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2009年初夏の旅15(サン・モリッツ→ミュスタイア→マッレス) [2009夏仏、伊、スイスのロマネスクを巡る旅]

5/22(金)

St・Moritz12:04[電車]---Zernez12:48/13:15[バス]---Mustair14:21/16:21[バス]---Malles16:46

Hotel Carni(zum Hirschen)1泊

サン・モリッツの出発を予定より3時間延ばして、朝10:00の開館にあわせてセガンティー二美術館へ。昨日訪れていますので、余裕でフット・パスを歩いて行きました。野の花(高山植物でしょうか?)が咲き、リスも姿を見せました。そういえばリスは昨日も挨拶?に現れてました。昨日今日と2往復して出会ったのはジョギング中の女性ひとりだけ。周辺は優雅な邸宅やホテルですから、危険な感じはまったくありません。

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ホテルの朝食室で日本人のグループ(10名ほど)に会いましたが、その方たちが車道に立っているのが上のフット・パスから見えました。こんなに素敵な山道があるのにバスで来たようでした。そして現地係員を外で待っている様子です。

その間に先に入館して、展示室ではなるべく一緒にならないように気を遣いました。どうしても日本語の説明に耳が反応してしまいますから。たまに意地悪な方もいて、聞くともなしに聞いていると睨まれたりしたことも・・・。ここで一緒になったグループは少人数でおっとりした方が多く、嫌な思いはしませんでした。

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1階と2階に展示室が分かれています。2階は三連祭壇画にあわせてドーム天井のチャペル風の展示室になっています。カメラ禁止なので絵葉書から。

↓ セガンティー二が1899年に亡くなる寸前まで製作に打ち込んでいた3部作(生成~存在~消滅)のうちの消滅または「死」と呼ばれる作品。凍てつく谷での葬送は哀しい光景ですが、朝日の昇る青い空と幻想的な雲が、循環するすべての命をやさしく包んでいるかのようです。

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↓ 「海を渡るアヴェ マリア」(1886)  フット・パスの看板にもなっていたこの作品は、キリストの聖家族を思わせます。解説によりますと新印象派の最新技法を試みて描かれたといいます。湖面のきらめく青が美しく、夕日の湖上のさりげない日常生活が神聖な情景へと高められています。ザンクトガレン美術館からの貸し出し。(個人蔵の委託)サン・モリッツにいつまで展示されるのでしょう。これを観ることができて、ラッキーでした。

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↓ 「アルプスの真昼」(1891) 青い仕事着の羊飼いの娘が残雪の山々を背景に立つ、いかにもセガンティー二らしい作品です。大原美術館に同一主題の作品があるとのことです。この絵画もザンクト ガレン美術館からの貸し出しです。

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素晴らしい展示品の数々です。ここまで来た甲斐がありました。もと来た道を戻り、ホテルまで。駅まではここのホテルの送迎サービスを利用しました。昨日到着したときも電話をすれば、お迎えに来てくれたようです。勿体無いことをしました。駅でサンドイッチを買い込み、次の訪問地のミュスタイアへ。

スイスのポストバスのHPはとても良く出来ています。出発地をSt Moritz、到着を Mustair Clostra San Jonと入れると乗換えを含めたタイムテーブルが出てきます。

http://www.postbus.ch/

↓ 列車でZernegまで。駅の前がバス停になっていて、少し時間がありますのでトイレタイム。(駅のトイレは有料) カフェでお茶をする人もいます。

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バスはスキー場や登山のリゾート地としても有名な国立公園の谷間を縫って、約1時間走ります。雪山と緑の谷のパノラマが続き、素晴らしい景観です。

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ミュスタイアの聖ヨハネ女子修道院 Mustair/Convent of St John

ミュスタイアの村を抜けたところに修道院があり、道路を隔てて大きな駐車場でバスを降ります。門を入り左の建物にブックショップ兼チケット(ミュージアム)売り場があります。ロッカーはないので売り場の人の許可をもらって、片隅に置いてもらいました。二つ返事で気持ちよく預かってもらえました。

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↑ 門から突き当たりが教会です。門の右脇に建つザンクト・ウルリッヒ礼拝堂は工事のシートに覆われ、見学不可でした。

大小3つの半円の後陣、建築当時は方形の単身廊でしたが、15世紀に三廊式に改造されています。

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788年、交通の要所だったこのミュスタイアの谷にシャルルマーニュはクール司教に命じて修道院を創設させます。シャルルマーニュはランゴバルド王国を征服して、イタリア進出を狙っていたのです。この数年はランゴバルド美術に関心があり、北イタリアのいくつかの故地を訪ねていました。この地も縁があったのですね。

↓ 後陣の内壁には12世紀後半の壁画で飾られています。強く明確な線描と赤を主体に多彩な色調が見事です。

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↓ 中央後陣の半円蓋に「荘厳のキリスト」

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↓ 下段に「ヘロデ王の饗宴」

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↓ 右小後陣の下段に「聖ステファノの殉教」

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南北の壁面は9世紀の初頭に描かれた壁画で埋め尽くされています。主に新約の場面のようです。

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↓北壁面の「エジプトへの逃避」(絵葉書)

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↓ 北壁面のレリーフ「キリストの洗礼」

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ミュージアムの入り口は後陣の反対側の修道院へのドアの呼び鈴を鳴らします。随時案内係のシスターがつくようですが、私はドイツ語はまったく分かりませんので、フリーでお願いしました。

↓ 展示室には壁画や浮き彫り彫刻など見応えのあるものばかりです。下のフレスコ画は聖母マリアでしょうか?

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↓ ミュスタイアの「神の子羊」

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見学が終わり、荷物を受け取って駐車場脇のバス停へ。ところが私の調べていったバスが来ません。30分待合の椅子に座っていました。マイカーで来られた方が困っている私を見て、心配して声をかけてくださるのですが、あいにく反対方向なので乗せてはもらえません。(涙)

次の便までまだ1時間半もあります。しょんぼりと駐車場の傍にあるホテル(一角獣ホテルという名前!)のテラスカフェでお茶していましたら、ここのご主人がマッレスならもうすぐバスが来るよというのです。慌ててバス停に戻って、待っている人に確認しましたら、マッレス行きに間違いありません。結局のところ、私が調べていた時刻表から変わっていたようなのです。毎日運行と不定期が逆になっていたのです。やれやれとバスに乗り込みました。

国境は数分のところで、係員の姿は見えましたが、バスは素通りで無事イタリアに入国。イタリアとはいえマッレスからメラーノの南チロルはドイツ語がほとんどです。

マッレスの鉄道駅に隣接するバスターミナルに到着。さて、泊まる予定の駅近くのホテルは予約の電話を昨日も入れましたが、応答がありません。その筈です。閉鎖されていました。「が~ん!!それならHPをネットに載せないで!!」

でも、Google earth ではこの近辺にもホテルがあったはずです。折からのカンカン西日が荷物を引きながら坂道を登る私に容赦なく照りつけます。どんなホテルでも良いからと、道行く人に「近くにホテルありますか?」と尋ねてもモンテモンテ、センプレデリットというばかり。

息も絶え絶えにずいぶん歩きました。住宅街を抜けるとお店の並ぶ小さな広場に出ました。1階がバールで2階がホテルのフロントと教えられ、最後の力を振り絞って階段を登ってますと、後ろからここのご主人が来て、荷物を運んでくれました。テノールのアントニオ・シラクーザに似た優しい顔立ちの方です。空き室は45€(朝食付き)ですと、何故か気の毒そうに言います。(100€でも泊まるわよ)

バスタブはついていませんが、お部屋は広くて清潔です。

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時計を見ると17時をまわっています。夕方訪問予定だったモンテ・マリアの修道院にはもう間に合いません。せめてこの町の散策をしなければと、さっきまで死にそうだったのに1時間ほど休むと元気になり、出かけました。

ヴェノスタ渓谷の町マッレスはスイス国境に近く、古い歴史があります。町を流れる清流の向こうにそびえる12~13世紀の円筒形の塔と廃墟の城を観に行きました。

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町の民家では豚や牛を飼っている家もあり、家畜の臭いが漂ってきました。ふと小さかった頃を思い出しました。田舎の小さな町の実家でも羊を飼っていた時期がありました。祖母がその綿羊の毛を紡いで、毛糸にしてからセーターを編んでくれたことなど・・・懐かしさで胸がいっぱいになりました。

独りでこの北イタリアの小さな町にやってきて、佇んでいる私と想い出の中の幼い私とこれからより老いていく私。過去、現在、未来が今朝観てきたセガンティー二の3部作と重なりました。

ホテルのご主人お勧めのレストランで軽くサーモンとアスパラガスのスパゲッテイ一皿とデザートの夕食。味は普通。

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今日は大変ハードな一日になりました。なんとか乗り切れたことに感謝しながら眠りにつきました。そして翌日もまた・・・。

 

 

 

 

 


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コメント 6

Bowles

とうとうサン・モリッツにいらっしゃいましたね!!

セガンティーニに出会ったのはまだ小学生のとき、aliceさんがここで「大原美術館に同一主題の作品がある」とおっしゃっているその絵を倉敷で観たのが最初でした。子どもごころに、のどかなリアリスムの絵のようでいて、どこか現実を突き抜けた表現に印象を受けたのだと思います。彼の作品の中では象徴主義的なもの(ミラノの市立近代美術館やウィーンのもの)が好きなので、このサン・モリッツの「生の三部作」、セガンティーニの二つの方向が見事に融合された作品はぜひ観てみたいものだと思っています。車だとミラノからちょっと脚をのばせばよいのでしょうが...なかなか北方には運転手氏が...。
by Bowles (2009-07-05 16:30) 

alice

Bowlesさん

小学生のときの倉敷でご覧になっていたのですね。そしてきちんと記憶もされていて・・・さすが!!(唸る)

実は私も20年位前に行っていました。でも覚えがないの・・・。(汗)

>なかなか北方には運転手氏が...。

ご主人の気持ちも良く分かりますが・・・真夏のスイスのドライブも快適ですよ。
by alice (2009-07-05 20:31) 

ご~けん

aliceさん、改めて読ませていただきました。今頃はパリでしょうか?
セガンティーニ美術館まで同じ小路をあるきました。残念ながら館内は撮影禁止でしたね。三部作に圧倒されましたが、なぜ「誕生」が夕方で「死」が朝なのか、分かりませんでした。
その前日はムオッタス・ムラーユに登ったのですが、先にこの絵を見ておけばと思いました。彼の山小屋には根性なしのため行きませんでしたが・・・
by ご~けん (2009-09-22 06:13) 

alice

ごーけんさんもセガンティーニ美術館に行かれたのですね。湖を眺めながらのあの素敵な散歩道も。

あの三部作、圧倒的に「死」の朝が素晴らしいと思いました。死ぬのが怖くなくなるような・・・だから希望に満ちた朝が画家には必然だったのかと解釈したのですが。

そうなると「誕生」は暗い胎内で命が芽生え、はぐくまれこの世に押し出されるという・・・「生成」との別名もありますし。


by alice (2009-10-02 23:45) 

ご~けん

aliceさん、三部作の製作背景が理解できました。
サンモリッツのホテルで隣の部屋に1週間滞在していた、日本人のご夫婦に薦められて美術館に行きました。
散歩道から湖を撮影した写真がありますので、貼り付けておきますね。
http://mixi.jp/view_album_photo.pl?album_id=37839453&owner_id=6241508&number=1358420816&page=2
http://mixi.jp/view_album_photo.pl?album_id=37839453&owner_id=6241508&number=1531775535&page=2
by ご~けん (2009-10-03 08:54) 

alice

ごーけんさんは旅行中にアルバムを公開されるので、拝見するほうも一緒に旅をしている気分で楽しいですね。

私もやってみたいけれど、ノートパソコンの軽いのを購入しなければなりません。前回から使っている一眼レフのデジカメも以前のに比べると重いのでますます重装備になりそう・・・。夢に終わりそうです。

>aliceさん、三部作の製作背景が理解できました。

勝手な推測なので、間違っていたらごめんなさい。この作品についてはどこかに詳しく書かれた解説があったような気がします。探してみます。
by alice (2009-10-03 20:09) 

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