家族にメール。


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2007年ヨーロッパ初夏の旅(アオスタ) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

5/18(金) トリノ11:25~アオスタ13:25 アオスタの観光  Hotel Europe 1泊

トリノのポルト・ノーヴァ駅にトランクを預け、小型のキャリーを曳いてアオスタ行きの列車に乗り込みました。今日も列車のなかでの昼食になるので、おにぎり(小2個)を作ってきました。フランスのTGVのときとは違い、庶民的なローカル列車、向かいの席のTシャツのお兄さんが雑誌を読みふけっていますので、堂々と食べることができました。これで夕食はアオスタの美味しいものをたっぷりいただけます。

列車は1時間ほどでSUSAのときのように渓谷を走ります。Vall d'Aostaと呼ばれ、同名のワインの名産地でもあるので、渓谷の南斜面には段々に植えられた葡萄畑が見えてきました。アオスタに近くなると、SUSAよりも高い山々があちこちに見え隠れして、アルプスに迫ってきた実感が湧いてきました。時間があればクールマイヨールまで足をのばし、モンブランを眺めたかったのですが無理は禁物、アオスタの観光だけで満足しましょう。

今回の旅で単泊するのはアオスタだけで、他はすべて2~3連泊にしたのが、疲労度を軽くしていると思います。ホテルは駅にも近く、部屋も広い4星です。湯沸しやティーバックも揃っています。朝食込みで100ユーロでした。

←部屋からの眺め

荷物を置いて早速外出。目抜き通りを歩いていきますとプレトリア門(AC1世紀)、ローマ時代の城壁の一部分です。二重構造になっています。

そこを過ぎて200メートルくらいを左折し小道に入りますと、サントルソ教会です。ロマネスク様式の鐘楼の向かって右がサントルソ教会。

教会内部は落ち着いた均整のとれた空間。お花を捧げるご夫人が2.3人行き来して、新しいお花に取り替えています。信仰の篤さを感じました。まず12世紀の回廊を見学。柱頭彫刻もなかなか素晴らしく、夢中になって観てました。

すると、ちらちらこちらを見ながら、行ったり来たりしている初老のおじさまに気がつきました。あら・・・手には鍵の束。ピンときて「あの~フレスコが観たいのですが」というと「おひとりですか?どうぞこちらへ」といそいそと屋根裏部屋まで案内してくれました。3枚くらいの扉を次々鍵で開けて・・・ガチャガチャという音が嬉しく響きました。細い階段を登ると意外に広い空間に木の通路が設けられ、両側に11世紀のフレスコ画がひっそり並んでいます。一枚ずつ照明をつけてくれるごとに聖書の世界が現れます。15世紀の改築の際に塗りこめられ、30年前に発見されるまで隠れていたためか、淡い赤やグリーンの色も鮮やか、線描の黒がロマネスクらしい素朴さです。説明はイタリア語でしたのでほとんど理解できません。ボランティアのこの方に申し訳ないような気持ちでした。寄付はこの方は受け取ってくださらないので、教会の寄付箱へ。イタリアのロマネスクのなかでも憧れの教会でしたから、満ちたりた気持ちと感謝でいっぱいでした。

この後はアウグストゥスの凱旋門、

カテドラーレの見学。後陣の2つの塔(11~12世紀)↓。

内陣のモザイクの床(12~13世紀)↓

食料品専門のおみやげやさんで、乾燥ポルチーニを買い(軽いけれど、衣類に匂いが)、いったんホテルに戻って一休み。

夕食はホテル近くのレストランへ。フンギコースを選んだのですが・・・ワインはもちろん、Vall d'Aosta、(ボトルのラベルは仏語 Valle d'Aoste)

前菜はフォンデュー風スープ。

セコンドはステーキの茸ソースがけ。

デザートはシャーベット。ワインハーフボトル、水、コーヒー。観光客向け?結構高かったです。 お勧め度★★

時刻は9時過ぎ、ようやく夕暮れのアオスタ。町のどこからでも白銀の美しい山々が眺められます。

 

 


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2007年ヨーロッパ初夏の旅(ミラノ1) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

5/19(土) アオスタ10:34~トリノ12:45/~ミラノ  ミラノ 半日ショッピングとグルメでのんびりhotel Gran duca di York2泊

↓アオスタ駅の向こうにも高い山が見えます。名残を惜しみながらトリノへ戻りました。

ミラノ行きのICが発車するまで待ち時間が1時間くらい。ポルトノーヴァ駅構内のBARでパニー二とコーヒーのランチ。そして一泊で預けてあったトランクを受け取り乗車。荷物があるので一等車のひとり掛けの席を確保。↓のように荷物はがっちり側に置きました。一等車は煩雑に切符拝見の車掌さんがきますし、安心です。

ミラノまでの車窓からも赤い芥子の花の群生が線路伝いに見えました。ロンバルディアに入ると水田も青々と目に入りました。ミラノ中央駅は大改装中です。いつもは正面のエスカレーターで降りると、タクシー乗り場ですが、右方向から降り、ホテルへ。ここのホテルは2年ぶり2回目です。前回はスカラ座に近いので、泊まったのです。バルコニーのある部屋が気に入って、今回も早めに予約しました。中央駅の近くの方が移動には便利ですが、ミラノの美術館、グルメやショッピングを楽しむにはドゥオーモに近いこちらの方が地の利が良いのです。朝食込みで165ユーロ。冷蔵庫の水は1泊に一本は無料。窓付きのバスルームも明るくて広い。アンブロジァーナ美術館の隣で大通りの喧騒からも遠く、閑静。

洗濯を済ませのんびりしていると夕方になりました。角の普通のカフェがペックの洒落たカフェに変わっていました。夕方の買い物で賑わうスパダーリ通りの魚屋など覗いて、電車通りからドゥオーモに出ますと、わっというほどの混雑。土曜日なので凄い人出です。ドゥオーモの横からエマニュエル通りへ。あるギャラリーに可愛い子供服の店があります。足は自然にそちらに向かいます。ノンナのグルメのために予算も残り少なくなってきていますから、今回は一着だけ購入。次はこの近くにあるネットでチェックしたレストランへ。しかし今夜は土曜日なので、予約で満席とのこと・・・。仕方なくメルカンティ広場のレストランへ。前回一度ランチで来たことがあります。この広場に面して建っているラジオーネ館(もとは13世紀の中世の建物)のニッチのなかにロマネスク様式のアンテラミ作「馬にまたがったオルドラード・ダ・トレッセーノの浮き彫り(13世紀)があります。

前菜はイタリアの夏の定番、生ハムとメロン。メインは「魚介のグリル」コントルノに焼き野菜。デザートはベリー類をナチュラーレで。メインは烏賊、海老、サーモン、鰯などのミックス、焼き野菜を含めてとても美味しかったです。オリーブオイルも上等なものを使っています。隣席に日本人のご夫婦が座ったのですが、面白いことに雑誌の切り抜きを持参して、注文されていました。前菜とパスタ、デザートを一皿ずつとってお二人で分けてました。日本人に慣れている?ここのお店は何も言わなくても取り皿を並べ、サービス満点。私とほぼ同年輩の方たちなので、3皿+α平らげちゃった私って、やはり大食いなのかしらん。ツアーでチェコなどを回り、帰途ミラノの息子さん家に寄られたそうです。たまにふたりで食事がしたくなって、ガイドブックで調べて来られたとか・・・。おしゃべりしていて、写真撮り忘れです。お勧め度★★★★

↓ショッピングと言ってもプラダもフェラガモも無し。写真はアオスタで買った乾燥ポルチーニ。トリノの駅で買ったオペラと美術(ピエロ・デッラ・フランチェスコの特集)の雑誌。孫の夏服だけがミラノでの買い物・・・お粗末でした。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2007年ヨーロッパ初夏の旅(ミラノ2/コモ) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

5/20(日) コモ湖一日観光

いつもスタートの遅い私、出発の頃になってバタバタ。メトロの確認などして出かけましたが・・・ドゥオーモ駅からガリバルディ駅までの切符を買うのに一苦労。まだ自動販売機に慣れません。結局、新聞売ってるところで2枚購入。この数分のもたつきとコモ行きの窓口の長い行列で、丁度良い時間のコモ行きを一本逃がしてしまいました。

コモ駅からタクシーで、丘の上のサンタッボンディオS・Abbondio教会(11世紀)へ。運転手さんに15分くらい待ってもらって見学。ロンバルディア=ロマネスクを代表する建物です。ロンバルデァ帯、付け柱や扉口の彫刻が典型的なロマネスク建築。内部は天井が高く、暗くひんやり、イタリアン・カソリックに多い華美な飾りが無く、いい雰囲気です。壁画が暗くてよく見えなかったのですが、帰国後の情報では照明があったようです。

後陣外観は両側の鐘楼のバランスが良く、背が高くすっきりした印象。

遊覧船の情報を日本で取ってこなかったので、まったく行き当たりばったりになってしまって、やはり時間にロスが出ました。Gravedonaへ行く定期船の2時の出発まで時間がたっぷり。↓大聖堂の見学やこの広場でランチ(ピッツア)をとったりして過ごしたのですが、真夏のような太陽に照らされ(帽子もホテルに忘れてきて)たこともあり、次第に疲れてきました。

それでも、kさんが以前訪問されたときのHPのコピーだけは忘れずに持ってきました。それを眺めていると、私も頑張って行ってみようという気持ちになりました。今、この日記を書いていてもkさんには感謝の気持ちでいっぱいです。

↓船からの眺め。湖畔のあちこちに美しいヴィラやホテルが建っていて、素敵なレストランも・・・。

日曜日なので小さな子供を連れたファミリーが多く乗っていました。

何箇所かストップしながら1時間半。次はGravedonaのアナウンス、目的のサンタ・マリア・デル・ティリオ教会(12世紀)が見えてきました。

船着場から徒歩数分。枇杷の実る木の向こうににゅっと現れた八角形の鐘楼。

正面に到着。今日は日曜日、ミサが終わった頃?と思ったら

今日はキリストの昇天祭。洗礼を受ける赤ちゃんが集合。

後陣にはフレスコ画が残り、窓からの淡い光が差し込みます。最近訪れたロマネスクの教会の中では屈指の心休まる内部空間。幸い儀式の終わった直後でしたから、しばらくぼーっとしていました。

後背部に回りますと、芝生と樹木。そして湖の波がすぐそこに・・・。

40分後に波止場に戻るとお迎えの遊覧船がやってきました。

ミラノに戻ったのはすでに7時を過ぎていました。ホテルへ帰る前に夕食をと、ミラノ風カツレツの美味しいレストランへ。しかし祭日で近辺は軒並みお休み。仕方なくエマニエルⅡのガレリアへ。ミラノ最後の夜です。スプマンテで乾杯。

前菜の蛸のカルパッチョ、味は普通ですが、量が多過ぎ。次のパスタも何を食べたか思い出せないくらいの代物。デザートはパス・・・でもお値段は嘘!!っていうほどお高いものでした。コペルトが場所代で高かったのかしら?お勧め度★ 救いはドミンゴに似たお給仕のおじさんが、内緒ねとウィンクしてスプマンテをもういっぱいサービスしてくれたこと。

奥の右に見えるお店です。親切なおじさんには悪いけれど、二度と行きません。

帰りの道すがらドゥオーモを撮影。本格的に暗くなる前の明るい藍色の宵の空が、いかにもイタリア。この色が大好きです。暑くてもイタリアは夏が最高!!

 

 

 

 


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2007年ヨーロッパ初夏の旅(ブリュッセル1) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

5/21(月) ミラノ6:15(バス)~ベルガモ空港7:15/9:15~ブリュッセル10:50 IBIS OFF GRAND PALACE2泊

今日は朝寝坊の私の最大の苦手、早朝出発の日。緊張であまり眠れないまま朝を迎えました。6時少し前にチェックアウトし、タクシーで中央駅まで。親切な運転手さんはベルガモ空港行きのバスの横で停車し、側にいたバスの運転手さんに確認してくれました。バスの運転手さんがトランクを荷物台に載せてくれて、荷物ドアを閉めるまでつきっきり、安心でした。しかし、私は窓からずーっと見張ってました。(笑)

5分もしないうちに発車、早朝なので高速道路もスイスイ飛ばし空港へ。ここは初めて利用しました。ネット予約で、ヴァージン・エクスプレスというところを使ったのですが、9:15分発のブリュッセル行きにヴァージン・エクスプレスの名前はありません。あれれ?と思いながら同時刻発のアリタリアのカウンターに並びました。機内預けの荷物は20キロまでと大きく表示されています。適当に詰め込んできましたし、オペラや美術館でのパンフレット、カタログ類が増えています。ドキドキ・・・19キロの表示で、無事搭乗券ももらってニコニコ。早朝出発で朝ごはん抜きでしたので、BARでバナナとカプチーノで超簡単朝ごはん。この空港は格安航空会社だけの利用かと思っていたらアリタリアもあり、ヨーロッパ国内線が次々飛んでいます。結構な混雑でした。食事するところは簡単なBARしかありませんし、免税店、みやげ物店などは無いようです。その分空港利用料などが安いのでしょう。ベルガモと聞いて、初めは遠い!と思いましたが、ミラノからマルペンサまででも1時間はかかる距離ですから、問題はありません。大空港のマルペンサをうろうろするより、こちらの方が使いやすい気がします。飛行機もほぼ定刻どおりに出発し、ブリュッセルへ。

ブリュッセルは1994年の初めての一人旅以来4回目になります。4回も行って一度も見ていない観光スポットが小便小僧・・・。さて、無事にグランパレス近くのホテルに到着しました。ベットのほかに長いすもあって広い部屋、一泊100ユーロ(朝食込み)

早速マイミクのIさんに携帯メールを送信。しかし、返信がありません。Iさんは初対面の方ですが、お体の弱い方と伺っておりました。事前の打ち合わせのときも、私の方の早朝移動の不安もあり、お互いに無理しないようにしましょうとやりとりしていましたので、返信が無い→体調不良と思い込んでしまいました。

ひとりで食べ物横丁の某有名店でプチポットのムール貝とフライドポテトのセット定食でランチ。もちろんつき。約15ユーロ。

イタリアと打って変わって時々雨が降り、肌寒いブリュッセル。ホテルに戻り、昼寝。昨夜の睡眠不足と移動の疲れでぐっすり2~3時間は眠り込んでてしまいました。

目覚めると、すでに夕刻です。Iさんからのメール連絡はありません。この旅の中で、ようやくオペラ好きな方とゆっくり贅沢なディナーを、ともくろんでいましたが・・・。この時点ですれ違いだったのです。メールがIさんの携帯に届いていなかったので、心配されて私のホテルに電話(このときはランチへ)やFAXを送っていただいたのです。カードキーなのでフロントに寄らなければFAXを見ることも無く(この点でホテルの対応はまずい)、サーバーメールの全受信機能が働いていないという考えも頭に浮かばないまま、夕食へ。ベルギーは美食の国としても有名ですが、今まではその機会もなかったので、今回は色々あって美食に走ったついで?にIさんの宿泊されている豪華ホテルのレストランへ。そのときレセプションから彼女に連絡すれば良かったのですが・・・具合が悪かったら食欲もないでしょうとまたひとり合点。

前菜はここでも白、緑のアスパラのお皿。シンプルな味付けで美味!メインはオマール海老と黒パスタ。

デザートはまたもや大好きなベリー尽くし。

近くの席に若い日本人男女が3人。(ビジネスかレジャーかよくわからない方たち→お若いのに贅沢ね→おばさんの妬み 笑)

↓インテリアもサービスもさすがに素晴らしい。この旅では最後のロンドンと並んで滅多に無い贅沢な食事を堪能しました。お勧め度★★★★ 

さて、ホテルを出て少し歩いたところで、Iさんとお会いできました。あら~っ!!お元気そうとまず一安心。そして、メールが着いていなかったこと、電話などで連絡してくださったことなどを知りました。それも知らずにひとりで美味しいものを食べていた私・・・申し訳ないやら、自分が情けないやら、ごめんなさい~!!。そんなドジな私を嫌な顔ひとつなさらず、許してくださって、ホテルのティールームで深夜までお喋り。初対面でもオペラと言う共通の話題には事欠きません。楽しい夜になりました。


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2007年ヨーロッパ初夏の旅(ブリュッセル2/トゥルネ) [2007夏ベルリンからブリュッセルまで周遊の旅]

5/22(火)ブリュッセル11:17~トゥルネーTournai12:19/13:53~ブリュッセル14:58   トゥルネー半日観光&オペラ「清教徒」(コンサート形式)

この日も雨模様の肌寒い一日でした。旅も終わりに近く、少し疲れが出たのでしょう。天気がぐずついていたのもモチベーションを低くして、朝のエンジンがかかるのが遅れました。それで列車に乗り遅れそうになりながら、発車5分前に地下ホームへ。トゥルネーまでは中央駅から列車で1時間の道程です。ほぼ一時間に一本の間隔で列車があります。列車はブリュッセルから南西へ、霧雨に煙る農地(兎のファミリーが見えました)を過ぎ、フランス国境近くの町Tournaiに到着。この町を知ったのは私と同様にヨーロッパのロマネスク聖堂を訪ねる旅がお好きなEさんのコメントからでした。ふくろうの本「図説ロマネスクの教会堂」もEさんに紹介していただきました。この本によりますとTournaiはメロヴィング朝フランク王国の祖となったクロヴィスが生まれた町なので「フランス王家のゆりかご」と呼ばれているそうです。クロヴィスは496年に異教信仰を捨ててカトリックに改宗し、この町に司教座を置きました。現在はそのような輝かしい歴史や繁栄から忘れられたような静かな町というか寂れたような町になっています。クロヴィスといえば1週間前に訪れたジュミエージュ修道院にまつわる伝説の王子たちのご先祖様ではありませんか・・・偶然。

駅前からまっすぐの大通りをスヘルデ河を渡り、数百メートル歩きますと、5つの塔のそびえる大聖堂が霧雨の向こうに見えてきました。この遠望でないと5つの塔が全部見えないようです。

現存のロマネスクの遺構のなかでは稀有といわれるのが5つの塔。交差部の塔の周りに4つの塔が順次建てられました。中世のベルギーでは鐘が好まれたようで、旋律を奏でる組鐘(カリヨン)もさかんに作られました。ブリュージュのカリヨンも有名ですが、ここトゥルネーも17世紀には相当数のカリヨンがあり、フランス革命前には大聖堂に鐘つき男49人!カリヨン弾き4人が大聖堂のなかで、寝起きしていたという。「ノートルダムのせむし男」の話を想い出しますが、現在は電動で鳴らされるそうです。

あいにく内部は大部分が大修理中。側廊は地面を深く掘っていますので、考古学調査もなされているようでした。身廊は4層の高さの割りに柱が細いので修復を何度もする必要があるとのこと。

この地方の名産である「トゥルネーの青い石」で作られているとのことですが、青い色?って目をこすって見ても、普通のグレィ色・・・古くなって汚れているから?

ロマネスク柱頭彫刻や壁画などの部分も工事中のため、見学できませんでした。残念。

↓ナルテックスのついたファサード。教会建築としてはロマネスク時代に工事が始まり、途中からゴシックに変わっています。

↑大聖堂の手前にある古い建物は美術学校。

↑大聖堂の近くベフロワと呼ばれる独立鐘楼。

ランチを駅前のカフェで。チキンカツのサラダ添えと(しかし、ベルギービールは美味しい!)雨も強く降り、ますます寒くなってきました。オルタの設計したという美術館はパスして、ブリュッセルに戻りました。

↑Tournai駅構内。

♪~Vincenzo Bellini「 I puritani」  Palais des Beaux-Arts      8時開演    69ユーロ
Conductor   Maurizio Benini
Chorus master   Piers Maxim
  ~
Lord Gualtiero Valton    Riccardo Ferrari
Sir Giorgio Valton    Michele Pertusi
Lord Arturo Talbo    Antonino Siragusa → Mario Zeffiri

Sir Riccardo Forth    Stefano Antonucci
Sir Bruno Robertson    Cristiano Cremonini
Enrichetta di Francia    Gabriella Colecchia
Elvira    Désirée Rancatore →Sumi jo

シラグーザは不調のため、ベルリンを降りてここに絞ったはずでしたが・・・。この2日前の歌唱は今までに無い絶不調であったということを昨夜Iさんに伺っていました。今夜は諦めの境地でしたが・・・やはりキャンセル。泣くに泣けませんでしたが、昨年6月のアムステルダムでの歌唱と前後の超過密スケジュールを考えると、ある程度の予想はついていたとも言えます。ただこのままぽしゃってしまっては大変です。フローレスの超人間的な高く響く声とは違う魅力、イタリアのオリジナリティ溢れる明るい声の持ち主は万人に愛されるテノールの素質充分です。ですから、なんとかここで充分休養して、快復していただきたいと願うばかり。

ランカトーレも今年になってからでしょうか、急激な不調の噂を耳にして、信じられない思いでいましたが・・・残念です。シラグーザよりも深刻かもしれません。7年前にパリでホフマンのオランピアを聴きました。あの時はまだ20代前半、その後若く有望なソプラノとして順調にキャリアを積んできました。ショックです。

シラグーザの替わりに歌ったのはゼッフィーリ。どこかで観たような、聴いたような・・・思い出せません。声は強く高音もでますが、息継ぎの不自然さが気になります。それで気品に欠ける歌唱になってしまいます。ランカトーレの代役はスミ・ジョー。前半はあまり感心しませんでしたが、後半はまあまあ。彼女にも良い時期はあったのでしょうし、実際衰えたということもないのですが、エルヴィーラはグルベローヴァのを聴いていますので、惹き込まれる歌唱には遠いというのが本音。ペルトゥージは安定した深く渋い歌唱。昨年もモネ劇場のファルスタッフで聴いています。ブリュッセルがお好き?ベッリー二の指揮とオーケストラはまあ平凡というか・・・特になし。

Iさんは明日早朝トリノへ。私はロンドンとお別れです。いつか、シラグーザの舞台をヨーロッパで一緒に観られますように・・・。

 


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