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2011年夏の旅(10)  モンプリエ~ナルボンヌ [2011夏パリとフランス南西部最後はザルツの旅]

7/28(木)  モンプリエ10:24~ナルボンヌ11:27

Hotel la Residence 1泊(105€ 朝食別8.9€)

3泊したモンプリエのNewhotel du Midiともお別れです。↓ホテルはクラッシクなテアトルのオペラ・コメディの左隣(写真ではちょっと引っ込んだ真ん中の建物)

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↓ イサム・ノグチ?の和風ペンダント照明がフランスの宿では珍しい

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朝の雨も上がって、駅まで徒歩。ほとんど買い物はしないつもりでも、パンフや小冊子類が増え、荷物が重くなってきて、しんどい・・・。

各駅ではほとんど自動販売機を使いカードで精算しました。地方のterはセカンドクラス、遠距離のTGVはプルミエクラスと使い分けました。SNCFのHPで予約したのは旅の始めのパリからボーヌまでだけ。シニア・カードというものがあるのですが、何度か申し込みしたのですが、失敗します。フランス在住者だけなのでしょうか?

モンプリエからナルボンヌの途中には最後まで迷ったセトやベゼールがあるのですが、荷物を抱えての観光は無理と思い、パスしました。
ナルボンヌの駅から旧市街のホテルまでタクシーで。7eur
まだ部屋の準備ができていないので、荷物を預けマップをもらい早速市内観光へ。

↓ インフォメーションや主な建物やカテドラルのある大きな広場もすぐ近く。

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↓ 運河の上に跨った建物の並ぶ小路を抜けて、

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川沿いの賑やかな青空市場を通り抜けると、カタルーニャでよく見かけた市場のクラシックな建物、そのむこうにナルボンヌで一番古い教会が見えました。

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市場のなかにも入ってみました。魚屋さんには牡蠣やムール貝、小イカ、かじきまぐろも。。。丁度昼どきですから、オリーブ屋さん,チーズ屋さん、ワインのいっぱい飲み屋さんなど見ただけで、お腹がぐぅ~。

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でももう少し我慢しましょう。隣の教会へ入って見ました。ここは美術館になっていて、丁度映像のショーがはじまりました。有料。こういうのは観ないで自由に見学したいのですが。。。身廊の内部を暗くして壁にこの町やこの教会の歴史やキリスト教、カタリ派などの物語らしい映像が映し出されます。30分ほどで終わり後は自由見学です。一緒に見ていたのはひとくみの家族ずれと私だけ。
明るくなった教会内部に、ロマネスクの彫刻があるのではとの期待は見事に外れ、古代ローマ時代の都市だったころの浮彫(何故か牛が多い)がほとんど。
今年の2月に訪れたタラゴナを思い出した。同じようにローマ帝国のフランクやイベリア侵略の拠点になった都市なのです。そして同じようにロマネスク期のものが残っていないという共通点。。。中学生くらいの男の子が、熱心に観ていました。ご両親はとっくに飽きていたようですが。。。

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ここの教会の扉口のタンパンを縁取るヴシュールはニューヨークのクロイスターズで見た記憶がありますが・・・。

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ランチはこの教会の前のレストランで。小いかのタリアテッレサラダは最高に美味しかった!

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偶然入った店ですが、夕食の時お魚の美味しいレストランは何処?とホテルのマダムに言ったら、ここのレストランを紹介されました。

さて,ホテルに戻り部屋でひと休み

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 4時にタクシーを呼んで貰って、フォンフロワド修道院へ。約30分で到着。途中コルビエール山脈と呼ばれる山間の道を走りますと、山の上に廃墟のお城が見えました。多分カタリ派の居城だったところでしょう。

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この地方はカタリズムの国ペイ・ ド・カタリエムという宣伝文句のついたパンフレットが何処へ行っても目立ちました。中世の宗教戦争の悲劇も今や観光に利用されているのです。堀田善衛の『路上の人』を読むとあのころに生きていた人々の純粋な神への想いや葛藤の激しさ、その悲劇には胸をつかれました。

さて、このような閑静な地に修道院は建っています。シトー派の修道院としては今はかなりな人気があります。モンプリエで開催されていたルドン展で、この修道院の図書室にルドンの描いた壁画があり,現在特別拝観ができるとのこと。予約のメールをモンプリエから送ったのですが。。。返事を確認しないまま(ツメが悪いのが露呈)に来てしまいました。インフォメーションでは名前が載っていないとのこと。。。今日はもう満員だし、グループで1人のガイドがつくから個人では難しいようです。

Abbaye  Fontfroide   ナルボンヌから南西に15K、コルビエール山脈の深い峡谷に隠れるように建って居ます。11世紀の終わりには修道士たちがすでにこの荒地に住んでいました。シトー派の女子修道院として1146年に所属した後、5年のうちにフォンフロワドはカタルーニャのポブレ修道院をライモンド4世の要請で創設。初期の後援者はルッションのジェラール、アラゴンのアルフォンス、モンプリエのギレーム、トゥールーズ公そしてべゼールの子爵でした。1157年にはほとんどの重要な寄付がされました。12世紀の終わり,異端のアルビジョワ派がラングドック地方に混乱を巻き起こし、フォンフロワドは正統派の防衛として残りました。ピエールとラウルの二人の修道士は1199年に教皇イノセント3世に異端と戦うことを任ぜられ、ピエールはトゥールーズ公の兵士によって陥落。殉教者となりました。その後も幾多の困難が修道院の荒廃を招きました。20世紀になりリノべ-ションが始まったのは、画家ルドンの後援者Fayet家が買い取ってからです。ルドンは友人でもあったGustave Fayetのために1910-11にかけて、2点の壁画パネル「夜」と「昼」を制作しました。

教会の建物は12世紀の終わり、回廊は13世紀末から14世紀初め、チャプターハウスは12世紀末から13世紀の建築です。

↓ 修道院の入り口

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図書室のルドン鑑賞というせっかくの好機を逃しがっかりしつつ、修道院内のガイドツアーが始まると言うので、それに参加することにしました。

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↓ 談話室

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↓ 回廊

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↓チャプター・ハウス

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30分おきにスタートなので、そう長くかからないと思ったらたっぷり1時間半になっても終わらず、タクシーを待たせているからとガイドに断って途中で帰ろうと入り口に戻りました。ところがツアーが出発する門に鍵がかかっているではないですか!焦るけれど、係の人が来るまで出られません。数分待ってようやく新しいガイドツアーが入ってきて、チョット待って!とようやく外へ脱出。1時間くらい待ってと言っていたので、もうタクシーは帰っちゃたかとドキドキ。。。でも、待っていてくれました。お金も払っていないものね~。2時間半で100eur。

夕食はホテルお勧めの近くのレストランへ。ここはカタルーニャ風の薪のグリルの店。前菜をパン・デ・トマト(ハムがどっさり)主菜を海老のグリルにしました。味はまあまあ。

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さて、明日は初訪問のカルカッソンヌです。


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コメント 2

tina

いい旅をなさっていますね。
「路上の人」私も読みました。
イタリア語のクラスで読書感想文を出せというのでこの本を取り上げたら、イタリア人の先生から、日本人がこういうテーマで小説を書くなんて不思議だとコメントされたのを思い出します。
トゥールーズのガイドはカタリ派のことを全然説明しませんでしたが、ちょっとたずねたら喜んで説明してくれましたっけ。
by tina (2011-08-20 14:06) 

alice

「路上の人」、3年ほど前tinaさんに紹介されたと記憶してますが、内容はもう忘却の彼方(汗)

カタリ派のことを知ったのは13年ほど前に初めて行ったコンクででした。トゥルーズでも市庁舎に大きなカタリ派の大虐殺図がありました。今回行ったミネルヴォワ周辺は最後まで改宗しなかった地域ではなかったかしら?それも昔昔の物語・・・今はカタリ派も取り込まれた観光地になりました。
by alice (2011-08-21 01:26) 

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