2011年春の旅 3 (東京~インディアナポリス) [2011春東京からNY、母娘の旅]
東京での歌舞伎やコンサートを楽しんだ後は長女と成田で落合い次女一家の住むインディアナポリスに行きました。長女はロスアンジェルスの結婚式以来初めてのアメリカ訪問です。3月11日の大震災からまだ日も浅く、迷いました。しかし既に飛行機やホテルチケットなどの手配も済ませてましたし、長女も今は失業中でこの機を逃したらインディアナポリス訪問は厳しくなるとのことで決行。
日程/インディアナポリス(6)~ニューヨーク(5)11泊13日
↓Map (NY)
2/11(月) 成田15:15→ニューヨーク14:59/19:0522:00頃→インディアナポリス(Delta)21:4524:00頃
今日は札幌から来る長女と成田で待ち合わせして、デルタでニューヨーク経由でインディアナポリスまでの長い旅です。
銀座のホテルの前からリムジンバスで成田に向かいました。昨年も乗った銀座のホテルコースのバスはなんと!私独りだけが乗客という淋しさ。3.11東日本大震災から丁度1ヶ月経ちましたが、福島の原発事故の影響とはいえ、外国人の旅行者の少なさには驚きました。昨年はこのバスは満員でしたのに・・・。
成田で携帯に夫から電話があり、長女が片時も離さないほど大事な(笑)携帯を忘れたというのです。先が思いやられましたが、予定より少し遅れて宅配会社の前に現れました。私の分だけグレードアップの特典を使ったため、米国内のフライト(NYとインディアナポリスの往復)は別口で予約していました。米国内で搭乗のとき預け手荷物の分を25ドル払うのは承知していましたが、2個目は35ドル!2人分で120ドルも前払いしてくださいというので・・・涙。
↓ ランチは軽くお茶漬、そしてラウンジでちょこっと軽食をいただき搭乗。
↓ デルタの機内食(ビジネス)
さて、時間通りにNYに到着。懸念の入国検査はいつもより簡単で、何日滞在するの?と訊かれただけでした。係員も日本人には同情の面持ちのJFK空港のパスポートコントロールでした。旅だつ前は冗談に放射能検査されるかもといっていたのですが・・・。
空港で4時間の乗り換え時間があり、カフェで夕食をとったりして過ごしました。長女は早朝に出発したこともあって、疲れと眠さで私よりよれよれになって・・・「ヨーコやハヤトに会いに行くのも楽でないね~」とぼやきました。毎日のように会いたい会いたいと騒いだ人は誰だっけ?
さてようやくインディアナポリス行きの小型飛行機に乗り込み、滑走路に向けて動き出しました。安堵でウトウト・・・と、なにやら騒がしい声で目が覚めました。窓の外を見ると消防車の赤いランプが点滅し、空港の従業員たちが大勢集まっています。目の前に大きなエールフランス機(500人乗り)、右に小型飛行機(50人乗り)が停まっています。ニアミスがあったようですが、このときは詳しいことは分かりませんでした。1時間ほど前にも後ろにも動けず、機長さんも「ノーアイディア」を繰り返すのみ。ようやく通路が確保でき、もとの駐機場に戻りました。私たちがいったん飛行機を降りたところで、振り向くと、くだんのエールフランス機も動き出しました。
事故はこういうことだったのです↓
http://kokuryoko.air-nifty.com/1/2011/04/to-c539.html
動画はスローモーションですから実際は一瞬のできごとで、機体の中央にぶつかれば大惨事になるところでした。爆発したら私たちの小型機も危なかったかも知れません。東京で地震にあわなくて良かったなどといって罰があたったのかも・・・。
次女の夫が仕事帰りに空港に迎えに来ているはずですが、悪いことは続くものです。私のi phoneがなかなか繋がりません。公衆電話で、何度も次女に連絡したのですが駄目(丁度子供たちの入浴や就寝の世話で電話が聴こえなかったようです)です。さらに困ったことに、搭乗口の表示が出ないまま・・・後続便も当然遅れが出ますから、この近辺は大混雑、アナウンスも聞き取れません。心配になって様子を確かめに搭乗口に行ってみましたら、係員がインディアナポリスはもう出発するから早く乗ってというので大慌て!私たちが最後かと思ったのですが、まだ3人ほどが遅れて乗ってきました。
インディアナポリスに到着したのは日付も変わろうかという時間でした。お婿さんは仕事帰りで疲れているのに空港は夜間のためカフェも閉店していて、気の毒なことをしました。家に着いたのは午前1時ごろ、子供たちはもうお寝んねですから、明日会うのを楽しみに床に就きました。
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