2011年 秋の旅(14続) ローマ [2011秋ウィーンとイタリアあちこち巡る旅]
続きです。
↓ サンタンジェロ広場からViale Romaローマ通りに少し下がったところにあるバス停。バス会社COTRALの表示も時間表も貼ってないので、分かるはずがないわよ!
それでも5分遅れただけのバス13:45に乗ってパロンバーラ・サビーナへ。乗客は私独り。運転手さんは愛想の良い方で、日本は大好きだと言ってくれました。Kikukoさんに教えていただいたバス停サンタ・マリアで降車14:20頃。google earthで調べたVia Palombareseはサンタマリア教会の右に延びる坂道を下ります。肝心のサン・ジョバンニ・イン・アルジェンテッラ教会の正確な場所は掴めないままでしたが、Via Palombarese沿いにあることと、バス停から2K(徒歩30分)、土、日の16:00オープンということは分かっていましたが・・・。
→ 右に丘の上のパロンバーラ・サビーナの町。このとき少し雨雲が見えましたが、再び晴れてきました。
↓ ざくろやオリーブの樹が道端に
1Kほど歩いたところで、アグリツーリズムの看板が見えました。Kikukoさんは今日ローマから来られるのですが、バスが私より早い時間なので、すでにサン・ジョバンニ・イン・アルジェンテッラ教会に来ているはずです。もしかすると4時のオープンまでここで時間を潰されているかもと思い、
↓ 坂を昇って100Mほどのアグリに行ってみました。
↓ 日曜日なので家族ずれで賑わっていました。ロバと遊ぶ子供たち
レストランも満席ですが、Kikukoさんは見当たりません。コーヒーを若いカメリエーレに頼んで、ついでに教会の詳しい場所を尋ねました。ところが、そこは遠くて歩いてはいけない処だし、僕も実際に行ったことがないので、詳しい行き方は分からないと言います。途方にくれて、外に立ってましたら、気の毒に思ったのでしょう。コーヒーを持ってきてくれて、お代はいいとサービスしてくれました。大勢のお客さんが居て、てんてこ舞いをしていたのに、優しい青年です。タクシーも頼んでくれましたが、日曜なのできてもらえません。そこへここのご主人が2階から降りてきました。偶然なのか、話が聞こえたのか分かりませんが、下の道に戻って10分ほどいくと○○があるから、歩いて行けるよと教えてくださって・・・嬉しくて涙が出そうになりました。お礼を言ってもとのVia Palombareseに戻り、教会が開くまでは時間があるから焦らないようにと自分に言い聞かせ、ゆっくり歩いて行きました。
↓ 数分のところにあった、古い看板。abbazia di s.gio ・・・の文字が書かれていて
↓ また数分歩くと二股道路の分かれ道に看板がありました。アグリのご主人が言っていたのはこの看板だったようで、左へ。
坂を上ったところがまた左右に分かれた道。左にレジデンス・アルジェンテッラ、右は何の説明もありません。迷いましたが、レジデンスはアパートだから教会の近くにそういうものはないだろうと推測して右へ。ところが左右は敷地の広い住宅が続くだけの細い道です。Via Palombareseの表示もありません。レジデンスのほうだったのか?と引き返そうとしたとき、二人乗りのオートバイが走ってきました。ストップ~!幸い地元の人だったので、この道をまっすぐ坂を降りてまた登ったところが教会とのことでした。グラッツエ・ミーレ!走り去っていくおふたりさんに手を合わせたいほど感謝でした。
途中アグリで時間を費やしたとはいえ、サンタ・マリアのバス停から歩き出して1時間後15:20頃、ようやく山道の先にそれらしき建物が見えてきました。門の前に数人の人影・・・そのなかにKikukoさんの姿があり、私に気がついて手を振っています。感激のご対面~!!!
Kikukoさんが3時前に着いたところ、イタリア人たちも見えて管理人さんに交渉して、時間前に開けてもらったとのことです。すでに見学も済ませて待ってくれていたのです。早速私も中へ。
↓ 教会の前景。小さくて見えませんが、上部の壁画は「授乳の聖母」。
↓ 教会の中から。葡萄棚のアプローチが素敵です。あらっ!可愛い子猫も私を歓迎?
San Giovanni in Argentellaサン・ジョバンニ・イン・アルジェンテッラ教会 8世紀に創建された説もありますが、資料では確認できていません。途中の看板にabbaziaとあったように10世紀末からベネディクト派の修道院が所有していたという記録があるようです。ここの教会を初めて知ったのは朝日カルチャーセンターのロマネスク講座(池田健二先生)ででした。2009年春に出版された池田先生の『イタリア・ロマネスクへの旅』(中公新書)にもラツィオ地方の代表的な教会として紹介されています。オペラとロマネスク巡りの先輩のkikukoさんがまだ未訪問ということで、今回ご一緒させていただきました。
↓ ナルテックスの天井部分。粗い石の風合いがロマネスク初期の趣。
↓ 三廊式のバジリカは古代風。この時間を超越したような空間に佇むとここまで辿ってきた苦労も報われるとの想いがひしひし・・・。
↓ 壁画(14世紀)/ 聖人が手に持つ白い球は何?
↓ 右側廊奥の小後陣。障壁で区切られています。
↓ 柱頭彫刻
↓ 主後陣の聖体用祭壇(8世紀)/写真でははっきり見えませんが、組紐模様の装飾。
↓ 左側廊手前の階段を上ると、狭いバルコン(聖歌隊席?)があります。
↓ 上階から撮影
狭いクリプトも見せていただいて(暗くて写真は×)、外へ。
↓ 北側面から見た鐘塔
↓ 後陣外観。夕日が鐘塔にさしてきらっと輝いていました。
さて、これからのバス停までの帰り道が大変です。坂道が登りになるので・・・。すると、思いがけなく管理人の若い青年が、今帰るのならパロンバーラの始発バスターミナルまで車で送ってあげると、有り難いお申し出です。嬉しくて飛び上がりそうになりました。そして車だと数分のバスターミナルまで送っていただきました。本当に助かりました。
このご親切は一生忘れられないわねとkikukoさんと、バスの時間まで近くのバールでお茶とトイレタイム。バスは17:10頃発車し、すっかり暗くなった夜道をローマへひた走り、終点で地下鉄に乗り換え、テルミネ駅のホテルに戻りました。
↓ 通常は3000歩も歩かない生活ですが、この日は20.000歩は軽く越していたようです。
夕食はホテルで昨夜と同じTrattoria CECIOを予約してもらって、丁度お誕生日だったKikukoさんと晩餐。アンティパストは野菜のグリル、セコンドはコッツアとフンギのパスタ。お勧めのここのにわとりさんマークの赤ワインで、今日のおばば二人のロマネスク探訪(苦行バージョン)に乾杯!!!
2011年 秋の旅(15) ローマ [2011秋ウィーンとイタリアあちこち巡る旅]
11/7(月)
UNA HOTELは新しいホテルですが、あまり暖房の効きが良くなくて、今日も寒さで目が覚めました。イタリアは国民投票でNO原発を選択したので、ホテルも室温設定を低く抑えているのかもしれませんが・・・朝食室は暖かく、カフェ・コン・ラッテもポットでサービスされ、フルーツも美味。日本人の姿もちらほら。
昨日の奇跡的な晴れの日が嘘のような・・・朝から雨のローマ。テルミネ駅を10:20発の列車でアナーニFS駅11:25着。今日は私鉄バスのストライキがあるという情報だったので、駅を降りてチェントロ行きの中型バスが待っているの見て、安堵。
↓ 左の茶色にグリーンの庇の建物に新しいバールができていて、ここで切符を購入。発車時間を確かめましたら、そこに運転手さんが待っているから、大丈夫よとマダム。
優しそうな運転手さんが座って、にこにこお茶していました。
11:45発で、山の上のアナーニ旧市街へは15分くらいかかりました。運転手さんに教えられたとおりの道を進み、
↓ 病院から右手に折れるとサンタ・マリアの門。
↓ ここをくぐると、大聖堂の広場に出ます。
車だけは何台も停まっていますが、人影はなく、観光客らしき人は下の傘を差している中国人二人と私だけ。広場に面したカフェなどもすべてクローズ。右手の建物に(i)があり、入ってみました。大聖堂は昼休みがあるとの情報だったので、確認して見ましたら、今日は1時まで開いているとのこと、ギリギリで見学。
大聖堂に入って、右側廊からの建物内(一部博物館)右奥にチケット売り場があり、早速クリプト(サンタ・マリア)へ。鍵を開けてもらい、階段を降りていきました。
↓ 三廊式の内部。奥に大小3つの後陣。ほぼすべての天井、壁面にほどこされたフレスコ画はゴージャス!床はもちろんコズマーティ(1231年)
小さな案内板にはそれぞれの制作年代が書かれています(1231年~55年)。制作を手がけたベネディクト派の画家グループはいくつかに分かれて仕事をしたようです。
↓ 階段下の入り口から、ノー・フラッシュですがカメラOKでした。
中央身廊天井の天使たち(茶、灰、白のシックな配色)
↓ 神の子羊
↓ 後陣右祭室の左側部分。聖人たち。
↓ この天井画の天使たちは悪戯っ子天使たちを懲らしめています。
↓ 上の一部分
↓ 中央後陣祭室。半円蓋に神の子羊、4福音書記者のシンボル、杯を掲げる24人の長老たち。下の壁面に聖マーニョの物語
↓ 上の左部分、簡素な司教座。
↓ 左後陣は一番古く13世紀前半のもの。玉座の聖母子と下は聖セコンディナの物語。
↓ このクリプトで一番知られているのがこの「Il Posto de'll Uomo nel Cosmo」宇宙のなかに位置する男とでも訳すればよいのでしょうか?正解は「宇宙の中の人間の位置」
↓ その「宇宙の中の人間の位置」の下部にこれまた名高い「ヒポクラテスとガレノスの科学教義」が描かれています。
イタリア語の参考書「ROMA e LAZIO IL ROMANICO」の表紙を飾るこの神秘的な美しさの天井画をぼーっと仰ぎ見ていました。すると、電気が消えて真っ暗・・・。見学は時間制になっていることを知りませんでした。全然時間は足りませんが、もう昼休みですから延長してもらうこともできません。
終わったことを告げて、係員に勧められるままに博物館(ここも鍵を開けてくれます)も見学。
↓ リモージュの七宝焼きの聖遺物箱
時間は過ぎていましたが、最後にアナーニ大聖堂の内部を見て終了。
もとはアクロポリスのあった場所に1072~1104に建築され13世紀にゴシック様式に改築。コズマ風の床面の広がる三廊式の明るい空間。
↓ 内陣障壁に囲まれた祭室
↓ ファサード
↓ 中央扉口
↓ 大聖堂の前には独立した鐘楼(12世紀)が建っています。
↓ 大聖堂近くにあるボニファキウス8世の館(13世紀建造)。13世紀にアナーニ出身の教皇が3人も出たという歴史がある街の資料、考古学コレクションなど展示されているのですが、ここも生憎昼休みでした。
↓ なかなかランチをする場所が見つかりません。ようやく見つけた大きなレストランは、客は私独り。
↓ ワインの辛口セッコとくるみのパンであらかたお腹が一杯になり
↓ パスタはお勧めの魚介のパッパデッレ
↓ ピスタッチオとチーズの凝ったデザート
美味しいランチを済ませ、若いお給仕さんとマダムにブォン・ビアッジョ!と送られて、バス停へ。先ほど降車するときに、言われた「ここで待ってるんだよ!」という意味が分かりませんでした。道路の向かい側のバス停で待っていますと、時間前にバスが来て停まり、来たときに乗った運転手さんが、あっちで待っててと言って、行ってしまいました。よくよく考えたら循環バスだったので、降車と乗車は同じバス停でOKだったのです。10分ほどでまた戻ってきたバス(15:00)に乗って駅へ。この線のナポリやカッシーノからの列車も多いので、アナーニ15:43発ローマ着16:46で、予定より早くローマに戻れました。
Kikukoさんと約束した夕食の時間になっても、少しも空腹感がなく困ってしまいました。早めにホテルをでて、お散歩してみましたが、食欲ゼロ。そのうち時間になりKikukoさんのホテルへ。するとロビー横にあるバールで、ハッピーアワーをしています。ここで軽くワインを飲みながらおつまみをつまんで、おしゃべりすることにしました。私が昼に食べ過ぎて、美味しい夕食ができなくて残念でしたが、気兼ねなく楽しい時間を過ごせました。ありがとうございました。万感の思いを胸にお別れしました。
2011年 秋の旅(16) ローマ~ミラノ [2011秋ウィーンとイタリアあちこち巡る旅]
11/8(火) ローマ15:00→ミラノ17:59(FS)
ローマ最後の日。午後からの移動に備えて、荷物の整理をしてチェックアウト。クィリナーレ広場に面したScuderie del Quirunaleでの展覧会へ。地下鉄A線でBarberiniまで行き、15分ほど歩いたのですが、後からよくよく地図を見れば、ホテルから歩いても20分くらいでした。
↓ 地下鉄からバルベリーニ宮の美術館の前の坂道を登り、
↓ 4つの噴水の交差点。晴天で気温も20度以上に上がり、コートも要らないくらい。
広大なクィリナーレ宮を右手に、300Mくらいの
↓突き当りがクィリナーレ広場
↓ Scuderie del Quirunale 内部は近代的な展示場
↓ 簡単なパンフレット 「Filippino Lippi e Botticelli nella Firenze del '400」 カメラ禁止。
Filippino Lippiフィリッピーノ・リッピの名前がBotticelli より先になっているのは主にフィリッピーノ・リッピに光を当てた展覧会ということで、80%までが彼の作品で占められています。1400年代のフィレンツェで活躍したとはいえ、偉大なる父フィリッポ・リッピや師ボッティチェッリの影に隠れた存在であることは否めません。しかし、父や師の影響を受けながらも、才能豊かであったことは確かです。父の甘美さから抜け出し、陰影に富んだ作品はマニエリスムの先駆者として評価されています。
フィリッピーノ・リッピを初めて知ったのは、塔の町サン・ジャミニャーノの「受胎告知」でした。トンド円形の対画に描かれた聖母が疲れた表情。他の可憐清純なマリアとは違っていて、驚いたのでした。
↓その時(1991.5)に買い求めた絵葉書。「受胎告知の聖母」1483-84 直径110cm
↓ 代表作のミネルヴァ聖堂(ローマ)の壁画は展示されていませんでした。これも好きな作品なので、訪問した1998.3に購入した絵葉書です。「受胎告知」カラファ礼拝堂 1488-92
父フィリッポやボッティチェリを含めて、フィレンツェはもちろんのこと、トリノ、エジンバラやワシントンDC からも集められた作品。いくつかは観たものもあり、ここで再見できるとは!懐かしく、嬉しい時間でした。
↓ 会場から展望
ホテルの近くで遅い昼食。以前入ったことのある地元のお客さんの多い庶民的なトラットリアで。
↓ ブッフェ形式の前菜。種類も多く
↓ コッツアのリゾットの味もまあまあ
それに近隣の観光客向けのお店に比べると断然お安い!ホテルに戻り荷物を受け取り予定通りの超特急に乗ってミラノへ。今夜は明日の長い帰途にそなえて、休息だけ。外出も面倒になり、ホテルのバールで軽く食事をとり、ローマと違って暖房も効いた部屋で、ぐっすり眠れました。
↓ 今回の旅でこのホテルには3回泊まりましたが、一番広く中央駅に面した明るい部屋。
2011年 秋の旅(17・18・19)帰国&東京 [2011秋ウィーンとイタリアあちこち巡る旅]
11/9(水) ミラノ14:35→
↓ ミラノのホテルから見える中央駅、帰国の日は朝から晴れました。秋とはいえ陽の落ちるのも早い晩秋から初冬と言ってもよい季節の今回の旅でした。
11時過ぎにチェックアウト。上の写真にも写っているマルペンサ空港行きのシャトルバスに乗車。アリタリアのラウンジ受付でWiFiのIDをもらって、iPadで搭乗時間までネットをして過ごしました。
同じくらいの長旅で、ドイツや北イタリアも回られたわに子さんと搭乗口で再会。お互いに疲れたけれど元気に帰国できそうです。同じ趣味仲間のいるシアワセを噛みしめ、感謝しつつ機内へ。
↓アンティパスト/アンチョビの香草入りパン粉焼きほか
↓ プリモ/パスタ<カラマラータ>ほか
↓ セコンド/子羊の煮込み、ズッキーニの詰め物など
デザートはフルーツ。帰りの便の食事のほうが美味しかったのは、やはり地元の食材が良いからなのでしょうね。
疲れている割りにあまり熟睡できなかったので、朝食は軽めに
11/10(木) →成田10:40・・・渋谷13:00頃
東急エクセルホテル渋谷 1泊
↓ 成田には定時に到着。スーツケースは宅配便に頼んで、東京後泊の1泊分を持ち渋谷のホテルへ。まだチェックインの時間前で部屋には入れず、荷物を預け、遅めのランチはマークシティの寿司屋で。かなり繁盛していて、いつも行列ができている店なので、今回が初めての入店でした。感想はやはり北海道のほうが美味しい・・・。
↓ 久しぶりに泊まった東急エクセルの部屋。
仮眠の後はNHKホールのコンサートへ。
NHK音楽祭/シドニー交響楽団、アシュケナージ指揮、キーシン(ピアノ)19:00~
ショパン/ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11
ラフマニノフ/交響曲 第2番 ホ短調 作品27
解説によるとキーシンは日本デビュー25周年であり、コンチェルトは22年ぶりとのこと。長女と同じ年齢の40歳になるキーシンを初めて聴いたのは札幌の厚生年金会館で、彼は17歳くらいだったと記憶しています。その後はザルツブルグも含めて、今回が4回目。テクニックはもちろんのこと、そのストイックなまでの集中度に引き込まれました。演奏にも円熟味がまして、若くして巨匠の域に達しています。抜群の才能のうえにたゆまない努力、そして初めて本物の天才になるというそのプロセスを、実演奏で(機会は少なかったけれど)接することができて、幸運だったと思います。次回は1月のパリ・シャンゼリゼ劇場(アリゲリッチとの)で聴けるはずでしたが、旅程が決まらず迷っているうちにチケットはソールド・アウトになっていました(涙)
帰途はやはり疲労感が強く、歩く足元が雲に乗っているような・・・ふらつきながらホテルに戻って、食欲もなくベットヘ。そして夜中に下痢が始まりました。
11/11(金) 羽田(5時頃)→千歳(6時半頃)
なんどもトイレに通い、ほとんど眠れないまま、朝になりました。今日は浅草の平成中村座で観劇予定なのです。なんとしても治まってもらわなければとの願いも空しく・・・ベットから起きられません。昨日、疲れているのに生ものを食べた私が迂闊でした。お寿司自体が悪かったわけではないと思います。
チェックアウト時間になり、ホテルのフロントに電話。訳を言って、3時まで延長してもらいました。ついでに下痢止めの薬を頼んだのですが、薬事法の関係で薬は常備してないとのこと。今はどこもそうなのでしょうか?いつも持ち歩いている整腸剤をあと1泊だからと、スーツケースに入れて送ってしまったのです(泣)
なんとか2時過ぎにはやや元気がでて、身支度して、チェックアウト。ホテルのロビー階から出るリムジンバスで羽田へ。
帰りの飛行機はキャンセル待ちで、シニアチケットを利用しました。帰りの便は遅くなることも予想されて、予約していなかったので、これは好都合でした。ただし、週末でしたから、ようやく1席確保した状態で、ひやひや。待ち時間には温かいウーロン茶を少しずつ飲みながら水分補給。非常事態でトイレに駆け込む事も無く、何とか帰宅できました。虫垂炎と胆嚢摘出した体なので、消化不良を起こしやすいのですが、疲れが重なるとホントに怖いことになります。このアクシデントで、体重が2Kも減りました。そのことは嬉しかったのですが、それもつかの間。1、2週間で挽回してしまいました(汗)
家人が心配して待っているはずでしたが、少し痩せて若く見えるとか言って笑っているのです。冷たいわ~。娘の用意してくれたお粥(レトルトですが 笑)を食べて、久しぶりの我が家で熟睡・・・終。