2009年早春の旅22(ポルト) [2009春オペラと美術で世界一周]
3/25(水)
Porto-Travanca-Guimaraes-Ferreira-Porto
昨日の疲れもなんのその、朝からジーンズやパジャマの大物の洗濯を終え、元気に出発です。
トラヴァンカ Travanca ポルトの北東、バスで1時間ほどの緑豊かな谷間の町。教会は町外れに建っています。
サン・サルヴァドール教会/10世紀末にイスラムとの戦いで活躍した騎士が王から贈られたこの地に、現在の教会が建てられたのは11世紀末のことでした。
西正面 朝の逆光のため、良く写っていません。扉口は浅い尖頭アーチのヴシュール。柱頭は動物や人間の浮彫で飾られています。最後に撮影しようと思っていましたが、内部見学に時間がとられパス。
聖堂の横にはやはりロマネスク時代の塔が離れて建っています。塔のトップの狭間が要塞のような厳しさ。
塔の東側扉口タンパンに「神の子羊」その3
内部は三廊式で、身廊と側廊の東にそれぞれ大小の後陣。南北の小さな後陣は美しい曲線を描き付け柱の柱頭にはさまざまな凝った意匠の浮き彫りがあります。
浅い尖頭形アーチを戴く大アーケードと木組の天井の簡素な空間、柱頭の多彩な浮き彫りにも魅了されました。内部はフラッシュ禁止なので、写真はほとんどピンボケ。
教会北側の扉口の柱頭彫刻 人魚は内部にも多数ありました。
洗礼盤
後陣外観
ギマランイス Guimaraes 世界遺産に登録。初代ポルトガル国王アルフォンソ・エンリケス生誕の地として知られています。その王が生まれた城や洗礼を受けた礼拝堂、ロマネスク様式の回廊が残る美術館などを見学。
サン・ミゲル教会/旧市街に近い小高い丘の上に建つ城砦の入り口に建つ簡素な小教会。12世紀末のロマネスク建築のようです。
身廊と内陣は大小の長方形をなす構成。外壁の花崗岩が丁寧な仕上げで美しい。装飾は内部ともに少なく、扉口の尖頭方アーチがロマネスク末期の建設であることを示しています。
内部は木組天井を戴き、床の大きな敷石は王家に縁のある諸人物の墓石です。
←付近に咲いていた金鎖の花木
ギラマンイス城/10世紀にMUMADONA伯妃の注文で建設され、初代国王アルフォンソ・エンリケス(1110~1185)はこの城で生まれたそうです。12世紀と13世紀に改築。
今日はとても良い天気の遠足日和。幼稚園の子供たちも暑そう。
さすがに古い歴史を持つ町です。狭い通りの両側に14~15世紀の建物が並び、その一画のレストランに入ります。
写真の鶏肉の揚げたもの?のほかは何を食べたのか思い出せません。
ランチの後は町の散策をしながら美術館へ。
1342年にムーア軍に勝利した記念に造られたというアーチ
アルベルト・サンパイオ美術館/ノッサ・セニョーラ・ダ・オリべイラ教会(隣接)の修道院部分を利用した美術館。13世紀ロマネスクの様式の回廊と内側に展示室が並んでいます。展示されていた宝物箱に「神の子羊」その4があったようです。観たはずなのですが記憶にないため、情報をいただいた同行の方の写真をお借りしました。ありがとうございます!!
フェレイラ Ferreira ギラマンエスとポルトの中間にある田園風景の美しい村に教会が建っています。
聖ペドロ教会/創建当時の記録はありませんが、1281年にはアウグスティノ派の修道院教会でした。教会の建築はその様式から12世紀後半のものと推定されます。
正面には低い壁に囲まれたアトリウムと入り口アーチの右に壁状の鐘塔が設けられています。単身廊と内陣と半円形の後陣からなるシンプルなプラン。
南扉口、尖頭アーチのヴシュールにタンパンの装飾は残っていません。側柱には簡素な植物文様など。
内部は簡素な身廊に装飾豊かな内陣と後陣が見えます。後陣は上下二段に別れ、下段に深いニッチ、上段には小円柱と柱頭で飾られた小アーケードが並んでいます。復活祭が近いので紫色の旗が飾られていました。
後陣外観 少し小高くなっている裏の駐車場から撮影しました。
西正面扉口は5重の多弁形アーチの縁取り。側柱の柱頭の彫刻は複雑な動植物や組紐文様。
ポルトには順調に戻りましたので、一昨日眺めた対岸のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアへ寄り道。ここにはワイナリーが並んでいます。黒いマントがひときわ目立つサンデマンで、ポートワインの試飲やショッピング。
ほろ酔いでホテルへ帰り、夕食はドウロ川に面した歴史地区の路地の海鮮レストランへ。カメラを忘れて、画像がありませんが、烏賊や蛸のフリットや海老などの入ったシーフードリゾットなど美味でした。
3泊したポルトのホテルとも明日はお別れです。荷物の整理をして就寝。この後は連泊がないので、荷物はあまり広げないようにしなければ・・・。
2009年早春の旅23(ポルト→ヴィアナ・ド・カステロ) [2009春オペラと美術で世界一周]
3/26(木)
Porto-Rio Mau-Rates-Braga-S.Frutuoso de Montelios-Bravaes-Viana do Castelo
Posada do Monte de Santa Luzia 1泊
リオ マウ Rio Mau ポルトから北へ30分ほど走った小さな村に教会が建っています。
サン・クリストヴァン教会/7世紀にはすでにここに教会があったことを示す碑文が残っています。現在の教会は12世紀後半に建設が始められ、13世紀初頭には完成。外壁の色は焦げ茶のような深い色合いが印象的。大きめな花崗岩の石積も綺麗です。単身廊と内陣は大小の方形で構成されています。
正面扉口のタンパンには中央に杖を持っている司教と両脇には書物を持つ助祭。その両脇に月(男?)と太陽(鳥)が控えています。
簡素なヴシュールに続く柱頭には古風でシンプルな彫刻。
正面裏側内部にもタンパンがあり、良く見ると「神の子羊」その5が・・・。
南扉口
北扉口 タンパンには争う二匹の怪物(キマイラとライオン?)その側柱の柱頭にも奇怪な動物たちの姿。
内陣の屋根には司教が動物を足元に立つ像
内部は内陣の入り口を飾る半円アーチの周辺にバイオリンを弾く男。その他不思議な柱頭彫刻が多く見飽きません。具象的なのに主題の不明なものが多いのもここの特徴。
ラテス Rates 上記のリオ マウから数キロの村にポルトガルロマネスクを代表する珠玉のような教会が建っています。
聖ペドロ教会/ポルトガルのレコンキスタの立役者だったポルトカレ伯のアンリはブルゴーニュ出身で、クリニュー修道院長の甥であったことから、このラテスをラ・シャルテ・シュル・ロワールの修道士たちに与えました。現在の教会は12世紀後半の建築。
正面は写真を撮り忘れNetから拝借。小さな薔薇窓の下に堂々とした扉口。
正面扉口五重のヴシュールにタンパンは「キリストの変容」。中央にマンドラに囲まれたキリスト、両脇にはエリヤとモーセがいて、足元には二人の使徒たちがひれ伏しています。底辺部には蛇。
南扉口には「神の子羊」その6のタンパン。多弁アーチに囲まれ、両サイドに四福音書記者の象徴が配されています。右の天使が可愛いでしょ。しかし、その下には怪物が人?を銜えています。
このタンパンの底面には怪物がリボンを吐き出しています。この扉口の内部側にも生々しい蛇が横長に彫られています。このようなくねくね文様はアイルランドのハイクロスに見られるとか。
北扉口
内部の正面裏側に「神の子羊」その7が薄く刻まれています。
身廊の大アーケードのアーチや柱頭の彫刻は見事です。特に入り口入って左側のふたつのアーチは彫りも細かく、天使や怪物が連なる様子に感嘆。上部は貸していただいた双眼鏡で確認できましたが、写真には写らなくて断念。
内部の柱頭彫刻
北側外観
後陣外観 南側一部は工事中
続きます
2009年早春の旅23続編(ポルト→ヴィアナ・ド・カステロ) [2009春オペラと美術で世界一周]
ポルトの北は見所満載のロマネスク教会が多いので、2度に分けてアップします。
ブラガ Braga ドウロ川流域と北のスペイン国境を流れるミーニョ川に挟まれた地域をミーニョ地方と呼びます。その中心都市がここブラガです。起源はローマ時代にさかのぼり、12世紀の初めにポルトカレ伯アンリがここに大司教座を設置。宗教都市として発展。
そのカテドラルの近くのレストランでランチ。イースターが近いので色を塗ったゆで卵。前菜のスープはポルトガルの名物ちりめんキャベツ入りのカルド・ヴェルデ、何度かでてきました。そして、肉料理とデザート。
ブラガ大聖堂/現在の大聖堂はゴシックとバロックの外観を見せていますが、ロマネスクの土台部分も見られます。初代国王の父エンリケ伯爵とその妻テレーザによって12世紀に建立。元は4世紀にムーア人によって破壊されたサンタ・マリア教会の跡地。16世紀に大規模な増改築。
その16世紀には国王にも勝る権力を持った大司教がいたそうです。その城のような大司教館を左手に進むと大聖堂の北側の入り口があります。
ガラス張りで保護されたゴシックの回廊にはロマネスクの柱頭彫刻も展示されていますが、撮影は不可。宝物室の見学の後は教会へ。ここは撮影可能かと勝手に思いこみ、有名なマヌエル様式の洗礼盤を撮影してしまいました。ごめんなさい。しかし、教会内部の撮影禁止はあまり経験がありません。こういうところにも昔の権勢を誇ったご威光が残っているのでしょう。
西扉口のタンパンの飾りアーチ ここにも怪物が人間?を飲み込んでいく恐ろしくもミステリアスな連環、そして狐や鳥など。
サン・フルトゥオーゾ・デ・モンテリオス教会/ブラガ郊外に建つサン・フランシスコ教会の敷地に隣接して、小さな教会が建っています。7世紀のブラガ司教聖フルトゥオーゾに捧げられた西ゴート時代の建築です。当時異端とされたアリウス派の多かった西ゴート族を正統派のアタナシウス派に改宗させたのがこの聖フルトゥオーゾなのです。この聖人の霊廟として建てられた教会は左のサン・フランシスコ教会から入ります
ギリシア十字の平面を持つ集中式の小教会
外壁には頂上部が半円や三角になった小アーケードの列。交差部にも低い塔がのり、その塔の軒下を飾るアーチは馬蹄形になっています。
内部は暗く湿っぽいけれど、神秘的で厳かな空間です。正式な入り口から眺めますと、奥と左右の三つの祭室があり、馬蹄形のアーケードでそれぞれが仕切られているのが分かります。
ここからノゲイラに向かうはずでしたが、計画を変更して明日の朝の訪問予定だったブラヴァエスへ。西日の当たる扉口見学&撮影のためです。
ブラヴァエス Bravaes ヴィアナ・デ・カステロからリマ川に沿って35km遡った村。ここの道路沿いに教会が建っています。
サン・サルヴァドール教会/1080年にカスティーリャの王族がここに修道院を創建。工事は1125年に始まりましたが、13世紀に入ってようやく完成。
単身廊と内陣は方形の単純な構成。
内部は内陣へのアーチの装飾が必見です。望遠カメラで撮影の同行の方に覗かせていただきました。人間?を飲み込もうとしている怪物の目の凄さ、口に赤い塗料が残っていて、とてもリアルで驚愕でした。
上の写真のアーチ中央の怪物たち。画像は↓NETから拝借しました。赤い塗料は当初は全体に塗られていたようです。
ここの一番の見所は西正面の扉口 カメラの調子が悪く(翌日は直りました)、致し方なくi phoneで撮影。五重のヴシュールにタンパンは荘厳のキリストと天使。
さらに注目させられたのは側柱左右8本と柱頭、このダイナミックな表現はポルトガルロマネスクのなかでも圧巻のものではないでしょうか。
南扉口には「神の子羊」その8、十字架を支えるために曲げた足が可愛いです。
北扉口 タンパンには二匹の向かい合う動物と十字架
さて、夕暮れになってヴィアナ・デ・カステロのホテルに到着。大西洋を望む山の頂上に建っています。初めて泊まるポウサーダ(国営ホテル)ですが、意外に近代的なインテリア。
夕食はここポウサーダのレストランで。ポタージュスープ、白身魚のフライと味付けライス添え、焼きりんご。美味しくいただきました。
2009年早春の旅24(ヴィアナ・ド・カステロ→オレンセ) [2009春オペラと美術で世界一周]
3/27(金)
長旅も残すところ10日足らず、大詰めを迎えました。今日でポルトガルとはお別れ、国境を越えてスペインのガルシア地方に入ります。
Viana do Castelo-Nogueira-Sta.Comba de Bande-Celanova-Mezquita-Ourense
グランホテル・サン・マルティン 1泊
ノゲイラ Nogueira ヴィアナ・ド・カステロから北東へ10分ほど走った丘の上の集落。バスが入れないほど狭い道を5分くらい教会まで歩きます。
サン・クラウディオ教会/古い記録によりますと、4世紀にはこの地にポルトガルでは最古の修道院のひとつとして創建されたようです。異端とされたアリウス派のスエヴィ族をアタナシウス派に改宗する目的があったからです。8世紀にはイスラムの侵入により破壊され、レコンキスタの後に再建されました。12世紀後半の建築と見られています。
大小の方形が身廊と内陣をなす単純な構成で、正面は切妻形で頂上には壁式鐘塔、中央の扉口は四重のヴシュールにタンパンはマルタの十字架の透かし彫り。昨年ジェノヴァのサン・ドナート教会のタンパンで同じようなものを観た記憶があり、帰国後調べてみました。マルタ十字架よりは線が多く、小さな薔薇窓のような透かし彫りでした。
内部は内陣の入り口のアーチの浮彫と柱頭彫刻に注目です。
下の写真は光線の関係でまるで黄金の蛇!
軒の持ち送りも摩訶不思議な動物や人間が並んでいます。
国境は検問所も閉ざされ、バスは止まることもなく次の目的地に向けてひた走ります。国境付近は岩山の目立つ台地にエリカとエニシダが密生して咲いています。この時期に来て良かったとしみじみ思いながら車窓の景色を愛でました。ガリシアの地に入りますと、緑が豊かになり、湖も見え隠れする景色に変わってきます。
ここでも行程の変更がありました。開館時間の関係で先にセラノバの見学をすることになりました。
セラノバ Celanova ポルトガルからサンティアゴに向かう街道沿いの町。巡礼の立ち寄る宿場町としても栄えたようです。写真は大きな修道院の前の広場です。
セラノバ修道院/937年にサント・ロゼンドによって建てられ(モンドニェドの司教)、その後の改築でゴシックやバロックのスタイルになりました。ガイドブックによりますと16世紀の素晴らしい回廊があるとのことですが、まったく記憶に残っていませんし、写真もありません。バロックなのでパスした可能性も・・・。
聖ミカエル礼拝堂/回廊裏の敷地にポツンと建っているのが10世紀モサラベ様式の小さなチャペルです。スペインのプレ・ロマネスクのなかでも保存状態が良いので知られています。
写真の手前の方形の祭室に小さな入り口があります。中央の身廊部分の奥に小さな方形の祭室が続いています。10人も入ればいっぱいになる小建築ですから2グループに分かれて見学しました。
入り口上部の石版
入り口の祭室から馬蹄形アーチの連なりを観ます。
中央の身廊の天井は撮る角度によって色が違います。
奥の祭室側からの外観 馬蹄形の窓。
軒飾りの花模様が敷地に咲くディジーと共に清楚可憐な雰囲気を漂わせていました。
修道院の広場から少し通りを入った庶民的なレストランでランチ。ここは肝っ玉母さんのようなシェフが居て、美味しいものをつくリ、サービスしてくれました。残すととても残念そうな顔になるので、食べ切れなかったデザートはこっそり持ち帰りました。翌日車中のおやつにいただきましたが、味も変わらずとても美味でした。
ワインはピッチャーに大き目の盃で。野菜スープ、海鮮パエリア、スポンジケーキ。
サンタ・コンバ・デ・バンデ Santa Comba de Bande さきほど来た道を30分ほど戻ります。遠くに湖を望む丘の上の集落に小さな教会が建っています。
サンタ・コンバ・デ・バンデ教会/7世紀に西ゴート様式で建設。イスラム時代には荒廃しましたがレコンキスタを進めるアルフォンソ3世によって9世紀に復興されました。
ギリシア十字のプランにフラットな後陣。内部は重厚な石壁に馬蹄形アーチが空間を支配しています。天井はその馬蹄形アーチから伸びるレンガ状のヴォールト。
祭室の入り口を飾るアーチを支える二本の柱はローマと西ゴート両時代の様式を伝えるもの。
フレスコ画はいつのものでしょうか?
続きます
2009年早春の旅24続編(ヴィアナ・ド・カステロ→オレンセ) [2009春オペラと美術で世界一周]
3/27(金)
ガリシア地方はポルトガルに比べると北に位置している分、少し寒くなってきました。ガリシアの気候は雨が多いけれど一日中降ることはないとI先生の説明どおり、たまに降られても教会の見学が終わって外にでると晴れていたりで、大層天候に恵まれました。また自慢になりますが、照る照る坊主の天気女のおかげですよ~
メスキータ Mezquita メスキータという地名は昔ここにモスクがあったことに由来するといわれています。オレンセまで車で30分足らずの丘の上の町にガリシア的なロマネスクの教会が建っています。
サン・ペドロ教会/1012年からの記録は残っていますが、現在の教会は12~13世紀初頭に建設されました。
長方形の身廊と半円形の後陣に方形の鐘塔が正面脇に配されたシンプルな構成です。
正面は切妻の断面に扉口上部には薔薇窓とアーケード型の細い窓。扉口の周辺は装飾豊かです。タンパンは十字架、四隅に華文様と中央に「神の子羊」 その9が彫られています。タンパン上の軒蛇腹が扉口の装飾性をより高めています。しばし、ここでの鑑賞に時間を忘れました。
扉口の上に聖ペトロと聖アンナ(下の写真) 窓の両サイドに狼が子羊を捕まえたり、二匹の子狼に授乳する雌狼の彫像。
教会付近で咲いていた花
内部は身廊は木組天井、後陣はリヴつきのヴォールトと半円蓋の端正な空間。
後陣外観 良く観ると身廊の屋根に十字架を背負った羊の姿。「神の子羊」その10です。
オレンセ Orense ミーニョの谷の黄金伝説から名前をつけられたというオレンセは、ローマ時代から温泉が湧くことでも有名でした。スエヴィ族の支配下での繁栄の後は、イスラム時代には衰退。10世紀にはレコンキスタによる復興があり、その後はサンティヤゴ巡礼の宿場町としても賑わいました。Puente Romano(ローマ橋)はローマ時代の橋を基礎に13世紀に再建されました。
オレンセ大聖堂/12~13世紀に建設されましたが、その後の改築のため、ロマネスク、ゴシック、バロックの様式が混在しています。
西正面のナルテックスにサンティアゴの「栄光の門」を模したといわれる「天国の門」があります。
内部はさすが歴史を誇る町の大聖堂。壮大な空間が広がります。
北扉口
後陣外観
大聖堂からホテルまでは町を散策しながら徒歩数分の距離。夕闇が迫ってきました。歩行者天国になっている通りは週末で賑わっていました。街路樹は花蘇芳。
夕食はホテルのレストランで。生ハムとメロン、イカなどのフリット、鶏肉のグリル、デザート。
2009年早春の旅25(オレンセ→ルーゴ) [2009春オペラと美術で世界一周]
3/28(土)
昨日ポルトガル北部からスペイン北西部のガリシア地方に入りました。2日目の今日はオレンセの西のロマネスク教会を巡り、その後は北の大西洋沿岸へ向かって移動して行きます。写真はオレンセのホテル。
旅の前にGoogle earthで訪問予定の教会を確認する作業をしたのですが、オレンセ西の2教会については未発見でした。それほどマイナーな教会なのかも・・・と思うだけでわくわくでした。やはり、ベテランの運転手さんでも道を迷いました。
Ourense-Astureses-Serantes-Ourense-Eire-Boveda-Lugo
グランホテル・ルーゴ1泊
アストゥレセス Astureses 帰国後、もう一度Google earthで確認しました。ミーニョ川の支流の流れる町や村をいくつか越えて、山間の先にある集落にひっそりと教会が佇んでいます。
サン・フリアン教会/12世紀後半の建築で、祭壇には1164年の年号が刻まれています。最初はテンプル騎士団の教会でしたが、ポルトガルのトマールと同様にその豊かな財力に目をつけられたのでしょうか、当時の教皇によりテンプル騎士団は廃止。1319年からは聖ヨハネ騎士団に移りました。
↑長方形の身廊に半円の後陣という単純な構成に正面と側面に太い控え壁が張り出しています。
↓正面扉口の上部に軒蛇腹と頂上部には壁式鐘塔。
正面の扉口は三重のヴシュールに縁取られ、タンパンには族長の十字架と二つの小さなアーチ。アーチの底部はシンプルで抽象的な文様がみられます。
迫石や側柱の柱頭にも同様に抽象化された動植物が彫られています。
北扉口、タンパンには浅い浮き彫りの三つの十字架。外側ヴシュールのチェッカーボードの模様がシンプルで、写真には写っていませんが、上部のアラバスターの窓も古風です。タンパン下の大きな石のところにも彫刻が施されていたものがあったのでしょう。壊れてしまって今は崩れるのを防ぐために、はめられた感じでした。
後陣の窓。
民家が教会の周りを囲んでいます。庭先の花が朝露にぬれて綺麗に咲き誇っていました。
セランテス Serantes こちらはGoogle earthでも確証が持てません。セランテスという名前の地名はもちろんのこと、I先生の資料にあるレイロの村はずれに孤立するという場所も、現地でいただいた地図もたよりに捜索したのですが・・・ギブアップ。
サント・トメ教会/教会は12世紀末の建築で、裏には墓地がありますが、周りには壁式のお墓のマンションがいくつか建っています。ロマネスクに求められる古い静かな趣には欠けていますが、コルネリア山の麓の小さな集落を抜けると深い林が広がっていました。
長方形の身廊と内陣、半円形の後陣の構成です。正面扉口の南の鐘塔は増築されたもののようです。正面は切妻の形状に薔薇窓と扉口の間に軒蛇腹が設けられて、装飾豊かで、魅力的な彫刻の数々に魅了されました。
タンパンは鳥と人物が寄り添う十字架が浅く彫られています。
正面だけでなく側壁にも軒蛇腹が続き、ユニークで多彩な彫刻に圧倒されました。
小さな南扉口のタンパンにも十字架、こちらの迫石も存在感たっぷり。
内部のバルコニーから鐘塔にも登れます。
後陣外観は裏手の墓地から眺めました。
教会裏手から林のほうへ散歩。ガリシア独自?の穀物倉庫と木々の緑にうっとり。ロマネスクの教会の立地の素晴らしさに触れ、至福の時間をすごしました。
続きます
2009年早春の旅25続編(オレンセ→ルーゴ) [2009春オペラと美術で世界一周]
3/28(土)
地方色豊かな共通点はあるにしても、それぞれが個性的な2教会を後にバスはオレンセに昼食のために立ち寄りました。この時のランチの写真がないため、どんなところで何をいただいたのか、記憶からすっぽり抜けております。記憶にないということは、それほど珍しいものでも、美味なものでもなかったということですが、やはり写真は大事ですね。
エイレ Eire オレンセからミーニョ川に沿って北へ40分ほど走り、国道から脇道にそれて、まもなく丘の上の小さな村に到着です。駐車場の広場から少し下がったところに教会は建っています。
サン・ミゲル教会/12世紀に建設されましたが、古い記録は残っていないようです。しかし、ガリシア・ロマネスクとしては価値の高い教会として知られています。
バスを降りる頃に急に雨が降ってきました。傘を差してカメラを構えたのはここだけですが、10分もすると止みました。下の写真は見学を終えて帰るときのものです。
ひとつの長方形に身廊と内陣があり、内陣部分の上に方形の低い塔を戴き、後陣は半円形です。
まず、後陣外観を周ってみました。すぐ近くの農家の鶏がお散歩中です。慣れているのか、近づいても逃げません。
正面は切妻の形に窓と小さな扉口だけとさりげない風情ですが、北の扉口は豊かな装飾が見られます。ヴシュールの華文様の中央に「神の子羊」その11が彫られています。
カメラアングルによって羊さんの表情も変わります。体の羊毛の感じや足もくにゃっと愛らしく、ぬいぐるみのよう。
迫石など周辺の彫刻も見ごたえがあります。
内部は塔を支える太いアーケードで仕切られ、西半分は木組み天井でバルコニーも設けられています。
洗礼盤や壁にはめ込まれたアヒメスも見逃せません。
教会南側からの眺め、ロバがのんびり草を食み、アーモンドの花と菜の花畑が広がるのどかな風景です。
バスに乗る頃は晴れ間が広がってきました。
バスは北のルーゴを目指して1時間半以上走り、古代の地下の聖域があるというボヴェーダに寄り道しました。しかし、鍵を持った管理人さんが現れず、6時になって時間切れ・・・やむなく見学を断念してまた1時間走り、ようやくルーゴに到着しました。
そのボヴェーダの村。穀物倉庫の脇から犬が出てきて私たちを見物していました。
夕食はイベリコハムやセラミ、牛胸肉の薄切りローストなど。
2009年早春の旅26(ルーゴ→ア・コルーニャ) [2009春オペラと美術で世界一周]
3/29(日)
Lugo-S.Martin de Mondonedo-Viveiro-Breamo-A Coruna
ルーゴ Lugo この町に到着したのは夕方でした。翌朝も8時半には出発しましたので、何も見学しないまま離れました。お元気な方は城壁まで散歩されたとか・・・。ミーニョ川の左岸にある街で、ローマ時代の城壁(高さ10m長さ2km)を保存していることで 有名です。この町の大聖堂は5世紀からの歴史を持ちますが、ロマネスク時代の聖堂も現在はゴシックやバロックの改増築により変わってしまいました。それで、私たちツアーの見学対象からははずれました。
ルーゴから次の目的地サン・マルティン・デ・モンドニェドまでは長い時間(2時間弱)バスに 揺られます。途中の町(モンド二ェド?)で、お茶&トイレタイム。静かな町の広場に日曜の朝市が立っていました。
サン・マルティン・デ・モンドニェド San Martin de Mondonedo 大西洋沿岸の町フォズの近郊の田園地帯に教会が建っています。
サン・マルティン・デ・モンドニェド教会/起源は6世紀に遡ります。アングル人やサクソン人の侵略を逃れてきたブリトン人がガリシアに移住し、ブリトニア司教区が形成され、この地に司教座が置かれました。しかし、この司教座は1136年のヴァイキングの襲撃を避けて内陸のモンドニェドに移り、ここは取り残され教区教会となりました。現在の建物は古い部分は10世紀の南北両側の壁でプレ・ロマネスク、他は11世紀末~12世紀の建築です。
内部は三廊式のバジリカスタイルに、後陣は大小三つ、翼廊を備えたプランです。柱頭彫刻や浮き彫りも見事ですが、なんといっても一番の傑作は後陣の祭壇の浮き彫りでしょう。簡潔で魅力に満ちた表現は足を釘づけにただ見とれるばかりです。写真も沢山撮りました。
左上部に「神の子羊」その12が円形の光背?に包まれて。
交差部周辺の柱頭彫刻
下2枚は「悪しき金持ちの宴会」
西正面扉口は最も新しい部分(12世紀)で、幾重ものヴシュールにタンパンは「神の子羊」その13、下にクリスマが彫られています。
ビベイロ Viveiro 大西洋岸の港町で、カルロス1世の時代に軍港として発展しました。バスは港から少し山側へ走り、高台に建つ大きなホテルへ。ここのレストランで昼食をとりました。こちらでも何をいただいたのか忘却の彼方・・・なにしろメモをしない怠け者ものです。前後の区別が付いてませんが写真だけアップします。
サン・ミゲル・ブレアモ San Miguel de Breamo 美しい湾に面したリアス式海岸の町ポンテデウメの背後にそびえるブレアモ。その頂上に教会が建っています。
サンミゲル教会/創設時の記録は残っていませんが、堅固で重厚な建築です。ガリシアでは稀なラテン十字のプランで、単身廊、翼廊、半円を描く中央後陣と左右の小後陣で構成されています。
西正面と翼廊には小さな扉口があり、それぞれの上部には簡素な薔薇窓が設けられています。周りの雑木林の景観と3つの後陣外観が美しく、その堅牢なイメージも好ましく印象に残りました。西正面の屋根のてっぺんに「神の子羊」 その14を発見。(子羊かしら?という声もありましたが・・・他の動物はありえませんから)
内部は半円筒ヴォールトに覆われ、交差部は初期のオジーヴ・ヴォールトを戴き、後陣の円蓋は美しい曲線を描いています。
当初の計画ではこの後カンブレ訪問のはずでしたが、時間の余裕がなくなり、コルーニャでも自由時間をとりたいということで、翌朝に行くことになりました。
ラ・コルーニャ La Coruna 大西洋とコルーニャ湾に挟まれたガリシア最大の都市で、古代からの歴史を持つこの地方の海の玄関口として栄えてきました。フェニキア、カルタゴ、ローマからの船が行き来して、ガリシアにローマの文化をもたらしたのです。その時代の遺構が残る港町はまた「ガラスの街」としても有名です。白い枠の窓ガラスの多用された美しい建物が並んでいます。
ホテルの部屋に入ってみるとバスタブがついてません。がっかりしながら夕食までは散策はしないでお洗濯していましたら、添乗員さんからTELがあり、手違いでしたから、バスタブつきの部屋に変わりますというのです。濡れた下着など抱えてお引越しか・・・と思えど、疲れた身にはバスタブはやはり魅力です。という訳で、ディナーには数分ほど遅れました。お魚のテリーヌ、牛肉の煮込みなど。
2009年早春の旅27(ア・コルーニャ→サンティヤゴ・デ・コンポステーラ) [2009春オペラと美術で世界一周]
3/30(月)
A Coruna--Cambre--Santiago de Compostela
Parador de Santiago de Compostela 1泊
地形が函館に似ているア・コルーニャは岬の北に旧市街が広がっています。この街角にひっそりと佇む二つのロマネスク教会を訪れました。
サンティヤゴ教会/(12~13世紀)はまず、12世紀の部分の北側面扉口から見学します。粘土細工のような柔らかな印象を与える外側はリボン?内側は華文様の美しいヴシュールにタンパンはぽっちゃり型の可愛らしい「神の子羊」 その15です。
後陣外観は小さな広場に面しています。大小3つの後陣はロマネスクの素朴な曲線を描き、朝日の差す教会に十字架が影を落とし、美しい風景。軒持ち送りは13世紀のもの?
最後に西正面へ。切妻形に薔薇窓、扉口のタンパンには馬上の聖ヤコブが彫られ、ヴシュールには天使たちが並んでいます。
サンタ・マリア・デル・カンポ教会/上記のサンティヤゴ教会の近くに建つロマネスク様式の教会ですが、ゴシック期に入ってから建築されたようです。切妻形に薔薇窓大きな正面扉口、両脇に細長い窓が2つずつ並んだ落ち着いた構成。タンパンは「マギの礼拝」、ヴシュールには預言者たちの姿が刻まれています。
北の扉口、タンパンの底部両脇に受胎告知の天使と聖母(糸巻きしている?)。
内部は三廊式、浅い尖頭形ヴォールトの続く身廊。柱頭彫刻にはアレクサンドラのカタリーナやマギの礼拝など説話的な主題のものも。
カンブレの街の中心の広場に建つサンタ・マリア教会/起源は9世紀の中ごろ、この地方のアルビト伯一族の修道院として設立されました。現在の教会は10世紀にコンポステーラのアンテアーレス教会の子院として942年に建設されたものを基本とし、12世紀後半に改築されました。
装飾性豊かな西正面です。切妻屋根の中央を形作る鐘塔、その下の薔薇窓、深い扉口と左右に並ぶバットレスががっしりと落ち着いた印象です。
タンパンには天使に支えられた「神の子羊」 その16が光背に包まれて・・・。
ここにも受胎告知が刻まれていと思ったら天使と聖マタイのようですね。
ここの後陣は5つあり、この教会の素晴らしい見所となっています。広場の緑の芝生に映えてほんわりと美しい後背部外観です。当然この内部は周歩廊になっているはずですが、鍵を管理する神父様が留守のため見学はできなくて残念でした。多分昨日の夕方が約束だったはずです。
そして、いよいよ今回の旅の最後の訪問地でもあり、最大のハイライトでもあるサンティヤゴ・デ・コンポステーラに入りました。
今夜の宿はスペインの誇るパラドールの中でもぴか一とされる修道院を改造したクラシックでエレガントなホテルです。ここは建物や設備だけでなくサービスもホスピタリティあふれる素晴らしさで、なかなか予約が取れないのも分かる気がしました。私の部屋に行くまで回廊を2つ抜けて行きます。このアプローチが中世の時代を想わせ、素敵な雰囲気を盛り上げてくれました。見取り図によりますと回廊は全部で4つあります。
荷物を部屋に運んでもらって、大聖堂近くのレストランでランチ。余程空腹だったのでしょうか、記録の写真がありません。グループのメンバーとも次第に打ち解けてきて、おしゃべりにも熱が入っていたようです。でも、もう明日にはお別れなのです。
レストランのある通りは観光地といっても聖地なのでけばけばしさはありません。黒い看板で統一されています。
サンティヤゴ大聖堂/十二使徒のひとり大ヤコブは福音の旅をユダヤから海路でイスパニアに上陸し、この地ガリシアで宣教しました。7年の後、ユダヤに戻って殉教したのですが、弟子たちは遺骸をガリシアに運びサル川の近くに埋葬しました。その墓が814年に星に導かれた老隠修士(または司教テオドミーロ)によって発見されたと伝えられています。初めは小さな教会でしたが、巡礼地としての地位は高まり、その後次第に拡張されました。イスラム教徒との戦いにおいても、聖ヤコブはレコンキスタの象徴としてあがめられました。現在の大聖堂は1077年から3期に渡って建築が進められました。西正面は18世紀の改築によりチュリゲレスコ様式です。
食後は逸る心をおさえつつ、独りでの自由見学です。正面の「栄光の門」のタンパンは残念ながら足場が組まれ工事中でした。幸い、翌日ヘルメットを被って足場を登るガイドツアーに参加しましたので、思いがけず接近してタンパンを鑑賞できました。このとき2.3人の方が人数制限のため入れないことになったのですが、自主的に降りてくださったのです。清く、さりげないご好意に改めて、感謝の気持ちでいっぱいです。
広大な空間の身廊は複雑な巡礼式教会の形式で、翼廊や小祭室の柱頭の彫刻も素晴らしく、見飽きません。高さも相当にあり、写真を撮るのに難儀しました。
北側奥にあったロマネスクのチャペル。今、見取り図をチェックしましたらLa Corticelaと書いてあります。忘れられたような静かな祈りの空間です。
南側扉口の「金銀細工師の門」を見学して、ホテルに戻りました。見所満載のここの彫刻ですが、寄せ集め?焦点が定まらず、ぼんやり観ているうちに疲労困憊・・・。
ツアー最後の晩餐はパラドールのレストランで。前菜にフォアゴラがでたほかは写真もなく、あまり記憶にないのですが、美味しい食事と楽しいおしゃべりで夜も更けました。
2009年早春の旅28(サンティヤゴ・デ・コンポステーラ→マドリッド) [2009春オペラと美術で世界一周]
3/31(火)
Santiago de Compostela--17:45→Madrid18:50
Hotel DEL ARTE 3泊
巡礼者の姿はほとんど見かけないかわりに、修学旅行の生徒たちで賑やかな大聖堂&広場。そこから南に1キロほどのサル川の近くにロマネスクの教会が建っています。
サンタ・マリア・デル・サル教会/1136年に創建。初めに教会が建てられ、その後1172年に回廊が完成しました。その後、建物の傾きのため18世紀に飛び梁で補強されています。
多角形の後陣、屋根の上に「神の子羊」その17
持ち送りの彫刻が個性的
内部は三廊式、尖頭ヴォールトの天井、後陣入り口のアーチは半円です。
回廊は北面が残っているだけですが、植物文様が刻まれた柱頭とアーチの調和が好ましい空間となっています。
さて、いったんコンポステーラに戻り、「栄光の門」足場ツアーまではそれぞれ自由見学になりました。私は大聖堂内の博物館を見学しました。1階の赤い旗のところが入り口です。撮影は不可。古文書館には1139年ごろの書物「聖ヤコブの書」が収められていますが非公開で、代わりにファクシミリ版のものですが、ガラスケースのなかですが見学できました。係りの女性がぴったり監視しています。この日は5章のなかの「移葬の書」と思われるTomb of the Cathedral of Santiagoと説明されたページが開かれていました。
時間が余りましたので、再び「金銀細工師の門」から大聖堂へ。入って左側の「クラビホ門」のタンパンは「マタモロス」(騎士の姿で異教徒を討伐する聖ヤコブの像)が刻まれています。
同じく堂内にあったクリスマ
そして、前回で記しましたが、「栄光の門」の足場ツアーに参加しました。ヘルメット着用で撮影不可というものものしさでしたが、タンパンと同じ高さで、まだ色がうっすらと残る彫刻群。写実的な中にロマネスク時代のの最後の煌きのような美・・・名匠マテオの技量をまざまざと見せ付けられたような鑑賞のひとときでした。(画像はwikipediaより)
記憶にはないので多分見逃したのでしょう。このとき天井を見上げれば旅の最後の「神の子羊」その18を確認できたはずでした。残念。帰国してから「神の子羊」仲間の方からの情報で知りました。ツアーの参加者に配られたリーフレットに写真がありました。今まで見てきたものより凝った意匠です。十字架の先端が葡萄の蔓となって子羊にからまっていて、それでも足で支えているところが面白いです。胸の葡萄が勲章のように誇らしげでもあり、「神の子羊」のひとつの到達点と思われます。
まだ、見足りない気もしましたが、ほぼ丸一日は大聖堂の見学に費やしたので、満足しなければなりません。ツアーの皆さんとも最後の昼食をいただき、お別れしました。
8年前から講義でご指導いただき、こうしてまるごとロマネスクの旅に浸らせていただきましたI先生を初め、添乗員さん、ソリア在住の現地ガイドさん、ツアー同行者の皆さん、大変お世話になりました。同好の方たちとの旅は良いものですね~♪
そして、誰も居なくなった・・・荷物を預けてあるパラドール(下の写真は玄関とロビー)に戻り、ロビーで本を読んだりして、休憩のあとタクシーで15分くらいの空港へ。
パラドールの玄関から大聖堂は目の前
マドリードのホテルはアトーチャ駅から2,3分のところ。近代的な大きめなホテルですが、懸念してはいましたが、周囲はあまり治安がよくないようで、ゴミアサリをする人や路上の物乞いの人の姿もちらほら。夕食は近くのバルでビールとハモン・セラーノのサラダ添え一皿で済ませました。
2009年早春の旅29(マドリッド→セコビア→マドリッド) [2009春オペラと美術で世界一周]
4/1(水)
Madrid10:01--Segovia12:04/16:50--Madrid18:50
マドリッドは次女が大学生のときに一緒に来て以来ですから13年ぶりの再訪です。アトーチャ駅を利用するのも初めて。構内は広いので迷いました。インターナショナルや遠距離専用と近距離のリージョナルに分かれています。改札口に係員がいて案内してくれますから、間違って乗る心配はありません。マドリッドは内陸なので、朝はとても寒く、車内は暖房もないので、陽の当たる席に移動しながら2時間の汽車の旅でした。セコビアに着いたころは暖かくなりました。駅前からタクシーで町外れにあるラ・ベラ・クルス教会へ。城外の道をぐるりと回り10分ほどで到着。
車窓から
車内には温度表示5度・・・余計に寒くなりますよ。
ラ・ベラ・クルス教会/テンプル騎士団が1208年に献堂。1224年に教皇から「真の十字架」を贈られるという由緒ある12角形の教会。12角形という形式はとても珍しいもののようで、確かにイタリアなどの集中式教会堂はたいてい円形か8角形と決まっています。その建物と背景のカステーリャの荒野との組み合わせがここの魅力でしょう。12角形の平面、大小3つの後陣、方形の鐘塔、中心に12角形のコアと呼ばれる祭室があります。
閉ざされている正面扉口はジグザグ文様を刻む三重のヴシュール。柱頭彫刻はかなり磨耗しています。石の色は柔らかい赤みを帯びています。
ぐるっと周ってみると入り口がありました
中には管理人さんが居てチケットを買います。このときいただいたセコビアの他の教会のリストが役に立ちました。
12の横断アーチの周歩廊の中央にコアがあります。そのコアの階段を登ると祭室があります。ポツンと置かれた祭壇には交差アーチの浮き彫り。全般に装飾は少なくシンプルな空間が印象的でした。見学者は私一人だけ。
ラ・ベラ・クルス教会を見渡せる絶景ポイントはアルカサルというお城からのようですが、時間がありませんので、待たせたタクシーで街中のサン・ミリヤン教会へ。ここからは歩いての観光になります。
サン・ミリヤン教会/11世紀末にアラゴンとカステーリャの王アルフォンソ一世によって創建。12世紀初頭に改築されました。内部は三廊式、張り出しの無い翼廊、大小の3後陣、小アーケード列の装飾を持つアプシス。交差部の塔にモサラベ建築の名残が見られます。
南北の側面にギャラリー付きポーチ(13世紀の増築)があり、南ギャラリーには多彩なモチーフの柱頭彫刻が刻まれています。
楽しみにしていたギャラリーですが、鍵がかかっています。外からは柱頭が高いせいもあって、あまり良く見えません。
正面もクローズ。近くの人の話では夕方まで開かないそうですから諦めました。
サン・ミリアン教会は城壁の外に建っているというので、郊外かと思えばほとんど街中です。後陣のほうから大きな道に出ますと数百メートルくらい先に水道橋が見えました。セコビアは予想外に狭い地域にお目当ての教会が点在していて、効率よく周れるところです。
水道橋の近辺は観光客が大勢います。向こうにランチの後に訪れる予定のサン・フスト教会の塔が見えました。
この近辺はレストランが並んでいます。セコビアでは最も有名らしいメゾン・ド・カンディドに入ってみました。(水道橋右の建物)
有名どころらしい、ありがちですが凝った内装です。
前菜は忘れましたが主菜はラムとアスパラの一品とデザートはプリン。高いので子豚の丸焼きを諦めました・・・。昨日までの賑やかな食事風景が懐かしく思い出されます。正直独りのごはんは淋しいです。
料理が出てくるまでは暇なので、さきほどラ・ベラ・クルス教会でいただいたセコビアの美術館や教会のリストを見てみました。これから訪問予定のサン・フスト教会はやはり予約制なのです。連絡先の電話番号は載っていますが・・・無理かしらと思いながら窓の外を見てましたら、青い色の看板(i)があります。
食事が終わってここへ飛び込み、リストをみせて予約を頼みましたら、即OKと言って電話してくれました。1時間半くらい後の予約が取れました。その後のバスの時間も調べてくれて、とても親切な若い男性でした。
その間に2つの教会を巡りました。 続く
2009年早春の旅29続編(マドリッド→セコビア→マドリッド) [2009春オペラと美術で世界一周]
4/1(水)
さて、サン・フストの予約時間まで2教会は回れそうです。セコビアにはまだ他にもロマネスク教会があるのですが、日帰りの半日では5教会で目いっぱいです。
サン・マルティン教会/インフォメーションから徒歩数分、少し坂を上った段差のある小さな広場に建っています。12世紀前半のプレ・ロマネスク様式の建築からから13世紀に大改築されました。
内部は三廊式で、大小の3後陣を持つ、正面ポーチ(ギャラリー)の扉口の人物円柱はフランスの影響がみられます。南、西、北のポーチ(ギャラリー)にそれぞれ動物文様や説話的な浮き彫りが刻まれています。
城壁からの眺めの良いところや旧市街らしい古い町並みを歩いていきます。
段差のある広場に上手く配置されています。南側のポーチのほうから。
教会もポーチも内部には入れませんでしたが、ポーチはサン・ミリアンより覗き込みやすいのでまだましでした。西側ポーチの入り口。
西から北のポーチ
後陣から南ポーチへ。段差の高いところから撮影。写真では入れそうに見えますが、階段下の手前は柵で仕切られて乗り越えられません。
望遠で写しました。シンプルな2本柱や冠板の華文様もすっきりした印象を深めています。
再び水道橋に戻り、潜り抜けて城壁の坂道を大回りして10分ほど登りますと、閑静な公園の側にサン・ファン・デ・ロス・カバリェーロス教会が見えてきました。セコビア最古のロマネスクのひとつ、後陣は11世紀末、身廊と鐘塔は12世紀の中頃の建築
南と西にポーチ、柱頭や軒蛇腹に多彩な浮き彫りが残っています。閉まっていて入れませんでしたが、全体の印象はあまり手入れされてなく、やや荒れた感じがしました。
教会脇の城壁からの眺め
内部は単廊式、南北に増築部分、半円の大きな後陣に13世紀の壁画が残っています。
2009年早春の旅30(マドリッド) [2009春オペラと美術で世界一周]
4/2(木)
今日は夕方からオペラがありますので、遠出は原則禁止です。昨日の疲れがじわーっと残って、体がだるい感じです。遅い朝食をゆっくりとって出かけました。
マドリッドの国立考古学博物館 Museo Arqueologico Nacional は地下鉄COLONの駅から近いのですが、豪壮な建物は地下鉄側は図書館(写真左)で博物館(写真右)は裏側になります。
↑工事中のクレーンが見えたので「やばいな」との予感は当たり、一応オープン(無料)してはいますが、古代エジプト、ギリシア、ローマ時代と中世の宝物の一部しか展示されていませんでした。
スペイン全土から集められたロマネスク関連の宝物では、「フェルナンドとサンチャの十字架」(11世紀の象牙の磔刑像) 「 グアラサールの宝物」7世紀(西ゴート王の奉納冠)、「サモラの象牙箱 」 (10世紀)などを鑑賞。主な目的だったカステーリャの柱頭彫刻は次回のお楽しみに・・・。
ブックショップも閉められていましたので、絵葉書もありません。NETから画像を拝借します。
←蓋の下部にアラビア文字、緻密に刻まれたオリエンタルな植物と動物は特に見事なものです。
さて時間が余りましたし、素晴らしいものを鑑賞して元気も出てきました。お天気も良く、汗ばむほどの陽気です。Paseo del Pradoの大通りをのんびり歩いてプラド美術館へ。途中以前娘と宿泊した懐かしのパラスホテルが見えました。
このあたりも13年前に比べると、怪しげな日本語で声をかける人も居なくなり、整備もされて綺麗になりました。
↓プラドの前にはパトカーも止まっています。
以前はほぼ全館見たはずでしたが、さすがにロマネスクにはまったく無関心というか無知でしたので、中世部門は見ていませんでした。今回はロマネスク講座での情報もありましたので、直行で(といっても迷いましたが)中世ののセクションへ。黄土色や錆朱の色、素朴で力強い線描はスペインロマネスクの特徴でしょうか。今回の旅の初めにN.YのTHE CLOISTERSで観てきたArlangaやBerlangaの壁画を頭の中でドッキングさせて観ました。
後陣の壁画を移築されているチャペル(La vera Cruz de Maderuelo)は修復中で閉鎖されています。NETでの画像ですが貼っておきましょう。
イタリア・ルネッサンスなどを出口を探しながら、鑑賞しつつ歩いていましたら、いつの間にかゴヤの黒い絵シリーズの部屋に入っていました。そうそう、最近話題になった「巨人」は弟子の手が入っているとか・・・。
そして、「わが子を食らうサトゥルヌス」の前で思わず目が点!ポルトガルやガリシアで見てきたロマネスクの怪物の彫刻になんと似ていること!!大きく目を見開いて人や動物を食らう怪物=サトゥルヌス。人間は残酷な生き物、自分を守るためにはモンスターにでもなんでもなってしまいます。そして人間性を失った結果は悲惨な末路しかありえないのです。綺麗ごとのお説教よりも確実に胸に響くことは間違いありません。ゴヤ、あなたは幼いときから教会であの形態の彫刻を目にして育ったのですね。この絵画も教会にある壁画や彫刻と同じ「聖書」なのです。涙がにじんできました。以前観たときはなんと残酷な作品としか思わなかった自分が恥ずかしくなりました。
サングラスをかけないとまぶしい青空が広がっています。ホテルへは徒歩10分ほど。途中壁ガーデン?の建物。そしてタパスの盛り合わせのランチ。量が多すぎて残ったのはお持ち帰りにしてもらい、オペラの後の夜食にしました。
示
昼寝のあとは初めてのレアル劇場でワーグナーの「タンホイザー」です。地下鉄AtochaからSolで乗り換えOpera駅まで。ここも娘と見学した王宮やお茶をしたカフェなど懐かしいエリアです。当時はレアルの改築工事中で、雑然としていました。↓カフェ・オリエンテ
↓レアル劇場
☆Teatro Real マドリッド/レアル劇場
Tannhäuser Richard Wagner 7時開演
Directer Musical:Jesus Lopez Cobos Dirección de escena: Ian Judge Escenografía y figurines: Gottfried Pilz Iluminación: Mark Doubleday Dirección del coro: Peter Burian
Tannhäuser: Peter Seiffert
Roman Trekel
Walther von der Vogelweide: Stephan Rugamer Biterolf: Felipe Bou
Heinrich der Schreiber: Joan Cabero Elisabeth: Petra Maria Schnitzer
Un pastor: Sonia de Munck
帰りは11時は回っていたと思います。劇場もホテルも地下鉄の駅は目の前です。まだまだ人通りも多かったので、なんの不安もなく帰ることができました。「
2009年早春の旅31(マドリッド→パリ) [2009春オペラと美術で世界一周]
4/3(金)
マドリッド15:35→パリ17:30
Hotel Victoria Chatelet 2泊
今日はパリまでの移動の日ですが、飛行機が午後からの便なので、余裕があります。ホテルから極近くのソフィア王妃芸術センター美術館へ。
ここも再訪問ですが、ピカソの「ゲルニカ」をはじめダリ、ドローネー、フォンタナ、クライン、ロスコなどの現代アートのコレクションは見ごたえがあります。「ゲルニカ」の前は日本人のツアーの見学者も含めて大勢の人たち・・・。以前のようにものものしく両脇を守る衛兵の姿はありませんが、混雑のためこの大作の全体を鑑賞するには苦しい状態でした。
ここの美術館に限ってのことではありませんが、この10年余りで美術鑑賞の仕方もずいぶん変わってきました。作品の前ではあまり喋らないのが、至極当然のエチケットでしたが、今では人々の話し声の喧しいことといったら・・・欧米では係員があまりうるさいと注意してくれるときもあります。
ランチは美術館の近くのバルで軽くイカの揚げたものなどをつまみ、ホテルに戻って出発までロビーで休憩。今回の旅の最後の訪問地のパリへはほぼ時間通りに到着。計画を立てた当初はマドリッドに5泊する予定だったのですが、大好きな指揮者ミンコフスキーがワグナーの『妖精たち』を振るのにつられて変更したのです。それで、ややこしい行程が一層複雑になり・・・帰国時のつまずきの一因にもなったのです。(涙)
さて、パリの宿は、マレのCaronが週末の2泊ということで、1ヶ月前の予約しか受付できないとの返信。シャトレ座に近いホテルをGoogleで検索したところ、同じ建物のなかにある3☆のホテルを見つけ直接予約しました。バスタブつきで1泊100ユーロはシーズンオフとはいえ格安です。建物は確かに古びていて冷蔵庫もありません。でも、部屋は広く、シャトレ座や地下鉄まで1分という立地。客層も謙虚な礼儀正しい人たちが多く、気持ちよく過ごせました。
夕食は近くのビストロで。満席でしたが、独りなのでカウンターでも良かったらと感じの良い若マダム。後から来て隣に座った常連らしい若い男性は私が黒板のメニューを見て、迷っていると英語で説明してくれて、お勧めのお料理も教えてくれたり、親切な方でした。そんなんで、奮発して(見栄張って 笑)前菜はフォアゴラにしました。美味しくてほっぺたが落ちそうでした。主菜は帆立(これは普通)デザートはおなかがいっぱいなのでソルべでごまかしました。ワインは普通なら白なのですが、赤が飲みたいといったら、合うものを勧めてくれて、このワインについて地名なども説明してくれたのですが、相変わらず聞き取りできず・・・。(汗)
明日の夜はオペラなのでまともなディナーは今夜だけ。パリらしい雰囲気満点のお食事ができて満足でした。ほろ酔いでも、目の前のホテルですから安心ですしね。
2009年早春の旅32(パリ)33.34帰国 [2009春オペラと美術で世界一周]
4/4(土)
とうとう今日が旅の最後の一日になりました。さすがにやれやれ早く家に帰りたいというのが偽らざる気持ちです。元気に旅ができるうちに欧米で観たいもの、聴きたいものをひとつでも多くと欲張った結果がこうなりました。有名どころの名所旧跡をまわるツアーの旅はとうに諦めています。費用を算盤ぱちぱちしてみますと・・・マイレージの特典航空券のおかげで南アフリカ2週間と同じくらいで収まりそう。(にっこり)
さて、今日のパリは暖かい春らしい陽気です。メトロでSt Sulpiceまで行き、徒歩数分のリュクサンブール美術館へ。ここは初訪問です。
旅の最後のパリまでは私のチェック機能が働きませんでしたが、Bさんがここでリッピ父子の特別展があると知らせてくださったので、楽しみにしてました。土曜日ですし、混雑が予想されましたのでNETでチケットも予約(時間指定)しました。それでチケットはスムーズに受け取れましたが、館内は相当に混んでいました。展示室も狭く窓もないので、息苦しくなり、あまりゆっくり見学できませんでした。
プラートにおけるルネッサンスというのがサブタイトルの展示会なので、いわゆる有名な作品が来ているわけではありません。そこが物足りなかったものの、修道女ルクレツィアとの恋愛事件のあったことやそのルクレツィアを初めてモデルにして描いたといわれる聖女の初々しく美しい横顔。
プラートの祭壇画は当時のフィレンツエでもセンセーションを巻き起こし、一時弟子でもあったボッティチェリにも多大な影響を与えたのです。プラートのルネッサンスは即フィレンツエ・ルネッサンスに繋がるという訳です。カタログを見ましたら、この展覧会は8月2日まで開催され、リッピ父子のほかにウッチェロやボッティチェリなど51作品(主にプラートの市立美術館のコレクション)。
サン・シュルピス教会まで戻る途中、ふと立ち止まった古本屋で探していた本が入り口から見えて、ラッキーでした。ランチもこの付近のアジア料理店で。味はあまり・・・でした。
これまた近くのピエール・エルメでケーキやお土産のマカロンを買い込み、ホテルへ戻りました。オペラの前にケーキをふたつも食べてしまって・・・美味し過ぎました。(汗)。左ピスタッチオのナントカ?上に小さな苺。右はフランボワーズのグランマカロン。
☆Théâtre du Châtelet パリ・シャトレ座 19:30開演
Richard Wagner | : | Les Fées (Die Feen) |
Les Musiciens du Louvre | |
Conductor | Marc Minkowski |
Producer | Emilio Sagi |
Sets | Daniel Bianco |
~ | |
Ada | Christiane Libor |
Lora | Lina Tetruashvili |
Arindal William Joyner Gernot | Laurent Naouri |
Morald | Laurent Alvaro |
Farzana | Salomé Haller |
Drolla | Judith Gauthier |
Le Roi des Fées, Groma | Nicolas Teste |
Gunther | Brad Cooper |
日本でも昨年初演されたというのですが、今回ミンコフスキーが指揮をするというので興味を持つまで、私はまったく聴いたことはありませんでした。そこで、また助っ人をお願いしたのがBさんです。音源とリブレットを送っていただいて、予習ということになりました。いつもいつもありがとうございます!!
ワーグナーの第一作ですが、序曲からやはりワーグナー、聞惚れますが、その後はぱっとしません。しかし、3幕になってから終盤まではなかなかまとまってきて、面白くなるのです。あらすじも人間の男と妖精の女から生まれたアーダが主役で、そう複雑ではありません。
舞台は私の苦手な蛍光色ぎらぎらの派手なタイプ。演出もどおってことない、何を書いていいやらなので、耳だけは全開、集中です。歌手はナウリ以外は知らない方たちばかりでした。アーダを歌ったChristiane Libor(ベルリン生まれ)は声量もテクニックもあり、素晴らしかったのですが、アリンダルのWilliam Joynerは比べると差がありました。しかし、初日よりは進歩したようで、カーテンコールのときミンコフスキーが良く頑張ったみたいに手をとっていました。(男に甘い)
なによりもミンコとLes Musiciens du Louvreとの息の合った演奏はワーグナーの若々しい息吹の感じられる音楽にぴったりです。溌剌としたシャンパンの泡が立ち上るような、そんな感覚に包まれた至福の時間を過ごしました。
←楽譜を捧げ持つミンコフスキー(ご本人も満足のいく出来だったようですね)
旅の最後のオペラに満ち足りた気持ちでホテルへ帰りました。レセプションの人が明日チェックアウトなら部屋に朝食を運ぶよと言ってくれました。なかなか気配りもできた宿です。
翌日はパリのCDG空港でひと悶着。アリタリアのミラノ便が時間変更になっていて(メールは留守中に入っていましたが、出発の後でした) すでに飛んでしまったというので、エールフランスのカウンターで日本までの代わりの便を探してもらいました。旅程が複雑で(アメリカからヨーロッパetc)説明とイタリアまでの空席がなくて、1時間半くらいかかってようやくローマ経由JAL(アリタリアとの共同便)で帰れることになりました。アリタリアは倒産したのでCDGには専用のカウンターもありません。エールフランスが代わりにやってくれるのですが、係員はやってあげてるといった態度です。
パリとローマの待ち時間が併せて6時間もありましたが、今年からアリタリアのCFA会員になっていたので、帰国便はエコノミーでもビジネスラウンジを使えました。おかげさまでなんとか元気で、体重もますます増えて(どうしましょう~)帰国しました。(END)